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結-5 雷帝

 エスター砦の前で突如立ち上がった炎の竜巻は、遠く離れたプレポルト砦からも見て取れた。

 

「な、な、何だアレは!」

 

 バルザックの声が裏返るほど、その光景は現実離れしたものだった。が、彼はまだこのとき知らなかった。

 天に登る炎の龍のような竜巻が、エスター砦に攻め込んだ聖騎士の軍を焼き尽くすものであったこと。

 そしてバルザック自身が、これからさらに現実離れした光景を目の当たりにすることなど、プレポルト砦にいるたった1人を除いて、想像すらしていない。

 

「来たようですわね」

 

 プレポルト砦の南東に伸びる街道から、がしゃ、がしゃ、という金属が擦れ合う音。

 紛れもなく軍の、今まさに公爵の民を蹂躙せんとする暴力が歩み寄ってくる騎士達の足音だ。

 

「公爵はどうぞ中へ。まずは私が話をしてまいります」

「い、いや、ですが閣下、流石にお1人では」

「ご心配には及びません、どうぞご安心を。公爵から、王都からのお客人へのお言伝があれば、私が承りますわ」

「……で、では……『戦いは望まない、このまま王都へ引き返してもらいたい』と、そうお伝え願えますか、閣下」

「確かに承りました。それでは。あぁ、それと公爵」

 

 不意に立ち止まり、半ば振り返ったエアリアは、優しげな笑みを浮かべる。

 

「念の為、耳栓をしておいた方がよろしいですわね。雷が落ちるかもしれませんから、耳を覆っておいた方が安全ですわ」

 

 長い銀髪を優雅に揺らして、絶世の美女は静かに砦の前へと歩み出た。

 軍勢の戦闘にいたのは、戦場には似つかわしくない法衣の男。

 

「ようこそプレポルト砦へ。サンサルバシオン王国騎士団の皆様とお見受け致します」

「いかにも。我らはサンサルバシオン王国騎士団、第一軍である。バルザック・ニグル公爵に、畏れ多くも女王陛下への謀反の疑いがあり調べに参る途上である。お通し願いたい」

「申し訳ございませんが、お通しする事は出来ません。その代わりと言ってはなんですが、ニグル公爵より、お言伝をお預かりしております」

「ほう、聞かせてもらおうか」

「公爵は『戦いを望まない、このまま引き返してもらいたい』と、そう仰せです」

 

 ふん、と神官長ネメスは鼻で嘲笑う。

 

「戦いを望まぬなら、我らをこのまま通せばよいではないか。この砦の門を閉ざすこと自体が、女王陛下への反逆の意思の表れに他ならん! 娘、そこをどけ! 邪魔立てすれば女とて命はないぞ!」

「それは、サンサルバシオン王国の総意と捉えて良いのですか? あなたは女王陛下ではあらせられないのでしょうが、あなたのお言葉がすなわち女王陛下のお言葉である、と?」

「そのとおりだ! 私は女王陛下も帰依するディメン聖教会神官長である! 我が言葉は神の言葉、我が行いはすなわち王の行いである! 神の御名において! そして女王陛下の命により! 逆賊バルザック・ニグルを討ち滅ぼし、その背後に隠れる悪逆非道なる魔族共を皆殺しにする! これは神のご意思である!」

「なるほど。それでは」

 

 すら、と軽い音を立て、銀髪の女が剣を抜く。

 漆黒の刀身に、ぽつりと小さな雨粒が落ちる。

 

「ゴルドベルク王国大将軍、エアリア・ダンタン。皆様をこの場より一歩たりとも先へお通しするわけには参りません」

「な」

 

 ネメスをはじめ、騎士団の将校たちがいっせいにどよめいた。 

 魔族の大将軍、エアリア・ダンタンの威名は、サンサルバシオンのみならず世界中に響き渡っている。


 曰く、常勝不敗の雷帝、またある者は『人類最強』と呼ぶ。

 その手に持つ雷神剣は、片手の一振りで山をも切り裂き、天に掲げれば雷光とともに凄まじい電撃を放つとか。

 微笑みひとつで国をも傾けるほどの絶世の美女でありながら、氷を操る大魔道士ネストリウスの師でもあり、また魔王ヨシュアも彼女に師事しているとすら言われる。


 怒れる雷帝との遭遇は、すなわち絶対の死を意味するとも、敵として彼女と対峙して、現在も生き延びているものは誰1人いないとも噂される。

 誰もが幼いころから聞かされる昔話に語られる英雄譚、その一説に必ずと言っていいほど登場するのが、雷帝エアリアだった。

 

 その人類最強の雷帝が、抜剣して目の間に立っている。

 

「繰り返しますが、公爵は戦いを望まない、と仰せでした。今サンサルバシオンへ引き返して、二度とこの砦へ近づかないとお約束頂けるならば、私からは何も致しません。ですが、お帰り頂けないのであれば」

 

 褐色の肌に白銀の髪。その手に持つ漆黒の剣は稲光を帯びており、伝説にある雷神剣を帯びた雷帝の特徴そのままだった。

 

「皆様方、サンサルバシオン王国軍を敵とみなします」

「か、かかれ! 攻め込め! 雷帝がなんだ、たかが小娘ではないか! 取り囲んで殺せ!」

 

 大勢の騎士が一斉に、決して大柄とは言えない美女へ群がるように襲いかかる。

 

 一瞬の白い閃光に、『バチッ』という鋭い破裂音。

 

 合計46名の騎士達は、全員が同時に糸の切れた操り人形のように地面へと倒れ込んだ。

 甲冑の隙間からは白い煙が立ち上り、あたりに焦げ臭いにおいまで漂い始める。

 

「な、なんだ、何をした、一体何が」

 

 エアリアが剣を軽く横薙ぎに振る。

 とっさにしゃがみ込んだ神官長ネメスの頭上を、まばゆい光を放つ何かが凄まじい速度で通過した。

 激しい悲鳴に、鼓膜をつんざくような雷鳴。

 立ち上がり、振り返ったネメスの目に飛び込んできたのは、100を超える騎士達がクビから上を失い、どさどさと地面に落ちていくさまだった。

 

 馬はパニックを起こして棹立ちになり、ある者は首のない騎士を乗せたまま狂ったように駆け回り、またあるものはまだ無傷の騎士を振り落とし、踏みつけて全速力で逃げ去っていく。

 

「獣は正直なものですわ。恐ろしいものからは逃げる、大切な本能です」

「な、な、な、なに、なにが、何を」

 

 空に垂れ込める積乱雲はその厚さを増し、昼間であったのにまるで日没後のように周囲を暗く覆い隠していく。

 雲間からは絶えず稲光が垣間見え、ゴロゴロという不穏な音が騎士達の頭上で繰り返し鳴り響く。

 

「私が何故雷帝と呼ばれているか、その由来をご覧にいれましょう」

 

 エアリアの口から紡ぎ出される言葉は優しく丁寧で、その口調も落ち着いて穏やかなものだ。

 違った状況で聞けば、安心して眠りについてしまう、まるで母の語り口調のようでもある。が、ネメスは馬の手綱をしっかりと握りしめたまま硬直し、エアリアの言葉など耳に入っていなかった。

 

 雷帝が、雷神剣を高く掲げる。

 

 まるで雨のように落雷が降り注いだ。

 鼓膜を破るほどの轟音に、視神経が焼き尽くされてしまうほどのまばゆい雷光。

 立っていられなくなるほどの地響きに、一瞬で金属の鎧を伝って騎士達の身体を骨まで焼き尽くす落雷の嵐。

 およそ生物ならば一瞬すら命を繋ぎ止めていることなど許されないであろう、地獄としか表現し得ない惨状だった。

 

「そうそう、言い忘れましたが、私は小娘などではありません。結婚したばかりの娘もおりますので。若く見られることが多いのは嬉しい話しではありますけれど、もうすぐ祖母となる身の上ですわ」

 

 地獄絵図という言葉ですら生ぬるいほど雨のように降り注ぐ雷から、鎧をまとった騎士達が逃げられるはずもない。

 ものの数分で、2000を超える騎士達が消し炭となった。

 

「まだ耳は聞こえておりますでしょうか? 神官長?」

 

 穏やかで物腰柔らかな語り口調。雷帝と呼ばれる女が怒り狂っていない状態でこの惨状である。

 怒れる雷帝がどれほどの脅威となるかは、鼓膜が破れ混乱のさなかにある神官長ネメスであっても、考える前に理解できてしまう。

 

 1人が一国の軍を一方的に蹂躙する地獄になる。

 軍だけではない、砦を、城を、国土すべてを焦土と化すに十分すぎる雷撃を叩き込むことになるだろう。


 その手に持つ漆黒の雷神剣のひと薙ぎで、掛け値なしに1000の軍勢を壊滅させることすら出来るかもしれない。

 文字通り雨のように隙間なく降り注ぐ落雷は、その場にいるすべての生命の存続を許さない威力がある。

 立て続けに襲ってくる閃光により網膜を焼き尽くされ、雷鳴により鼓膜を破られたネメスは、静寂の暗闇の中で理解した。

 自分たちが、決して剣を向けてはならない相手に切りかかってしまったのだと。

 

 薄れかけた意識ながら、ネメスは自分の両腕が後ろ手に縛られる感覚を感じ取って、諦めとともに意識を手放した。

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