結-8 久しぶりの王都
綾子とサブの2人がサンサルバシオン王都へ入ったのは、会談の翌週の事だった。
バルザックにとっては数年ぶりの帰郷で、3人はゴルドベルクの馬車に乗り、正面の城門から正々堂々と都市へと入る。
「相変わらず、荒んでるわね」
「ま、まさかこんな……ここまで民が疲弊しているとは……」
場所の窓から見える街区の景色は、綾子にとってはみたことのある光景だ。
が、公爵バルザックは、疲れ果て薄汚れたままでやせ細った民衆の姿を見てなお、じっと馬車にこもっている事が出来なかった。
「あ、ちょっと! 公爵?」
「すみません、ちょっと待ってて下さい!」
突如、ゆっくりと動く馬車のドアを開けバルザックが馬車から飛び降りる。
「ああもう、しょうがないわね。サブ、一緒に来て」
「はい、お嬢」
急いで馬車を止め、サブと綾子も勢いよく馬車から降りた。
バルザックは護衛の騎士たちが周囲を固められながらも民衆に声をかけていた。
やれやれ、と公爵を眺める綾子とサブに、不意に後ろから可愛らしい声が投げかけられる。
「あっ! おねえちゃん!」
声がした方向へと振り返ると、そこにはまだ少女としか呼べないような小さな女の子。そのすぐ後ろには、疲れ果てたような表情のシスターが立っていた。
「……あっ、えっと……あのー、ほらあのアレよ、ここまで出てるの、忘れたんじゃなくて。ほら、教会のあの子よね? ラザニアちゃん? ……じゃないわよね? あの、ウソじゃないの。忘れたわけじゃなくてね? ホントよ? ちゃんと覚えてるの。教会で怪我してた、あのー、シスターも確かエリーさん? サリーさん? じゃなかった、なんだっけ……ほら、ねぇサブ?」
「え、お嬢、俺ですか」
「おねえちゃん、私! ナタリア! こっちはシスターマリー!」
「そう! ナタリアちゃん! それにシスターマリー! 思い出した。ごめん、私、人の名前覚えるの苦手なのよね」
「お久しぶりです。お元気でいらっしゃったんですね?」
シスターが一気に明るい表情になり、2人の元へと歩み寄ってきた。
「おかげさまで、あれからナタリアもすっかり元気になりました。教会もかなり落ち着いていまして、教会の周りのみなさんも、借金もなくなったおかげで」
「まぁまぁ、うん、とりあえずそれは良かったわ。それでシスター、どうしたの? 随分疲れてない?」
「あのね! シスター達が教会の床とか天井とか直してるの。それで」
「あぁ、力仕事かぁ……そりゃ疲れるわよね。じゃあシスター、ちょっと背中こっちに向けて?」
「え? あ、あの、何を」
「いーからいーから。ちょっとゴメンね?」
綾子がシスターの背中をぱんぱんと叩いて、優しくさする。
「あれから頑張ったのね。女手だけだと力仕事大変だったでしょ? 怪我しなかった?」
「え、えっ……? なんで、あの、すごく体が楽に」
「あぁ、なんかそういうモンらしいわ。法術士ってこんな感じなんでしょ?」
「いえ、あの、なんか違う気がします……」
「いーじゃん、細かいことは。要は治りゃいいのよ、治りゃあ。ねっ? ナタリアちゃん?」
「うんっ」
実にあっけらかんとした綾子に、ナタリアが満面の笑みを見せた。
美少女、美少年が好きでたまらない綾子に、ナタリアの笑顔は最高のご褒美になる。
「あの、ササガワさんたちはあのあと大丈夫だったんですか? 王都を出てから」
「あぁ、まぁ色々あったけどね。この通り大丈夫。この辺りはあのあと何かあった?」
「はい、大変でした……」
綾子がマフィア組織『トレーダー』を壊滅させて以降、街で法外な利息の借金に苦しめられていた市民たちの生活は一気に改善した。
が、それと反比例するように、戦費の増大に、無茶な再編成なども重なった騎士団が困窮し始めることになる。
ただでさえ減っていた騎士団の巡回はさらに少なくなり、それに伴って治安は急激に悪化していった。
生活の余裕が出てきた市民に、悪化する治安が組み合わさることで、王都内では強盗や傷害事件、それに誘拐が増えていた。
「うわぁマジか……国はもう市民を護る気なしってことね」
「はい。それで教会と商店街、町内会が自警団を作ってます。騎士団の中には民衆の護衛に回ったりされる方もいるんですが……」
「なるほどねぇ。それはそれで厄介よね。わかった、ちょっとエラい人たちに伝えとくわ。今すぐ治安をどうこうってのは難し……っていうか、そっか。アシュさん」
綾子が声をかけると、どこからともなく水蒸気のような靄の中から黒衣の男が現れる。
「ねぇ、ちょっと街の治安何とかしたいんだけど、何ていうかこう……いい具合にゴリっと出来ない?」
『……貴様、吾輩を使い走りにするつもりか』
「ねぇお願い。ね? あとでスミレちゃんのこといっぱい撫でてあげるから」
『吾輩に見返りが無いではないか』
「もう、いちいち細っかいわね。大悪魔でしょ? 大公爵なんでしょ? ここは侠気ってヤツを見せなさいよ。それでもヤクザなの?」
『吾輩はそもそもヤクザではない。それに吾輩の主は菫であって、貴様ではなかろう』
「……パンゲアのお店のロールクッキーでどう?」
『よかろう、引き受けた』
手のひら返しもここまで鮮やかだと、いっそすがすがしいというほどの切り返しの早さだ。
それだけ、ゴルドベルク王国の王都パンゲアで今や大人気の甘味、ロールクッキーは大悪魔の胃袋と心を掴んでいる。
『センチネル』
『は』
どこからともなく、瞬きほどの間に黒衣の男のすぐ傍らに三つ目の少年が現れる。
少年は貼り付けた仮面のような笑顔を浮かべたまま、黒衣の男の足元にひざまずく。
『根を張れ。この街で秩序を乱す不逞の輩をことごとく殺せ』
『御意』
「いやいやいやいやいや殺さなくて良いから。拘束して二度と悪さしないように改心させれば良いから」
『何だ、貴様にしては随分と穏当ではないか。生まれてきた事を後悔させなくても良いのか?』
「ンなことしたら、それはそれで後が面倒くさいのよ。まぁどれくらいシメるかは任せるわ。それからシスターマリー?」
「え? あ、はい」
突然話題を振られたシスターは、ナタリアの手を握ったままびくっと体を硬直させる。
まだ、突然現れた大悪魔に面食らっていたのが、強引に現実に引き戻された形だ。
「ナントカ聖教会って、今どうなってんの? 偉い神官長とか言う人も戦死したんでしょ?」
「はい、神官長のネメス様も殉教されたとかで……そう噂されてただけで、私達には何も通達もありません。教皇猊下も動いておられるのかもしれないですが、私のような末端の下っ端シスターにはなんとも……」
「そっか。まぁしょうがないわね。デカい組織だとそんなモンよね」
「私達はもう日頃の生活で精一杯で……あ、でも最近ナタリアともう1人、教会で暮らしてる孤児の子が法術を勉強し始めました。まだ治癒術なんかは使えないですけど、ナタリアは適性もあったみたいです」
「へぇ、すごいじゃんナタリアちゃん! 頑張って勉強すんのよ?」
「うん!」
綾子がしゃがんで頭を撫でると、ナタリアは満面の笑みを浮かべ頷いた。
「あの、ササガワさん、すごく今更なんですけど」
「ん? 何?」
「……ササガワさん、こんな王都に来られて大丈夫なんですか? その、前すごく偉い方に目をつけられたとか仰ってましたけど」
「あぁ、それね。それならもうほぼ大丈夫。ケジメつけさせたし、今日は私も別のお偉いさんの付き添いみたいなモンだしね」
綾子が指差した先には、街の中心自分たちに囲まれて話し込んでいる公爵バルザックがいる。
「大変だったと思うけど、とりあえずは今までよりは良くなると思うわよ」
「……そうだと良いですね。ナタリアたちのためにも」
「大丈夫。今までが最悪だったからね、これより悪くなる事は無いんじゃないかしら。たぶんね?」
「は、はぁ……」
綾子がにっと歯を見せて笑うと、シスターも釣られたように、やや引きつり気味の笑みを浮かべた。




