起-6 賢者と聖騎士
書庫の重たいドアを開けた小柄な少女が、廊下の向こうから歩いてくる人影を見て、ひゅっと変な音を立て息を止める。
「おや、小川さん」
開けているか開けていないかがわからないような細い目ではあったが、允恭の視力はかなり良い方である。10メートルほど先であれば、らくらく個人を識別できるレベルの視力だった。
「こんな時刻まで、魔法のお勉強ですか」
にこやかな笑顔、そして穏やかな声。ゆったりとした身のこなし。
だが、賢者小川菫は、大きな本を胸に抱くようにぎゅっと身を固めて後ずさる。
菫は、誰とも言葉をかわさなかった。
意思は首を横に振るか、それとも頷くかで示す程度。謁見の間での騒ぎ以降、彼女の声を聞いたことがある者はいなかった。
召喚されてすぐ、といえる間、女官や魔道士たち、それに神官らに持て囃されていたものの、重度の吃音のために意思の疎通がスムーズに行えないことから、すぐに菫に対する興味は嘲笑へと変わっていった。
年配の大臣らの中には幼女趣味の者がいるのか、事あるごとに菫の未発達な身体に手を触れようとする者も少なからずいる。
助けを求めるために声を上げても、つまりながらでないと話せない吃音のため、騎士や女官にすら嘲笑われる状況だ。さらに、世話係のメイドの中には、菫に謂れのない敵意を向ける者もいた。
「もう夜も遅くなりました。部屋までご一緒しましょうか?」
菫が首を横に振る。
その目には、警戒と嫌悪の感情が浮かんでいるが、あいにく允恭にはそのことがわからない。
小柄で幼児体型、そして儚げな容姿。小川菫は中学生ではあったが、小児性愛者の允恭にとって是が非でもモノにしたい相手であった。
同時に、小川菫は軽度の発達障害を持っているものの、知能指数は実に160、全人類の上位わずか0.02%以内、1万人に1人というズバ抜けた頭脳を持っている。
表情も、よく見ないとまったく動いていないように見えるほど乏しい。
「……そうですか、残念です。では、私は先に戻ります」
允恭が踵を返しても、菫はまったく警戒を解かなかった。
通路の先、允恭の背中が見えなくなるまで見送ってから、本を抱えたまま全速力で廊下を駆け出す。
小柄な身体とおとなしそうな見た目からは想像もできないほど、菫は身軽だった。
おまけに彼女は実は長距離走が得意であり、スタミナにも絶対の自信がある。
「け、賢者様、そんなに急いでどちらへ? 危ないですよ!」
慌てて声を掛けたのは、菫の世話係として着けられているメイドの中の一人だ。
「賢者様? あ、あの?」
メイドの声に一切反応を示さず、菫は走るペースを一切緩めず、わざと遠回りをして自室へ入り、同時に部屋の鍵をすべてかけた。
メイドにとってはこれは毎日のことであり、菫はこうして夜部屋に戻ってからカギをかけると、翌朝まで何があっても出てこない。
「……ったく、何なのよあのガキ。気味悪いわ……」
諦めたメイドはため息をついて、ドアの前から去っていった。
ドアに耳を当てて様子をうかがっていた菫は、気配が消えた事を確認して机の上で大きな本を広げる。
開いたページには、菫もみたことがない文字がびっしりと記されている。
少なくとも日本の義務教育では見ることが無いであろう図式に、魔法陣と思しき図形。
大魔道士である中西藍子は、まだこの魔法陣などを学ぶ段階まで辿り着いていない。勇者である須藤誠は、未だに魔力の自覚ができない程度の段階である。
だが、菫は彼らとは明確に異なっていた。
すでに王城の書庫にある魔導書の多くを読破し、独学で魔法陣学、魔法工学の論文を読み漁れるところまで到達していた。
この日菫が自室に持ち帰ったのは、召喚術に関する魔導書であった。
机の引き出しから紙、ペンとインクを取り出し、何事かを考えるように時折上を見上げながら凄まじい勢いで複雑な魔法陣を紙に記していく。
最後に、ペン先で自分の指先を突いて血を1滴魔法陣に垂らす。
分厚いカーテンがなければ、部屋の外まで相当に明るい光が漏れていたことだろう。
閃光とともに現れたのは、漆黒のマントを身にまとい、黒髪に深紅の目、そして角を持つ男だった。
どこからどう見ても悪魔かその眷属であるが、菫はまったく怯む様子もなく、まっすぐにその男を見据えていた。
『……吾輩を召喚したのが、よもや斯様な子供とは……』
男は奇妙な声でそうつぶやくと、黒髪を優雅に書き上げる。
『吾輩は地獄の大公爵、アシュタロス。……どうやらこの世界は吾輩がいた世界とは少々異なるようだが』
こくり、と菫が頷く。
何事かをさらさらと紙に書き記しているが、それは何らかの数式と図形であった。
『ふむ……なるほどな、ここは地球とは異なる世界、異なる神が支配する世界、ということか……面白い、実に興味深い場所へ召喚してくれたものだ。それで、貴様は吾輩に何を望む? 告発者である大公爵アシュタロスが、貴様の望みを聞いてやろう』
「…………さ……さ、さが、探して……」
『ほう、何を探す?』
「お、おね、おね、おね、おねえ、お姉さん、せ、背が、背が低くて、髪が、み、短く、て、け、けん、けん、拳王、って言うひ、人と、い、い、い、い、一緒、に」
『……貴様、名はスミレというのだな?』
こくり。
『話すのが苦手であれば、心の中で吾輩に語りかけるがいい。吾輩にはそれで通じる。それに、吾輩が姿を消しているときでも、貴様の心にだけ語りかけることも出来る』
アシュタロスは尊大にそう言うと、口を閉じたままじっと菫と視線を合わせた。
【このようにな。今吾輩は声を出さず、貴様の心に語りかけている。さぁ、吾輩に望むことを言うが良い】
【笹川綾子、という人を探して欲しい。この城にいる人達は誰も信用できない。大河内佐武郎と言う人、拳王のスキルを持っている大きな人と一緒にいるはず】
【ほう、心の中は饒舌ではないか。嫌いではないぞ。それで、探してどうする?】
【合流したい。ここにいたら私の身が危険。あの坊主、村上允恭は変態で私のカラダを狙ってる。勇者の須藤誠はメイドさんをイジメてばかり。私も城の人たちにイジメられてる。大魔道士の中西藍子も贅沢と男漁りしか考えてない。王様は贅沢と食べることにしか興味がないし、こんな国はもうすぐダメになる。早く逃げたいけど、逃げる先のあてがない。だから綾子さん達と合流したい】
【なるほど。貴様、見た目によらず聡いと見えるな。よかろう。その笹川綾子の声でも姿でも良い。思い浮かべるが良い。すぐに探してやろう】
菫がすっと目を閉じる。何事かを思い出そうとするかのように、小首をかしげて考え込んだ。
【…………ふむ、もう良いぞ。だが……なんというべきか、貴様の頭の中から読み取った情報から女の居場所は分かった。この女はずいぶんと思い切った決断をしたようだな】
【どういうこと? どこにいるの? 無事なの?】
【笹川綾子と大河内佐武郎の足取りは分かった。が】
アシュタロスは、窓の外の方角、西を指さした。
【2人は、魔族領とやらに向かっているぞ】
「な」
菫が思わず声を出した。
『どうする、我が眷属を放ち追い付かせれば、連絡くらいは取れるようになるが』
一瞬だけ考えて、菫は大きく頷いた。
まさか王城内に大悪魔が召喚されたなど知る由もない勇者須藤誠は、裸のメイドたちが横たわるベッドに振り返る。
朝から排泄の時間以外はずっとベッドの上で過ごし、何度メイドたちの胎内に精を放ったかも覚えていない。にも関わらず、彼の体力は衰えるどころか、いくらでも女を抱けるのではないかと思えるほどに充実していた。
「やべぇ、マジやべぇよ……ヤッてもヤッても治まんねぇ」
ワインをぐいっと飲み干して、汗だくで横たわるメイドの尻を鷲掴みにする。
「あぁっ、ゆ、勇者様、もう許して……」
かろうじて顔を上げたメイドは、本気で懇願する目を勇者に向ける。
「……しょうがねぇな。今日はこれくらいで勘弁してやるか。オマエだけでも何発ヤッたかわかんねえしな」
「さすが勇者様……男の中の男でございますわ」
ベッドの枕近くで、乱れた髪を整えているのは、20代半ばと思しき女性。
全身を飾るアクセサリーの数から、彼女が相当に高い身分にある女性であることは見て取れた。
「まぁ魔族か何か知らねぇけどさ。俺がボコってやるから」
誠がニヤリと笑みを浮かべると、貴族の女は妖艶な表情を浮かべる。
グラドルでもここまでのプロポーションはあるまい、と思えるほど豊かな胸にくびれたウエスト、引き締まった尻に腹。
彼女、ベルナデッタ・ビアンコは、王宮内で勇者の後ろ盾となっている、第四王女であった。
国王の側室の娘であり、何事もなければ国内の高位貴族のもとへ嫁入りすることがほぼ決まっていたが、彼女にとって勇者の出現は人生を大逆転させる最大のコマであった。
こうして勇者に取り入り、もしもその子供を宿すことがあれば。
彼女は勇者の妻となり、次代の勇者の母となるチャンスを掴みかけている。
極上の酒、そして怪しげな香と、特に良いカラダのメイド、そして最後に自らの肢体を捧げ物のように差し出して、こうして勇者の寝室に入り浸る立場を手に入れた。
「あぁ、嬉しい……私、魔族が怖いのです。どうか勇者様のその手で守ってくださいませ」
シーツをはら、と落とし、艶めかしい裸体のまま勇者の背中へと抱きつく。
すべてが計算。ことごとくに裏がある行動。
須藤誠にとっては、それでも良かった。
今の勇者、須藤誠と第四王女ベルナデッタは、まさしく持ちつ持たれつの関係である。
彼の記憶では、彼は爆発に巻き込まれて死んだはずである。
それが、見たことも聞いたこともないような場所に突如放り込まれ、庇護する者も何も無い状態で突然戦争に巻き込まれた。
ラノベでよく呼んでいた異世界召喚が、まさか自分の身に起こるとは思っていなかった。
勇者というスキルを与えられ、周囲は自分を必死で持ちあげる。が、彼は所詮高校2年生の子供とすら言える歳だ。ホームシックや不安感を紛らわせるように、城の女官やメイドたちのカラダにおぼれていった。
権力を持つものに気に入られたのであれば、それは最大限利用するしか無い。
こうして打算と計算がありありと見て取れる相手であっても、つかの間の恐怖を忘れるための肉欲のはけ口であっても構わなかった。
「勇者様、お慕い申し上げます……」
「大丈夫、俺が守ってやるよ、ベル」
「あぁ、なんて凛々しいお方……頼りにしております、勇者様」
誠は軽々と大柄なベルナデッタを抱えあげると、全裸のメイドが3人ぐったりとしたままのベッドへと向かう。
「面倒なことはベルにおまかせ下さいませ。勇者様は、何よりもお子を遺さねばなりません」
「だよな。やっぱそれだよ」
うふふ、とベルナデッタは妖艶な笑みを浮かべ、しなやかに指を誠の胸元に這わせる。
「ベルを可愛がって下さいませ。勇者様のお子を、ベルに産ませて下さいませ」
「もちろんだ。ほら、可愛がってやるよ」
「あぁ、勇者様……」
王城の夜は、この日もふけていった。




