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第7話:査定、それは同志による愛の弾劾


 フェリス王女が到着してから三時間後。

 王宮の一室は、かつてないほど「濃い」熱気に包まれていた。

「……信じられませんわ、アンネお姉様」

 フェリス王女が、私の書き上げた『十四日間カリキュラム』を机に叩きつけた。その青い瞳には、深い落胆と、それを上回る激しい情熱が燃えている。

「今の今まで、たったこれだけのステップしか進んでいなかったなんて。貴女、殿下の美しさを前にして、ただ呼吸を止めていただけではありませんの?」

 私は、紅茶を啜りながら遠い目をした。

(……あ、バレた。というか、呼吸どころか心臓もちょいちょい止まってたわ)

「……仰る通りですわ、フェリス様。ステップ5の『膝枕』に至っては、教本を開いた瞬間に私の網膜が尊さで焼き切れてしまい……白紙のままなのです」

「甘いわ! 激甘ですわよ! 殿下の膝下のラインと、そこに頭を預けた際に生じるわずかな『衣擦れの音』! それを記録セーブせずして、何が教育係ですか!」

 フェリス王女は、私物だという巨大な『魔導水晶(録画機能付き)』をテーブルに置いた。

「いいですわね。今日からは私が『監督』として立ち会います。殿下を立派な『男』に育てるために、私の知識をすべて提供いたしますわ。……ターゲット、いえ、殿下がこちらへ向かっていますわよ!」

 その時。コンコン、と控えめなノックの音が響いた。

「アンネ? フェリス? 入ってもいいかな?」

 扉が開いた瞬間、室内を清らかな風が吹き抜けた(ような気がした)。

 逆光を背負って現れたレオ殿下。少し乱れた襟元と、ふわりと揺れるプラチナブロンド。

(……あ、ダメ。今、私の魂がまた天井付近をふわふわしてるわ。さようなら現世。こんにちは、極楽浄土)

「――お姉様! 意識を戻しなさい! 今、この瞬間が『ステップ5』の開始合図ですわ!」

 フェリス王女の鋭いツッコミで、私は現世に引き戻された。

「二人で何の話をしてるの? 仲良くなれたみたいで、僕はすごく嬉しいよ」

 殿下が、聖画から抜け出してきたような微笑みを浮かべて近づいてくる。

「殿下。本日はフェリス様立ち会いのもと、『膝枕の作法』の教育を行います。……殿下、私が座りますので、私の膝を枕だと思って横になっていただけますか?」

 私は鉄面皮を貼り直し、心拍数の爆音を無視して宣告した。

「膝枕……。物語で、疲れた騎士が姫君にしてもらう、あれだね」

 殿下は、迷いなくソファに座ると、トントン、と自分の膝を叩いた。

「さあ、アンネ。おいで。僕、準備できているよ」

「………………はい?」

 思考が、二度目の停止を迎えた。

 違う。違うのだ殿下。膝枕をするのは「私」で、されるのが「殿下」……。

「……あら? レオ様、逆ですわ。アンネがお貸しするのです」

 フェリス王女が修正を入れようとする。だが、レオ殿下は不思議そうに首を傾げた。

「えっ? でも、アンネの方が毎日忙しくて疲れてるでしょ? だから、僕の膝で休んでほしいなって思って。……それに、こうすればアンネの顔、すごく近くで見られるし」

(…………ドパァッ!!)

 ……出た。我慢していた「赤い情熱(鼻血)」が、ついに一筋溢れ出した。

 

「アンネ!? また血が! ……ねえ、やっぱり僕の膝で寝て、ゆっくり休んだほうがいいよ。ほら、おいで?」

 殿下が、私の腰をそっと引き寄せ、耳元でふわりと囁いた。

「……アンネ。お家(ベルリッツ家)のこと、あんまり根を詰めすぎないで。君に倒れられたら、僕は誰にも『大人』にしてもらえなくなっちゃう。……僕が立派になれるかどうかは、アンネの頑張り次第なんだよ?」

(…………っ!)

 耳元にかかる、熱い吐息。その言葉は、私にだけ聞こえるほどの密やかなものだった。

(な、な……っ! 今の、聞いた!? 殿下は……殿下は、私の体を気遣ってくださるだけでなく、自らの成長を私という不肖のメイドに全託してくださったのよ!! 『お家のため』という私の不純な動機すらも、殿下は『それも含めて君だ』と肯定し、優しく包み込んでくださったのだわ! ああ、なんて……なんて慈悲深き、高潔な魂をお持ちなの……!!)

「……わ、分かりました殿下! このアンネ・ベルリッツ、命に代えましても、殿下を最高の男性にお導きいたします!!」

 私は溢れる涙を拭い、殿下の「天使の慈愛」に応えるべく、更なる教育への決意を固めた。

「うん。期待してるよ、アンネ」

 殿下は満足そうに微笑むと、私の腰を抱き寄せていた手の力を、ほんの少しだけ強めた。

 それは、慈しむような優しさというよりは、一度捕らえた獲物を、二度と逃さないと誓う捕食者のような力強さ。

「……さて。お姉様、感極まっているところ申し訳ありませんが、その位置! その角度ですわ! さあレオ殿下、そのままアンネの耳たぶを甘噛みする勢いで……!」

「フェリス、それはまだ教本にないよ。……でも、やってみようか?」

「ひゃああっ、殿下!? それはステップ8の内容です! まだ早すぎます……っ!!」

 私の絶叫が響く中、殿下はフェリス様の方を見て、ニコリと完璧な王子スマイルを浮かべてみせた。

 だが、その瞳の奥には、陽光を一切反射しない、底なしの「黒い悦び」が静かに沈んでいた。

(……ああ。今日も殿下の瞳が水晶のように美しい。世界は今日も平和だわ……!!)

 私はただ、自分の幸運と、殿下の尊さに酔いしれるばかりだった。



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