結-9 平和な日々とこれから
サンサルバシオンとゴルドベルクの間の降伏条件交渉は、最初は難航したものの、最後には女王ベルナデッタ側が条件付降伏を撤回し、無条件降伏を受け入れることで妥結した。
圧倒的な戦力の差に加えて国力も桁違い、おまけにサンサルバシオンの国内では一部地方都市が独立を宣言するなど混乱が続いている。
おまけに、王都での治安も急激に悪化している上、国庫はほぼ底をついてしまっている状態。
当初、宰相のツァイスと女王ベルナデッタは、王家の存続を前提とした行政顧問団の受け入れと、期限付きでの統治権譲渡と戦時賠償請求権の放棄などを条件としていた。
が、大将軍、雷帝エアリアの
『宰相閣下は随分と御冗談がお上手ですこと。冗談も過ぎると、雷が落ちますわよ?』
の一言で交渉の風向きは一気に変わった。
エアリアがほんの少しでもその気になれば、現在のサンサルバシオンなどほんの数時間で全土が焼き尽くされてしまう。
ゴルドベルク王のヨシュアからベルナデッタへの要求は、戦勝国から敗戦国に対する要求にしてはかなり穏当で控えめなものだった。
サンサルバシオンからの独立を要求する地域に対しては、独立交渉に応じ基本的に独立を妨げないこと。
現女王ベルナデッタと、現在ビアンコ王家に属する者の国外追放。
行政権、立法権、司法権、さらには軍権の全てを旧王家から完全に切り離す事。
さらに、その交渉の場にいるサンサルバシオン側の誰もが驚きのあまり絶句した条件が、バルザックを王とすることだった。
この条件に強硬に反対したのが、バルザックの妹でもある女王ベルナデッタだった。
また、バルザック自身もその条件には難色を示していた。が、王都への帰還を果たした際に困窮する祖国の民の姿を目の当たりにして、覚悟を決めたようだった。
そしてこの日、サンサルバシオンでは女王ベルナデッタの短い治世は終わり、新王バルザックの即位式典が行われていた。
騎士団は一度完全に解散、貴族も多くが捕縛、投獄されるか、国外追放の憂き目にあっている。
官僚や行政組織については、ゴルドベルクからの顧問団が派遣され、基本的にゴルドベルクの方針にそった政治が行われる事となる。
「アヤコもスミレも、式典に行かなくてよかったのか」
ちょうどバルザックがゴルドベルク王ヨシュアの手により王冠を授けられているまさにその時、綾子と菫はゴルドベルク王都パンゲアのダンタン中将邸でくつろいでいた。
「いいのいいの。どうせ何か退屈で仰々しくて面倒くさい式典なんでしょ? 私はパス」
「あ、わ、わた、わた、私も、ひ、人が、い、い、いる、いる所、は、に、に、にが、に、苦手」
「そうか。まぁ他国の王の戴冠式典など私も興味はない。それよりも」
半裸とも言えるほどはしたない服装のエミリアが大きく伸びをすると、山のようにそびえる巨乳が突き出される。
「私は一日も早く子を産まねばな。少し休んだら旦那様を叩き起こして子作りだ。本来なら発情期はまだ先だが、旦那様の精を受ければ妊娠する可能性はゼロではない」
「そ。頑張ってね。スミレちゃん、私達もちょっと休んだらお出かけしよっか。本屋さんと、あとロールクッキー買いに行こうと思うんだけど」
菫の表情がぱっと明るくなり、こくこくとしきりに頷いた。
綾子にとってはもはや妹同然の菫の笑顔をみ、つい綾子も笑みを浮かべた。
「……あの国、どうなんのかしらね」
「公爵が王位に就くらしいからな、現状に比べれば果てしなくマシになるだろう。それに行政府に治安維持部隊もゴルドベルクからいくらか人員を派遣するそうだ。まぁサンサルバシオンは国名こそ変わらんが、事実上の国家解体といったところだな」
「ふぅん、女王もよく受け入れたわよね」
「積極的に受け入れたわけではないようだな。あの宰相の若い男が女王を説得したらしい。敗戦にあたって、国家の滅亡や民衆のこれまで以上の困窮だけは避けた、といった具合だろう。どこを犠牲にして何を護るのか、その判断を誤ると国が滅ぶだけでは済まんからな」
「そうね。そのナントカ宰相ってのはサンサルバシオンの良心ってやつだったのかしら」
「うむ、若い割に有能で、サンサルバシオンの政治家にしては珍しく賄賂の類も受け取っていなかったらしいな。母上も陛下も、この宰相はバルザックの補佐につけると言っていた」
「ふぅん。ま、どうでも良いわ。あんな国どうなろうが私の知ったこっちゃない」
綾子が立ち上がり大きく伸びをすると、まるでその真似をするように菫も立ち上がって軽く伸びをする。
菫が両腕を挙げ、身体を反らせると服の上からでもブラジャーの類を身に着けていない事が見て取れた。
「……ね、スミレちゃん、普段ちゃんと肌着着けてる? っていうかそうよね、中学生ならまだカラダも成長するわよね。ねぇエミリアさん、スミレちゃんくらいの体格の女の子用の肌着、どっか売ってる店って無い?」
「ふむ、それなら案内をさせよう。パル、パルはおらんか」
エミリアがドアの向こうへと声を掛けると、小柄な耳の長い女が歩み入ってくる。
「お呼びですか、奥様」
「うむ。スミレはちょうどパルと同じような体格だな、パルが身につけている肌着を買った店を教えてやってくれ。スミレにもちゃんとした肌着を揃えねばならん」
「畏まりました、奥様。それではアヤコ様、スミレ様、外出の用意を致しますので少々お待ちを」
パル、と呼ばれたエルフ族の使用人は、外見だけで言えば菫と同年代の少女だが、実年齢はエミリアと同じく200年を越えて生きている。エルフ族は長命種と呼ばれるもので、エアリアに至っては1500年を越えて生きており、正確な年齢は本人も含め誰も知らないのだという。
「まぁアレよ、肌着もいるしさ、私もオンナノコの日とか色々あるし、色々買いたかったのよね。……ってスミレちゃん、そう言えば……あの日とかどうしてたの? すごい今更だけど」
「あや、あ、あ、綾子、さん、あ、あの、あ、え、あの」
菫が耳まで顔を赤くして、口を綾子の耳に近づける。ぼそぼそと何事かを辿々しく呟く。
「えっ、スミレちゃん、まだだったの?」
「なんだ、どうしたアヤコ、スミレがどうかしたのか?」
「いや、あのー……まぁ、えっと、あのアレよ。要はその」
ちら、と綾子は菫に視線を移す。いつも無表情で落ち着いている菫にしては珍しく、顔を赤くして俯いていた。
「スミレちゃん、まだ初潮来てないのよ。でもほら、スミレちゃんもいつ初潮来てもおかしくないしさ? そういう品を買う店とか使い方とか、知っておいた方が絶対にいい。……ってかそうよね、人間の性教育だったら、私がやんなきゃよね」
「ご、ご、ごめ、ご、ごめん、な、なさ——」
「スミレちゃん、謝らないの。こういうのはね、もともとオトナが教えるものなの。当然のことだから、謝ったりしないでいいの。大丈夫、おねえさんが何でも教えてあげるから」
「そうか、ニンゲンならば『月のもの』があるか。確かパンゲアにもその辺りのニンゲン用品を扱う店もあるはずだ」
「あ、エミリアさんそれめっちゃ助かる! いやぁ、私も困ってたのよね。よかったぁ、一応あるんだ、そういうの」
「うむ。まぁエルフ族は10年に1度、オーガ族も2年に1度程度だからな。いわゆる発情期には家に籠もっているものなのだが、ニンゲンは毎月と聞く。難儀なものだな。パル、街の店をひと通り教えてやってくれ」
「畏まりました、奥様」
いつの間にか着替えを済ませていたパルがドアの傍に控えている。
菫と綾子は普段着ではあるが、いつでも出かけられるような服装だ。3人は連れ立って中将邸をあとにしてパンゲアの街へと繰り出した。
綿密な都市計画に基づいて設計された街と、徹底的に整備されたインフラを誇るパンゲアの街は、財布を落としても中身も財布そのものもちゃんと落とし主の手元に返ってくる、と評判だ。
良好な治安に非常に高い民度、教育水準もモラル水準も非常に高い。人間達が魔族や蛮族と蔑むゴルドベルクの文化水準は、人間たちのそれを遥かに凌駕している。
「しっかしいつ見てもきれいな街よねぇ」
「恐縮です」
綾子の感嘆の声に、パルが落ち着いた声で答える。
「ねぇパルさん、この街ってさ? マフィアみたいなのっているの?」
「はい、ございます」
「え、あるんだ」
意外な回答をあっさりと返したパルの顔は大真面目だ。
「マフィアというよりは、諜報部隊と表現するべきかもしれません。多くのものが暮らす都市では、どうしても暗部といったもの、ギャング組織などが生まれてしまいます。彼らは放置しておけば、市民の生活への脅威となってしまいます」
「ま、確かにそうよね」
「ゴルドベルク軍では、この街に4つある組織を軍の管理下に置いております。彼らは法で対処が難しい問題や他国からの諜報員のあぶり出し、といった表立って対処することが難しい問題への対応を担っております」
「なぁるほどね、軍が管轄するヤクザか……それじゃあ、そういった人たちが市民の脅威になるような事は?」
「ほぼございません。末端の構成員でも問題を起こせば軍が対処に乗り出しますので」
道路にはほぼゴミ一つ落ちておらず、若い女性が1人で意気揚々と街を歩いている姿をよく見かける。サンサルバシオン王都では、シスターですら女性の独り歩きは極めて危険と言われていた。
路地に入れば追い剥ぎやギャングが群がるような有り様であった。それがこのパンゲアでは、人通りの少ない裏路地であっても子供が1人で歩き回れるような治安の良さである。
「先代魔王様、ヨシュア様の母上様が治安と教育に関しては、徹底的に本腰を入れて対処を進めておられました。ヨシュア様もその路線を継承しておられます」
「え? 先代魔王様って、女王様?」
「はい、左様でございます。エアリア様と同じ師に学ばれた仲であったと聞き及んでおります」
先代魔王、ヨシュアの母の治世は実に数百年におよび、その間他国から侵略されることはただの一度もなかったと言われる。
一説には、雷帝エアリアに並ぶ魔道士であったとも言われ、『轟炎のマリアベル』の二つ名で呼ばれていた。炎の魔法を得意とし、当代の魔王ヨシュアはその母をも凌ぐと噂されている。
「しっかしバカよねぇ、サンサルバシオンも。そんな国に攻め込もうなんて、何トチ狂ったことやったんだか」
「全くもって仰るとおりでございます」
「まぁその国もさ? 今じゃ王も代わってバルザックさんが親分ってとこなのよね? 多少はマシになるのかしらね」
「バルザック殿は人格者で、政治手腕にも優れていると伺っております。シュワルツ・カステルはインフラ水準こそパンゲアに劣りますが、統治思想や方針はヨシュア様と通ずるものがあるとか。そこに暮らす民の立場からすれば、サンサルバシオンのアレキサンダー王が治めるという悪夢に比べれば天国でございましょう」
パルのサンサルバシオンに対する評価は一切の容赦がない。
「ササガワ様、スミレ様、到着いたしました。こちらがロールクッキーの名店でございます」
不意に足を止めたパルが指し示したのは、古びた小さな菓子店だ。
菫の目が見開かれ、何度かすんすんと鼻で息を吸い込んだかと思うと、ずかずかと大股で入口へ歩み寄り、綾子とパルを待たず店へと入っていった。




