第11話:目覚めれば腕の中、そして「慈愛の給餌」
まどろみの中で感じたのは、春の陽だまりのような心地よい体温と、高級な白檀のような、心安らぐ香りだった。
(……ああ、幸せ。天国って、意外とフローラルな香りがするのね……)
私はゆっくりと瞼を持ち上げた。視界に飛び込んできたのは、至近距離にある滑らかな陶器のような肌、そして長く繊細な、プラチナブロンドの睫毛。
(………………え?)
数秒後、私の脳細胞が猛スピードで昨夜の記憶をサルベージしてきた。
膝枕。尊さのオーバーフロー。魔導水晶の爆発。そして、私の意識消失。
現在、私はレオ殿下の腕の中にいた。
私の背中には殿下の腕が回され、私の鼻先には殿下の鎖骨がある。完全なる、抱き枕状態。
(――ひ、ひ、ひぎゃあああああ!! 不敬! 国家転覆級の不敬罪よアンネ・ベルリッツ!! 殿下の御身を、あろうことか私ごときが寝床のクッション代わりにするなんて……!!)
私が全力で飛び起きようとした瞬間、腰に回された腕がギュッと強まった。
「……ん、アンネ。まだ、行かないで……」
殿下が、眠たげな瞳を微かに開け、私を見つめる。その瞳は潤んでいて、捨てられた仔犬のような、庇護欲をそそる光を放っていた。
(……っ! 待って、アンネ、落ち着くのよ。これは……そう、これは『緊急避難的・添い寝教育』だわ!!
昨夜、私が不甲斐なくも尊死(気絶)してしまったせいで、殿下は冷たい床に私を放置するわけにもいかず、かといって一人にするのも心配で、こうして自らの体温で私を蘇生させてくださったのだわ!
自分の安眠を犠牲にしてまで、教育係の健康を守ろうとするなんて……。ああ、なんて……なんて自己犠牲に満ちた、聖母のような殿下なの……!!)
「殿下……。私のために、このような……。その慈悲深さ、ベルリッツ家を代表して、深く、深く感謝申し上げます……!」
私が涙ながらに拝もうとすると、部屋の扉が勢いよく開いた。
「お姉様! 生きていらっしゃいますのね!? 水晶は砕けましたが、現場の証拠は……あら、まあ!」
「兄上、朝っぱらから随分と『情熱的』なご指導だな」
フェリス王女と、ニヤニヤ顔のアルベルトたちが雪崩れ込んできた。
「誤解ですわ、皆様! これは殿下による『体温管理の特別実習』……!」
「アンネ、いいんだ。僕が、君を離したくなかっただけだから」
殿下がさらりと、私の言葉を上書きする。
……その顔には、朝露に濡れた花のような清廉な微笑みが浮かんでいた。
*
一騒動の後、始まったのは朝食を兼ねた新たなレッスン。
カイル殿下が持ち込んできたのは、これまた余計な提案だった。
「兄上、次は『あーん』だ。将来、正妃様が体調を崩された時、兄上が自ら食事を差し出す……。これぞ王者の度量ってやつだろ?」
「あーん……。僕が、アンネに食べさせてあげるの?」
レオ殿下が、小首を傾げる。
「違いますわ、殿下! 逆です! 殿下がされる側……」
私が訂正しようとすると、殿下はすでにスプーンですくった極上のスープを、私の口元に運んでいた。
「はい、アンネ。熱いから、気をつけてね」
(――っ!!)
至近距離で差し出される、銀のスプーン。
それを持つ、細く長い指先。
そして、「さあ、食べて?」と催促するような、吸い込まれそうな瑠璃色の瞳。
(な、ななな……今の、見た!?
殿下は……殿下は、あえて自分ではなく私に食べさせることで、『民を飢えさせない』という国王としての崇高な決意を、私への給餌を通して表現なさっているのよ!!
『あーん』……それは、私という臣下への、あふれんばかりの『ロイヤル・チャリティ』!!
ああ……なんて……なんて民草への愛に満ちた、慈愛の給餌なの……!!)
「殿下……! そのお心、しかと受け取ります……!!」
私は感極まり、震えながらそのスプーンを口に含んだ。
美味しい。殿下の愛(と出汁)が、五臓六腑にしみわたる。
「……ふふ。いい子だ。……もっと食べて。アンネが僕のあげたもので満たされていくのを見るの、すごく……『いい気分』だよ」
殿下が、空いた方の手で私の頬をそっと撫でる。
その指が、私の唇の端を親指でなぞるように動いた。
(……ああ。殿下は、私の食べ残しを拭ってくださるほどに、隅々まで行き届いた配慮を……。なんて、なんて謙虚な天使なの……!!)
「……おい、アルベルト。兄上のあの顔、完全に『餌付け』を楽しんでるだろ」
「……ああ。しかも『僕のもの』って印をつけるみたいに、ずっとアンネの体に触れてるしな。……本人は『慈愛です!』って拝んでるけど、あれ、傍目には完全に『支配』だよな」
アルベルトたちの呆れた声も、フェリス王女が「今の指の動き、記録したい人生でしたわ!!」と悶絶する声も、今の私には心地よい聖歌にしか聞こえなかった。
(世界は今日も、殿下の優しさで満ち溢れているわ……!!)
鼻から一筋の「情熱」を溢れさせながら、私は殿下の差し出す次の一匙を、敬虔な信者のように待ち受けていた。




