第8話:野郎共の助言は、得てして解釈違いの温床です
昨夜の「膝枕(逆転)事件」から一夜明け。
私の情緒は、未だに成層圏付近を漂ったまま戻ってきていなかった。
(……思い出すだけで、毛穴から聖水が出そう。殿下のあの『僕を大人にして』という全託の眼差し……。あれはもはや、私という不浄なメイドに対する『救済』! ああ、ベルリッツ家の再興という目標が、今や殿下への奉仕という名の聖火で燃え盛っているわ……!)
自室で教則本を抱きしめ、悶絶していた私のもとに、招かれざる客がやってきた。
「よお、教育係。景気良く鼻血出してるか?」
「兄上の教育係さん、今日も一段と顔が赤いね。熱でもあるのかな」
現れたのは、騎士アルベルトと第二王子のカイル殿下だ。
私は瞬時に「鉄面皮」を装着し、冷ややかな視線を向けた。
「……何の御用でしょうか。私はこれから、殿下の『清らかな朝の目覚め』をプロデュースする神聖な職務がございますので、お引取りを」
「まあ待てよ。陛下から伝言だ。『フェリス王女が来たからには、レオの教育も一段階上げろ』とな」
アルベルトがニヤニヤしながら、一冊の、いかにも胡散臭い装丁の本を差し出してきた。
タイトルは――『猛獣になれ! 淑女を陥落させる不遜な王者の振る舞い百選』。
「…………(真顔)」
(……汚らわしい。なんて下俗な本なの。殿下のような高潔な御方に、こんな泥臭い、野蛮な、ドブネズミの求愛行動のような真似を教えろと言うの!? 全宇宙の解釈違いだわ!!)
「兄上は育ちが良すぎるからな。たまには『強引な男』の側面を見せないと、隣国の姫にナメられちまうぞ。ほら、兄上も呼んである」
*
数分後。サロンに集まったのは、私、フェリス王女、そして教育のターゲットであるレオ殿下。
そして、余計な火種を持ち込んだ野郎二匹。
「……なるほど。壁に手を突き、逃げ場をなくした状態で、耳元で低く……『逃がさないよ』と囁く。……これが、アルベルトの言う『ワイルドな教育』ですのね?」
フェリス王女が、手元の魔導水晶を磨きながら、品定めするような目で本を見つめる。
「そう! これだ! 兄上、アンネを相手にやってみてくれよ。壁ドンってやつをさ!」
「壁……ドン? こうかな?」
レオ殿下が、よく分からないままに私を壁際に追い詰める。
(――ひっ!?)
ドン、と壁に手が突かれた。
至近距離。殿下の顔が、私の視界を独占する。
(あああ、見て、この一生懸命な表情! よく分かっていないのに、周りの期待に応えようと必死に『ワイルド』を演じようとなさっている……! なんて健気で、純粋な努力家なの、私の推しは!!)
「……アンネ。あの、えっと……逃がさない、ぞ?」
語尾が少し不安げに揺れている。
……可愛い。宇宙が爆発するほどに可愛い。
無理をしている。あんなに優しい殿下が、慣れない不遜な真似をして、私を怖がらせないようにと細心の注意を払ってくださっているのが痛いほど伝わってくる……!
(――尊い!! この、不慣れな感じが逆に宇宙を救う尊さ!! 無理して悪ぶる天使! これこそが全人類への福音!!)
「……ダメだ。兄上、優しすぎる。もっとこう、獲物を食い殺すような目で! 顎をグイッと持ち上げて!」
アルベルトが野次を飛ばす。
「獲物を……食い殺すように?」
レオ殿下が、ふっと表情を消した。
その瞬間。
私の顎に、殿下の指先が触れた。
強引に上を向かされる。
(――っ!?)
殿下の瞳が、スッと細められた。
光を吸い込むような、深くて静かな、けれど底なしの熱を孕んだ視線。
「……ねえ、アンネ。アルベルトたちはああ言うけど……僕は、君を食い殺すなんて、そんな野蛮なことしないよ」
低く、地を這うような声。
鼓膜に直接、殿下の吐息が流し込まれる。
「……ただ、僕の一部にして、一生外に出してあげないだけ。……それでいいよね、アンネ?」
(………………っ!!)
あまりの衝撃に、私の脳内メモリが完全にオーバーフローを起こした。
(な、なななな……今の、聞いた!? 全世界のベルリッツ家サポーターの皆様、今の聞きましたか!?
殿下は……殿下は、あの不適切な本のセリフを、自らの慈悲深いフィルターで浄化して出力してくださったのよ!!
『一生外に出さない』……それはつまり、『一生、僕が君を責任持って保護する』という、究極の誓い!
あんな野蛮な本の言葉すらも、殿下が口にすれば、それは『永遠の守護』を約束する聖なる誓いへと昇華されるのだわ!!
ああ……なんて……なんて一途で、どこまでも清らかな愛なの……!!)
「……合格! 合格ですわレオ様!! 今の『慈愛に満ちた(?)独占欲』! 予定していたワイルドさとは違いますが、希少価値は一兆点を超えましたわ!!」
背後でフェリス王女の水晶が激しく発光する。
「……おいカイル。今の兄上の目、あれ絶対に本気だろ」
「……ああ。アンネのあのポジティブすぎる脳内変換が、兄上の歪んだ愛をさらに加速させてるな。地獄の相乗効果だ」
野郎共が何やら不穏なことを囁いているが、私の耳には届かない。
私はただ、顎を掴んだまま、じっと私を見つめる殿下の瞳に吸い込まれそうになっていた。
……その瞳が、獲物を罠にハメて満足しているような冷徹な光を帯びていたとしても。
私にとっては、それは「私を導く慈愛の星」にしか見えなかったのである。
(世界は今日も、殿下の優しさで満ちているわ……!!)
鼻から一筋の赤い情熱を流しながら、私は幸せな虚無の中へとダイブした。




