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第14話:押し倒しの教本、逆転の予兆


 揺らめく数本のキャンドルが、天蓋付きベッドの中に長い影を落としている。

 私の首筋に顔を埋めたままの殿下から伝わる、熱い吐息と、かすかな衣擦れの音。

(……落ち着け、落ち着くのよアンネ・ベルリッツ。今は『政治の闇』についての集中講義中。殿下がこれほどまでに密着してくるのは、権謀術数の渦巻く王宮で信じられるのは隣にいる者だけだという、極限の信頼の証……!)

 私は心臓の爆音を「高潔な志の鼓動」だと自分に言い聞かせ、震える手で教本を思い出した。

 この密室という最高の環境。今こそ、最も難易度の高いあの項目を消化する時だ。

「……で、殿下。政治の闇を学ぶには、強靭な肉体的主導権も必要ですわ。さあ、教本の『ステップ7:押し倒しの作法』を実践いたしましょう」

「押し倒し……?」

「そうですわ。男性側が相手を制し、逃げ場を奪うことで、交渉を有利に進めるための……いわば『王者の威圧』の基礎です! まずは私がお手本を見せますので、殿下はそのまま力を抜いていてくださいませ!」

 私は気合を入れ直し、殿下の肩を掴んでベッドへと押し戻そうとした。

 ……はずだった。

「……アンネ。教本には、こうも書いてあったよね。『相手が攻め込んできた時こそ、その力を利用して逆転すべし』って」

(――え?)

 刹那、視界が上下に反転した。

 背中に沈み込むような羽毛の感触。そして、私の真上に、殿下の美しい顔が覆い被さっている。

 私の両手は殿下の長い指によって、ベッドに縫い付けられるように押さえ込まれていた。

「……アンネ。僕を『男』にしたいなら、もっとちゃんと僕を見てよ。……教本の文字ばかり見て、僕のこと、見てないでしょ?」

 殿下の声が、低く、甘く、そして逃げ場のない熱を帯びて耳元で弾けた。

 いつもの「守ってあげたい天使」の顔ではない。キャンドルの光に照らされたその表情は、ゾッとするほど「大人の男」の、あるいは……。

(な、な……今の、聞いた!?

殿下は……殿下は、私の不甲斐ない指導を即座に修正し、『実戦におけるカウンターの重要性』を、身をもって私に教えてくださったのよ!!

『ちゃんと僕を見て』……それは即ち、『小手先の技術(教本)ではなく、目の前の相手を真摯に観察し、その本質を見抜け』という、殿下からの高度な指導哲学!!

ああ……なんて……なんてストイックで、教え上手な天使なの……!!)

 私は、殿下のあまりの「成長の早さ」と、教本を一瞬で応用してみせる「天才的センス」に、恐怖と歓喜が入り混じった奇妙な高揚感で胸がいっぱいになった。

「殿下……! その通りですわ、私の観察不足でした! さあ、その『一瞬の隙を突く王者の振る舞い』、もっと至近距離で勉強させてくださいませ!!」

 鼻から最高級の情熱(鮮血)をシーツに垂らしながら、私は殿下の腕の中で、自分がいかに「優れた推し」を育ててしまったかという喜びに打ち震えていた。

 ……殿下の瞳の奥に、獲物を完全に捕らえたことに満足しているような、暗い悦びが宿っていることなど、一ミリも疑うことなく。



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