結-6 神のしもべ
数時間ぶりにネメスが『聞いた』音は、自らの頬を張られる平手の音だった。
「ほら、治った」
「まぁ、お見事です」
聞き慣れない女の声に、もはや恐怖しか抱かない穏やかな成熟した女の声。
目を開いたネメスの視界には、髪を短く切りそろえた少年とも思える人影に、褐色の肌に銀髪のダークエルフの女の姿があった。
がたん、と音を立てて飛び起きようとするが、両手両足を縛られているために身動きが出来ない。ご丁寧に腰や胸のあたりも、椅子に縛り付けられている。
ネメスはようやく、自らが敵軍の大将軍に捕らえられた事を思い出した。
ついで思い出したのは、凄まじい雷により視覚も聴覚も奪われたことだ。だが、今現在こうしてネメスは女大将軍と少年と思しき人物の姿を見て、そして彼女たちの会話を聞いている。
「久しぶりねぇ。私のこと覚えてる?」
「……ま、まさかオマ……いやあなたは……ササ……?」
「そ。コスパ悪いからって追放になった法術士、笹川綾子よ」
背もたれの高い椅子をお行儀悪くずるずると引きずって、縛り付けられたままの神官長の真正面にどっかりと勢いよく座る。
「言っとくけど、自害も許さない。あんた達の騎士で人体実験したんだけど、死後2日以内なら蘇生も出来た。心臓が動いていれば10秒以内で治せる。死んで楽になるなんてクッソ甘ったれた未来はないから、そのつもりでいるのね」
「ご、拷問するつもりか! 神の代理人たる神官長のこの私を!」
「そうよ」
なんの躊躇いも、一切の迷いもなく、綾子は言い切った。
「今からアンタは拷問されるの。クソも小便も垂れ流して、無様に泣きわめいて『お願いですから殺して下さい』って土下座してからがようやく本番、っていう目に遭うのよ。まぁ死んでも生き返らせるけどね? 文句あんなら神様に祈れば? 本当に神様がいて、あんたが本当に神様の代理人なら助けてくれるんじゃない? まぁ私の知らない神様だろうけど」
「な、な、なに、何が望みだ……」
「望み? 特に無いわね」
あっさりと答える綾子の声にぽかんと口を開けて呆然とする。
神官長ネメスは、先程までの短い会話の間に凄まじい勢いで考えを巡らせていた。
女王ベルナデッタにとって不利にならない範囲で開示できる情報はなにか。
この窮地を脱するだけの価値ある情報で、かつ自分の身が危うくならず、女王の脅威とならないであろう情報は何があるか、必死で考えていた。
場合によっては女王を切り捨ててでも自分が助かるためには、どう交渉を持ちかけるべきか。
だが、綾子の答えはネメスも全く予想していないものだ。
何も要求がない相手とは、そもそも交渉にすらならない。相手から譲歩を引き出すためのやり取りを始めることすら出来ない。
つまり、これはネメスにとって絶望的な『詰み』の状況と言えた。
「ただまぁ、強いて言えば」
「し、強いて言えば何だ、何が望みだ!」
「ムカつくから腹いせの八つ当たりくらいはしたいかしらね。私も、スミレちゃんも」
この状況で、ネメスは初めて気がついた。綾子の傍ら、小柄な彼女に隠れるように、メガネを掛けた髪の短い少女が立っていることに。
そしてその少女は無表情ながら、お世辞にも友好的とは言えない感情をたたえた眼で、ネメスを睨みつけていることに。
「良いわよスミレちゃん。木っ端微塵にさえしなけりゃ、私が何度でも生き返らせるから」
こくり、と少女が頷くと、ゆっくりと小さな右手を挙げる。
ばち、という派手な音と閃光が一瞬だけ部屋を明るく照らす。
「ひぃっ!」
ネメスにとて、もはや電撃はトラウマだ。
「まぁ、賢者どのも雷撃をお使いになるのですね。それでは、少々コツをお教えしましょうか」
菫が驚いて振り返ると、その視線の先には優しい笑みを浮かべた美女が立っている。ゆっくりと、優雅に菫に歩み寄ると、まるで幼い娘の手を扱うかのようにそっと菫の手に自分の手を添えた。
「雷撃を使うときには、魔力の流れはこのようにすると良いのですよ」
「あぁなるほど、エアリアさんって雷の魔法が得意でしたっけ」
「えぇ、少々嗜んでおります」
にこ、と笑みを浮かべたエアリアは、菫と視線を合わせるために軽くしゃがみ、菫の手を取って母親のように『さ、やって御覧なさい? 大丈夫、私がついていますからね?』と耳元で優しく囁くと、菫がこくりと頷く。
「ま、待て、まて、待ってくれ、頼む、そうだ、話し合おう、話せばわか――」
ネメスの言葉の途中で、菫の指先から細い電撃の糸が紡ぎ出される。
糸の先端がヘビのように蠢き、ネメスの両脚に絡みつくと同時、顎の関節が外れるほど大きく開かれたネメスの口からは、野獣の咆哮のような悲鳴が絞り出された。
「今更話し合い? 目を開けて寝言なんて随分器用なマネするわね。せいぜい苦しんで苦しんで苦しみ抜いてから死になさい。死んだら私がまた生き返らせる。それからまた焼かれて、凍らされて、全身が腐ってぐずぐずになるまで腹いせしてやろうかしら」
「お、お、おま、お前……お前には人の心というものはないのか!」
「は? あんたがそれ言う? 勝手に私達を召喚しておいて、爆発で死んだ私達に死ぬことも許さなかった張本人であるあんたが」
再度雷撃の糸がネメスの脚に絡みつく。
「許さないわよ。謝罪もさせないし、償いなんてもってのほか。あんたに出来ることはなにもない。何があっても許さないし、死んでも生き返らせる。法術士嘗めんじゃないわよ」
菫は器用に雷撃の糸をネメスの四肢に結びつける。
「まぁ、さすがは賢者どの、飲み込みが早いのね。偉いわ、お上手ですよ。さぁ、それじゃあ次は糸を増やしてみましょうか。ゆっくりと丁寧に」
場違いなほど優しく穏やかな声でエアリアが菫に語りかけ、そっと丁寧に短い髪を撫でる。そのさまは『慈母』としか言いようがないほど優しいものだ。
雷帝に褒められた賢者が操る雷撃の糸は、複雑に、そして強固にネメスの両腕両足に絡みつき、絶え間なく電流を流し続ける。
老神官の四肢はピンと伸びたまま硬直し、ガクガクと痙攣を続けていた。
「し、知りたくはないのか! お前達と共に召喚された者たちがどうなったのか!」
「興味ないわ。サブもスミレちゃんもここにいるしね。あの生臭坊主は私達が始末したし、あの陽キャ高校生も高飛車女子大生も、どうなろうが知ったこっちゃない」
「なっ……仮にも、仮にも同郷の仲間ではないのか」
「はぁ? 仲間? 何寝ぼけた事言ってんの? あんたが勝手に十把一絡げで召喚したんでしょうが。あんた達のところに残るって自分で判断したなら、その時点で私の知ったこっちゃないわね。勝手に生きて勝手に死ねばいいのよ」
あまりにも冷淡な綾子の反応は、ネメスには全く理解できないものだった。
「賢者はそのようなことは、そのような冷酷なことは言いますまい!」
「ゆる、ゆ、ゆ、ゆる、さ、ない」
電撃の糸の電圧が上がる。
ネメスの全身の筋肉が硬直する。顎の筋肉も自分の意志ではコントロールが出来なくなり、過剰な力で歯を食いしばり続けるためか、がきん、という奥歯が砕ける音が聞こえてくる。
「お、おか、おか、おかあさん、と、とも、もう、あ、あ、会え、会えない。おに、おに、い、ちゃんとも」
「……そうだよね、スミレちゃんだって家族と引き離されて、不安だったよね」
菫の目には、今にも溢れ出さんばかりに涙が浮かんでいる。
「ぜん、ぜん、ぜ、全部、おま、お、お、お前の、せい」
「ま、待て、待ってくれ、話を聞いてくれ!」
「ゆるさない」
菫の可愛らしいソプラノの声。
その声色はどこまでも冷たく鋭く、その言葉は一切の妥協も譲歩も望めない事がはっきりと分かる、冷酷なものだった。
不意に、地下室のドアがこんこんとノックされる。
エアリアがドアを開けると、極めて屈強な体躯の男女が揃って部屋へ歩みいる。
「ふん、いいザマだな」
地の底から響くバリトンの声。
ネメスが顔を上げると、すぐ手の届くくらいの距離に、ダークエルフとオーガ族の混血の女に、拳王のスキルを持つ巨漢が並び立っていた。
「全くだ。だがまぁ、私に限って言えば貴様に感謝せねばならんな」
エミリアはしゃがみ込み、神官長ネメスの顔を覗き込む。
母エアリアと同じく、非常に整った顔立ちは美しい。が、その美しい顔に似つかわしくないほど鍛え上げられた体躯は、拳王サブよりも大柄だ。
「貴様のお陰で、私はサブという最高の伴侶を得ることが出来た。礼を言うぞ」
絶え間なく電流が流れ続けているせいで、ネメスは指一本思い通りに動かすことが出来ない。ただ、憎々しげな眼でエミリアを睨みつけるのが精一杯だ。
「なに、アヤコにスミレ、それにアシュについても心配無用だ。サブの縁者となれば我が家族も同然。私が後見となろう。母上も異論はあるまいな?」
「えぇ、もちろん。婿殿? この通り粗暴な娘ではありますが、どうぞ末永く、幾久しくよろしくお願いいたします」
優雅に頭を下げるエアリア。
サブは少し慌てた様子で床に正座し、座礼の姿勢をとる。
「しがないチンピラの身の上じゃあありますが、精一杯エミリアを大切にします。姐さん」
「うふふ、孫を楽しみにしていますわよ、婿殿」
和やかな家族のやり取りのようにも見える一幕。だが、その同じ部屋で電流の糸で責めさいなまれる神官長は、どうにかして意識を失おうとしたものの、それは敵わなかった。
『貴様、よもや気絶して楽になろうなどと思っておるまいな』
不意に、すぐ背後で氷のように冷たい声。
明らかにこの世のものではない、圧倒的な力と残忍さを兼ね備えた、絶対的強者の声だ。
『我が主、スミレよ。この場は吾輩が引き継ごう。上階に焼き菓子が置いてあった。アヤコも好むところであろう。このような薄暗いところでなく、明るい部屋でくつろいでくるが良い。神の僕を自称するこの男は——』
電流が流されたままのネメスの頭を鷲掴みにしたアシュタロスは、強引に首をひねるように自分の方へと向けた。
『吾輩が、神の慈悲と恩寵についてじっくり話を聞こうではないか』
ふぅふぅと肩で息をし始めた菫が手を下げ、こくりと小さく頷いた。
「よし、じゃああとはアシュさん、てきとーにやっといて。あ、死んだら言ってね? 生き返らせるから。さぁ菫ちゃん、お菓子食べよ? エミリアさんもエアリアさんも、一緒にお茶しましょ」
「た、た、たべ、食べ、たい、です」
「うむ、そうするか」
「ご一緒いたしましょう。うふふ、何十年かぶりの女子会ですわ」
「母上、我が旦那様も同席させるぞ」
「えぇえぇ、もちろん。婿殿ともお話をしたいものですわね」
「……っす」
実に和やかな雰囲気で部屋をあとにする一行。
薄暗い石造りの部屋、通常は地下牢と呼ばれる空間に残されたのは、敬虔なる神の僕たる神官と、その対極に位置するであろう地獄の大公爵の2人だけである。
『さぁ神官長とやら。じっくりと話をしようではないか。貴様の神とやらについてな』




