第36話:小鳥の告白、あるいは「最前列」を確約する契約
肺が焼けるように熱い。
王宮の長い回廊を、私は逃げるように走り続けていた。
背後でフェリス様が私の名を呼ぶ声が聞こえた気がしたが、振り返る余裕なんてない。
(……私は、何をしていたのかしら)
教育係という高潔な立場を装いながら、その実、殿下の執着を自分の自尊心の拠り所にしていた。「既成事実」という嘘の盾で自分を守り、殿下の隣に居座り続けていた。
そんな醜い私が、高貴な血統と正当な権利を持つフェリス様に嫉妬するなど、お門違いにも程がある。
路地裏で殿下が放った「当然の権利」という言葉が、呪いのように脳内で反芻されていた。
「――お姉様! 待ってください、お姉様!!」
王宮のサロンに逃げ込んだ私を、フェリス様が間一髪で捕まえた。彼女は私の腕を掴むと、そのまま無理やり中へと引き込み、重厚な扉に鍵をかけた。
「フェリス様……もう、十分ですわ。私、分かりましたの。お二人の絆は、私の立ち入る隙などないほどに……」
「黙りなさい、お姉様!!」
フェリス様の鋭い一喝が、私の弱音を叩き潰した。
彼女は私の両肩を掴み、その大きな瞳を真っ直ぐにぶつけて、絞り出すように語り始めた。
「……お聞きなさい、お姉様。私はかつて、レオ殿下に命を救われました。絶望の中にいた私を、あの優しい手で引き上げてくださった。……あの方は、本当は誰よりもお優しく、気高く、美しい。私はあの瞬間に、あの方を愛してしまったのです。それからずっと、あの方を推して参りましたわ、これ以上尊い気持ちなどありはしないそう思っていました」
フェリス様の言葉が、私の胸に刺さる。やはり、彼女も殿下の「本質」に触れ、恋に落ちていたのだ。
「でも、それは間違いだと知ったのです。お姉様、貴女と出会って……貴女がレオ殿下に向ける、あの狂信的なまでの眼差し。それが私の心を変えました。あぁ、なんて美しいのかしら。レオ殿下が唯一、心を許し、剥き出しの執着を見せる相手は、この世界にお姉様しかいないのだと。……そう、思い知らされたのですわ!」
フェリス様の瞳に、恋心を超越した、どこかギラついた「観測者」としての光が宿り始める。
「だからこそ、私は決心しました。お姉様……」
その言葉に、私の思考は最悪の結論へと飛躍した。
「そんな……私を正妻にするために、貴女は身を引いて実家に帰るつもりですか!? ダメです!」
私が絶望して叫ぶと、フェリス様は一瞬だけ呆然とし、それから腹を抱えて笑い出した。
「……プッ、アハハハ! お姉様、何を勘違いしていらっしゃいますの? 帰りませんわよ! 私はレオ殿下の**『正妻』として輿入れ(定住)**して、特等席をゲットすると言っているんですの!」
「……え?」
「いいですか。私が正妻になって権力を握れば、お姉様と殿下の恋路を国家レベルで保護できるではありませんか! 私は王妃の座に居座り、お姉様が愛でられる姿を最前列で観測し続ける。これこそが、私の望む最高の幸せですのよ!」
彼女は去るどころか、檻(聖域)の管理者として居座る宣言をしたのだ。
「それに、あの路地裏での密会の正体。……私は殿下を問い詰めていたのです。あの夜、本当は**『未遂』**だったのでしょう、と!」
「――っ!?」
「殿下は図星を突かれた気恥ずかしさと、これから始まる闘争にお姉様を巻き込みたくない一心であんな突き放したような言い方をなすったのですわ。……お姉様を守るためにあえて悪役を演じる。あぁ、なんて尊い献身かしら!」
フェリス様は恍惚とした表情で、真紅の勝負下着を決闘でも申し込むように叩きつけてきた。
「ですが、そんな殿下の『守護』も、供給不足の前には無意味ですわ。お姉様、ちゃんと夜の指南を完遂してくださいませ。じゃないと、私、安心して嫁げませんもの!」
正妻(仮)からの重すぎる「宿題」を手に、私は震えることしかできなかった。




