結-12 解放者
サンサルバシオンの新たな王バルザックは、王に即位して以来、ただの1度もベッドで横になって休んだ日がない。彼は連日執務室の椅子に腰掛けたまま、机に突っ伏して眠っている。
毎日の食事も仕事をしながら片手で食べ、雑務の多くを国務大臣として働くツァイスにまかせているものの、混乱を極めた国を落ち着かせるため、文字通り王は寝食を忘れ働き続けていた。
そんな彼のもとに嘆願書を持ってきたのは、護衛長を務める女騎士、アレクサンドラである。
「珍しいですね、サーシャが嘆願書とは」
「は。陛下がご多忙であられることは重々承知しておりますが」
「サーシャ、ここでは『陛下』はやめてください。昔通り呼んでくれた方が気が休まります」
「しかし陛下」
「サーシャ」
バルザックは、目の下に盛大にクマを作ったままの顔で、力なく笑みを浮かべる。
「王の命令、と言えば聞いてくれますか」
「……わかったわ、バル」
ふぅ、と諦めたようなため息を吐いて、アレクサンドラはバルザックの正面の椅子に腰掛ける。
「それで、嘆願というのは?」
「国の寒村、貧しい地域の調査に予算と人員を割いてほしいの。それから、教会や孤児院への寄付も」
「……何かあったんですか? サーシャは今までそんな話題に興味を持ったことがなかったと思いますが」
静かに身を乗り出したバルザックは、つとめて穏やかな、落ち着いた声をかける。
「初めて自分の目で現実を見たの。……寄付を届けに行ったのだけれど、私の思い上がりだった。まだこの国には、明日の食べ物にも事欠く民が大勢いる。彼らにも手を差し伸べなければ、私達はアレキサンダー王と同じになってしまう」
「気持ちはわかります。私も同じ気持ちです。ですが」
両手を目一杯広げてもまだ余裕のあるほどの大きさの机には、もはや隙間も無く、上から覗き込まなければバルザックの顔も見えないほどうず高く書類が積み重ねられている。
膨大な量の書類は、バルザックの確認や承認、決裁を待つものである。
「国の予算はギリギリ、大臣たちに払う給金も事欠いています。国のインフラも整備しなければいけませんし、それに——」
「バル、お願い」
アレクサンドラは王の言葉を遮って、バルザックの足元に跪いた。
「人を出せないなら私がやる。だから」
「……本来は来年度の予定だったんですが、戸籍調査をする事になったんです。税収だけじゃない、農林水産業の生産能力の把握に、人の分布を正確に知らなければならない、という助言を頂きまして」
誰からの助言かについては明言を避けてはいるものの、そのアドバイスがゴルドベルクからのものであろうことは、アレクサンドラにも想像出来た。
「国務大臣のツァイスに指示を出しています。複数の調査チームを派遣して、できる限り国内の情報を整理する予定なんです」
「それなら! その予定があるのなら私も!」
「ダメです。調査チームのメンバーもほぼ決まっている状況です。今は予算も動かせる額には限りがあります。ただでさえゴルドベルクからの補助金と借入金、それに国宝を売り払ったお金でギリギリ国を保てている状態です。サーシャが何を見たのかはわかりませんが、信じて待つというのも人の上に立つ者には必要ですよ」
ぱたん、と丁寧にペンを机において、バルザックは優しくアレクサンドラの肩に手を置いた。
「でも、今のサーシャの気持ちは大事なものです。絶対に忘れないで下さい」
「……バル……私は」
「わかっています、困窮する民を救いたいのは私も同じです。信頼できるスジを頼りましょう。また借りを作ってしまいますが、背に腹は替えられません」
「え、信頼できるスジ……?」
きょとんとしたアレクサンドラに、バルザックが力なくウィンクをして見せる。
「敵に回すと厄介この上ないですが、同時にこの上なく頼れる相手がいるんです。書簡を出しますから、『彼ら』が着いたら事情の説明をお願いしますよ」
「もちろんです! 私に出来ることならば!」
アレクサンドラは7日後、自らの勇み足をやや後悔することになる。
彼女の前に腰掛けているのは、賢者と名高い少女小川菫に、バルトークの聖女と呼ばれる法術士にして、何故か多くのオーガ兵に『姐さん』と慕われる小柄な女、笹川綾子。
そして黒衣に身を包み、真紅の瞳で傲然とアレクサンドラを見下ろす不遜な男、アシュタロス。
「まぁ他ならぬバルザックの親分さんの頼みだし、それにヨシュア様とエミリアさんの頼みでもあるしね」
小柄な聖女、笹川綾子は1枚の書簡をアレクサンドラに差し出した。
「目録よ。とりあえずの急場凌ぎのための食糧支援。王都の城壁の外にウチの若い衆を待機させてるわ。言っとくけど、貴族が麦の1粒でもちょろまかして見なさい、そのときは」
綾子の小さな身体が少し前のめりになる。
騎士として剣術を極めたアレクサンドラならば、本来なら脅威のかけらも感じない相手であるはずだ。が、このときアレクサンドラの背中には冷や汗がじんわりと滲んでいた。
「産まれてきた事を後悔する、っていう貴重な体験をさせてあげるわよ」
「わ、わかった……いや、わかりました。ヨシュア王、それにエミリア・ダンタン中将の慈悲に心から感謝します」
「ふぅん、随分と殊勝じゃないの。スジを通すってことくらいは覚えたみたいね?」
「あ、あや、あ、あ、ああや、子、さん」
「ん? どしたのスミレちゃん?」
一際小柄な少女が、急かすように綾子の服の裾を引っ張る。
「ごは、ご、はん、は、はや、はや、早、く、届け、と届けない、と」
少女は吃音のせいで、なかなか言葉を紡ぐことが出来ない。が、その意思はしっかりと伝わっていた。
「そうね。お腹空かせて泣いてる子供がいるんなら、最優先事項はそっちよね」
勢いよく小柄な綾子が、そして綾子よりも背の低い賢者、菫が立上がる。
「さぁ、ぼさっとしてんじゃないわよ。配分は目録の通り、後日配分先にある村には組のモンを視察に向かわせる。きっちりブツを届けて。今すぐよ、ハイ状況開始」
「う、うむ。ありがたく使わせて頂く」
続いてアレクサンドラも立ち上がり、勢いよくドアを開けた。
「王都騎士団、第一から第四分団は王城正門前に集合! 大至急だ! 急げ!」
アレクサンドラの号令に、若い騎士たちが敬礼を返し一斉に駆け出した。
彼女は今や、王の護衛長であるだけでなく新生サンサルバシオン王国騎士団の副長を勤めている。そして、開け放たれたドアから騎士団長が顔をのぞかせた。
「フォード団長、ゴルドベルグのヨシュア陛下から、緊急の食糧支援物資を届けて頂きました。これより騎士団の第一から第四分団で食糧配分のため運搬作業に入ります」
「うむ、バルザック陛下から話があった件だな。承知した。そして」
初老の男も疲れた顔ではあるが、先の王や女王の治世の間浮かべていた懊悩の表情は消え失せている。
「騎士団長として、いや一人のサンサルバシオン国民として、心から御礼申し上げる」
「そうね、貸しにしとくわよ」
フォードが深々と下げた頭に、綾子が軽く返した。
「さてと、それじゃアシュさん、食糧運搬部隊に例のあの子達、護衛につけてくれる?」
『まったく、貴様は相変わらず軽々しくものを言ってくれるな。まぁ良かろう。我が主スミレよ、構わんな?』
「おね、おね、お、お願い」
うむ、と短く低い声で答えると、地獄の大公爵ことアシュタロスは両手を高く掲げた。
『出よ、我が下僕』
狭い室内に赤い光が浮かび上がる。
あまりの眩しさにアレクサンドラが目を閉じ、再び開けたときには、黒尽くめの男の傍らには三つ目の少年が跪いていた。
『お召しにより参上いたしました、閣下』
『うむ、ご苦労。これより我が主、スミレの慈悲により食糧を配る。途中万が一にも奪われることのないよう護送せよ』
『御意に』
「あぁ、ちょっとまってセンチネルちゃん」
どう間違っても『ちゃん』など着けて呼ばれることがなさそうな魔物に対して、綾子はまるで親戚の子供でも呼び止めるような軽々しさで声をかけた。
「ついでにさ? 不正に懐に入れたりする奴がいないように見張ってくれる?」
『……とのことでありますが、閣下?』
『致し方あるまい。そのようにせよ』
『御意。不正を試みたものは如何しますか?』
『とりあえず殺せ』
『御意』
「そうね、今回は私も同感。不正を試みた時点でヤっちゃって」
『ほう、アヤコよ、貴様も話がわかるようになったではないか』
「……アシュさんに褒められても、なぁんか嬉しくない。じゃあセンチネルちゃん、よろしくね?」
『承りました』
短く答えると、少年の姿は霞のように掻き消えた。
「あ、アヤコ殿、あなたは一体……何者なのだ」
「ふふん、よくぞ聞いてくれたわ」
アレクサンドラの問に、不敵な笑みを浮かべたアヤコが答える。
当然のように菫を守るようにその小さな身体の背後に立ち、傍らには大悪魔を従えるかのように傲然と立つその姿は、女帝という言葉がよく似合う。
「笹川組改め、ゴルドベルク王国軍管轄下の公認マフィア、『リベルタドール』の首魁にしてバルトークの聖女、笹川綾子たぁこの私のコトよ」
ドドン、という効果音が似合いそうな迫力の自己紹介。
彼女が従える組織『リベルタドール』には、多くのエルフ兵、オーガ兵、ドワーフ兵が工作員として所属している上、猛将と名高いエミリア・ダンタン中将を妻に娶った拳王、そして魔導を極めた賢者までもがその名を連ねている。
控えめに見ても小国の軍事力程度は凌ぐであろう勢力を誇り、義賊としてその名を裏社会に轟かせつつあった。
「曲がったことは大嫌い、気に入らないヤツは叩き潰す。仁義を絶対のルールにする任侠集団、それがリベルタドールよ。覚えときなさい」
恐らく1対1で戦えば、アレクサンドラが勝つだろう。
だが、恐らくいざ戦うとなればアレクサンドラは剣を抜く前に仕留められているに違いない。
何故か、そう確信するだけの迫力が、眼の前の小柄な女の全身から溢れ出ていた。




