第16話:聖域を侵す足音
「開かずの間」での密室合宿という特大イベントから数日。王宮の空気は、一変していた。
ベルリッツ公爵家の再興を願う、かつての父の家臣たち――いわゆる「長老派」の老人たちが、監査のために大挙して押し寄せてきたのだ。
「……アンネよ。殿下の側室候補に内定したというが、我らは納得しておらん」
かつての父の右腕であり、鉄仮面のような無表情を崩さないゼノス翁が、広間で私を厳しく見据えた。その視線は、かつての主人の娘に向けるものとは思えないほど冷酷だ。
「お前が殿下を『甘やかしている』という噂だ。我らが望むのは、ベルリッツの血を引く者が次代の王を『覇道』へと導くこと。一週間後の御前会議にて、殿下が罪人を冷徹に裁く姿を見せよ。それができねば、お前の側室入りも、お家再興も、すべて白紙とする」
お家再興。その言葉の重みに、私は一瞬、足元が揺らぐような感覚を覚えた。だが、私の脳内フィルターは即座にフル稼働を始める。
(……王者としての証。冷徹な裁き。……そうか。長老たちは、殿下が『優しさ』という盾の裏側に、どれほど強固な『正義の剣』を隠し持っているかを試そうとなさっているのね。なんて教育熱心な方々なのかしら!)
私が鼻血を堪えて彼らの熱意に感銘を受けていると、背後から扇で口元を隠したフェリス王女が静かに歩み寄ってきた。
「……お姉様。長老たちの言葉、気になさらず。……今の殿下なら、彼らの予想を遥かに超える『お答え』を用意なさるはずですから」
フェリス様の瞳は、いつもより落ち着いているように見えた。けれどその手元、隠された魔導水晶が**「微かな期待」で小刻みに震えている**のを、私は見逃さなかった。彼女もまた、この試練が「神回」の序章であることを、本能で察しているのだ。
「アンネ。どうしたの? そんなに青い顔をして」
不意に、背後から冷ややかな、けれど極上の絹のような声が響いた。レオ殿下だ。
殿下は私の肩にそっと手を置き、私を包み込むように顔を近づけた。
「あの老人たちが、君を困らせたんだね。……大丈夫だよ、アンネ。彼らが君の価値を認めないなら、僕が王として、彼らの存在そのものを……『必要のないもの』に変えてあげる」
殿下の瑠璃色の瞳。その奥に、キャンドルの光を一切反射しない「虚無」が広がったのを、私は確かに見た。
「僕と君の邪魔をする人は、もう、一人もいなくていいんだよ。……ねえ、そうでしょ?」
その言葉は、慈愛というよりは、逃げ場を完全に塞ぐ捕食者の宣告のようだった。だが、私の全肯定フィルターに死角はない。
(…………っ!! 今の、聞いた!?
殿下は……殿下は、私の重圧を察して、『僕が王としての全権力を使い、君が働きやすいホワイトな王宮環境を整えてあげる』と、力強く宣言なさったのよ!!
『必要のないものに変える』……それは即ち、『老害となった者たちに名誉ある引退を促し、新時代を切り拓く』という、殿下なりの不退転の構造改革宣言!!
ああ……なんて……なんて責任感の強い、……っ、慈悲深い天使なの……!!)
「はい、殿下! 不肖アンネ、一週間後の会議で殿下が披露なさる『新時代の王の姿』、一秒たりとも見逃さずに拝見いたしますわ!!」
私は溢れ出る情熱を鉄面皮の下に隠し、殿下の「成長」に打ち震えていた。
「……ふふ。期待していてね、アンネ」
殿下が満足そうに私の首筋に顔を埋めた瞬間、背後でフェリス王女が無言でグッと拳を握りしめ、水晶の録画ボタンを押し込んだのが分かった。
世界は今日も、殿下の「覇道」という名の光に満ち溢れている。
私はただ、最高の結末を信じて、さらなる「教育」を加速させる決意を固めたのだ。




