第3話:外堀は埋めるものではなく、爆破して更地にするものです
「――ということで、陛下。覗き見は万死に値します。今すぐこの場を解散し、各自の職務に戻ってください」
茹で上がった顔をどうにか冷まし、私はメイドとしての鉄面皮を再装着して言い放った。
目の前には、我が国の最高権力者である国王陛下、その次男であるカイル殿下、そして騎士団の期待の星であるアルベルト。この国の枢軸にいるはずの男たちが、なぜ揃いも揃って他人の寝室の扉に耳を寄せていたのか。
「何を言う、アンネ。これは国家の存亡に関わる重大な教育現場の視察だぞ」
「そうだよ。兄上の『初手』がどう出るか、弟として見守る義務がある」
「俺は……まあ、その、お前がいつ鼻血を吹いて倒れるか賭けてただけだ」
この男たち……! 全員まとめてギロチンにかけたい。
特にカイル殿下。貴方は「冷徹な第二王子」として派閥争いの中心にいるはずでしょう。なぜ兄上の初夜事情にそんなに身を乗り出しているんですか。
「アンネ。お前の動揺っぷりを見る限り、レオはなかなかの『素質』があるようだな」
国王陛下がニヤリと笑う。
「……殿下は、ただ純粋なだけです。あの方の無垢な好奇心は、この世の何よりも尊く、そして――私のような不浄な存在には毒が強すぎるのです」
「不浄、ねえ。没落令嬢のくせに、愛が重すぎて聖職者みたいになってるぞ、お前」
アルベルトが呆れたように肩をすくめる。
「……とにかく! これ以上の干渉は教育の妨げになります。私は私のやり方で、殿下を完璧にリードしてみせます。ですから、これ以上は――」
「そうも言っていられなくなったぞ、アンネ」
国王の表情から、ふっとおふざけが消えた。
彼は懐から、豪奢な紋章が刻印された一通の手紙を取り出した。
「隣国のフェリス王女からだ。来月の予定だった来訪を、二週間早めたいと言ってきている」
「――なっ!?」
私の心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
二週間。
つまり、あと十四日しか残されていないということだ。
「フェリス王女……。噂では、非常に聡明で、かつ『手に入れると決めたものは逃さない』苛烈な性格だとも聞く。彼女が早めに来るということは、レオを早々に品定めしに来るということだろう」
(……マズいわ。マズすぎるわよ! 今の殿下は、まだ『女性の手を恋人繋ぎにする』だけで満足しているレベルなのよ!? そんな無防備な状態で、隣国の肉食系かもしれない姫君に差し出したら、骨までしゃぶられてしまう……!)
私の脳内に、レオ殿下が涙目で「助けて、アンネ……」と縋ってくる妄想が展開される。
(許さない。殿下の『初めて』を、そんな政治的駆け引きの道具にするなんて! たとえ正妃になるお方だとしても、殿下を泣かせるような真似はさせない! それまでに、殿下に『主導権』を握れるだけの知識と自信を植え付けなくては!!)
「……分かりました。陛下。スケジュールを前倒しします」
私は、自分でも驚くほど冷徹な声を出した。
「今夜から、教育の強度を上げます。もう『手合わせ』だけで満足している時間はございません。……覚悟を決めていただきます」
「おお、言うなアンネ。期待しているぞ」
「……兄上が壊れない程度にしてやれよ。あと、お前もな」
カイル殿下の言葉を背中で受け流しながら、私は自室へと戻った。
部屋に入り、鍵をかけた瞬間。
私は壁に背中を預けて、ずるずると床にへたり込んだ。
「……無理。本当は、一秒だって持たないわよ……」
震える手で、自分の胸元を抑える。
さっき、レオ殿下が私の手の甲に触れた感触が、まだ熱を持って残っている。
あの天使のような笑顔で「優しく教えて」と言われた瞬間の、視界が弾けるような衝撃。
(でも、やらなきゃ。私がお家を再興させて、殿下の側に『側室』として残る権利を手に入れるためには。そして何より、殿下を幸せにできるのは、世界で一番殿下を愛でているこの私だけなんだから……!)
私は立ち上がり、鏡を見た。
そこには、メイド服に身を包みながらも、かつての公爵令嬢としての矜持――と、一人の限界オタクとしての執念を宿した女の顔があった。
「待っていてください、レオ殿下。今夜は……『ハグ』の作法を、徹底的に叩き込んで差し上げますから!!」
私の鼻から一筋の聖水(鼻血)が垂れたが、私はそれを拭うことすら忘れて、今夜のカリキュラムを練り始めた。
フェリス王女襲来まで、あと十四日。
アンネ・ベルリッツの命を懸けた、真の「夜の教育」が加速する。




