結-3 防衛の備え、中将の教え
サンサルバシオン王国北西部に位置する公爵領、シュワルツ・カステルから南東に伸びる街道には幾つか関所が設けられていた。
その中でも堅牢な関には6名の騎士に10人の戦士が配置されている。
いずれも経験豊富で、バルザックのは以下の中でも指折りの強者達だ。人間たちの間では上位1パーセントに分類されるほどの実力の持ち主で、たとえ自分たちの主君といった立場であっても、気に入らなければ頭を下げることもない、と言われていた。
その彼らが全員、褐色の肌に銀髪の美女の足元にひれ伏している。
「では公爵、このプレポルト砦の指揮権は私に委譲されたと解釈してよろしいですわね」
落ち着いたアルトの声。
声の主はどれだけ控えめな表現をしても『絶世の美女』以外の言葉が見つからないほどの美貌の持ち主、ゴルドベルク王国大将軍エアリア・ダンタンだ。
彼女はたった今、反抗心をあらわにした守備隊の強者たち16人を、たった1人おまけに片手でねじ伏せたところだ。
「あ、あの、大将軍閣下。お申し出は大変心強いのですが、ご多忙な閣下が自らこのような」
「公爵」
バルザックの言葉を途中で遮る口調も、厳しいものではなかった。
まるで動転する子供をなだめ、落ち着かせる母のような、安らぎすら感じてしまうほど優しいものだった。
「地図を拝見しました限りでは、このプレポルト砦、それから東に位置するエスター砦がもっとも重要な拠点となるでしょう。エスター砦には私の娘と婿殿、それに賢者と聖女も向かっております。サンサルバシオン王都からほど近いのはこちらです。となれば、主力をこちらに差し向けることは必定でしょう」
細くしなやかな指が、机に広げられた地図をなぞる。
王都から北へ伸びる街道は2本、北西シュワルツ・カステルを目指す街道と、真北を目指す街道である。
それぞれの街道の先にあるのが、プレポルト砦とエスター砦だが、これらの砦は公爵領の境界に位置する。
特に公爵領内の街道はよく整備されており、通常時は荷馬車や商人、それに腕に覚えのある冒険者が利用する、公爵領における流通の大動脈とも言える道路だ。
「何があっても、砦を落とされるわけには参りません。ヨシュア陛下も、公爵のことはもちろんシュワルツ・カステルの民の安全を案じておいででした」
すでに、魔王ヨシュアに対するバルザックの帰順希望の申し出書は、アイザックの手を経て魔王へと届けられていた。
正式な返答はまだ返されていないものの、こうして大将軍エアリアが派遣された事は、もはや実質的な許諾の返答とみなされるべきものだ。
つまり、バルザックは魔王ヨシュアの庇護下に入り、同時にシュワルツ・カステルもまたゴルドベルグの一部として認められた、とういことになる。
「ご安心ください、公爵どの。現場を空にするわけにも参りませんので、今回この場には私1人が参りましたが」
甲冑をまとっているわけでもなく、仰々しいローブすら羽織っていない。
ただ動きやすい、地味ながらも機能的な場所にポケットが配置された、洗練された軍服を身にまとい、腰に地味な剣を備えた女戦士。事情を知らぬ者がエアリアを見たらそう見えるかもしれない。
「虫けら1匹、公爵に敵するものは通さぬとお約束いたしましょう」
にこり、と優しげで美しい笑みを浮かべた大将軍がなぜ『雷帝』と呼ばれるのか、バルザックがその理由を真に理解するのは、2日後のことである。
一方のエスター砦の指揮権を預かったのは、大将軍エアリアの娘にして『バルトーク大橋の守護神』とまで言われた猛将、エミリア・ダンタン中将だった。
「なるほど、この有り様では我々が派遣されたのも理解できるな」
腕を組んで見張り台の上に仁王立ちしている2人の大柄な姿。
エミリアとその夫、大河内佐武郎の2人が並び立つと、それだけでも守護神のように頼もしく見えてしまう。
2人のすぐ前には、小柄なショートカットの女、笹川綾子が立っていた。
「まさかこのようなことに……あのエミリア・ダンタンと並び立つことがあるなど」
「何よ、何か文句あんなら直接言いなさいよ」
「い、いや……」
バルザックから公爵領側の人員として派遣されたのは、アレクサンドラ・ライツ元第二騎士団長。
それに加え、アイザック准将麾下の部隊およそ500が派遣されていた。
「こちらは良いにしても、プレポルト側は大丈夫なのだろうか……いかに大将軍とはいえ、たった1人とは」
「ふむ、貴様は母上を知らんとみえる」
不安そうなアレクサンドラに視線すら向けず、傲然とエミリアが仁王立ちしたまま言葉をかけた。
「貴様、私の事をどのように聞いている」
「……エミリア・ダンタン中将……バルトーク大橋の守護神で、魔族領、いやゴルドベルク王国の東を護り一度も敵の侵入を許したことがないと」
「ふむ。で?」
「個人の武勇としては一騎当千どころか、1人で一軍に相当する強者であると聞いている」
「なるほど。ではわかりやすく例えるが、我が母上は、私ではかすり傷ひとつつけられん。昨年も稽古をつけて頂いたが、まる2日全力で戦って惨敗だったな。おそらくは拳王のスキルを持つ旦那様でも、母上に拳を掠らせれば上出来、といったところだろう」
サブの目が珍しく大きく開き、巨体をゆっくりとエミリアに近づける。
「おい、本当か」
「あぁ。私と旦那様の2人がかりなら、まぁ母上に剣を抜かせるくらいの事はできるかもしれんな」
「なるほどな、そいつは楽しみだ。義理の息子にも稽古つけてもらわねぇとな」
「ふふふ、私を放っておいて姑にばかりかまけるなど許さんぞ? そんな事になったら可愛い嫁が嫉妬で枕を濡らすことになる」
「心配するな、嫁を大事にしねぇヤツは男じゃねぇ」
「嗚呼、やはり我が旦那さまはいい男だな」
人目も憚らずイチャつき始めた2人をよそに、アレクサンドラは足元がふらつくほどに動揺してしまっている。
「そ、そんな! ダンタン中将と拳王2人がかりで、それでやっと『剣を抜かせる』なんて!」
「アレクサンドラ・ライツとやら。貴様母上が『雷帝』の他になんと呼ばれているか知らんのか」
ようやく、エミリアがアレクサンドラに視線を向ける。
にっと歯を見せて笑うその笑顔は、ダークエルフ族の血が半分入っているだけあって、同性のアレクサンドラが見ても見惚れるほど美しい。
「母上はな、人類最強だ」
「な」
そう話すエミリアの顔はこの上なく誇らしげである。あんぐりと口を開けたままのアレクサンドラに、さらに畳み掛けるように言葉をかけたのはアイザックだ。
「へぇ、間違いねェでしょう。エアリアの大親分は、伊達に大将軍ってェ立場におられるワケじゃあねェンでさ」
アイザックがサブの隣に立つと、2人はほぼ同じ身長、同じような体格であることがわかる。ニンゲンの女性としては大柄な方に分類されるアレクサンドラは、この場ではあまりにも小さく、弱い存在だ。
「あ、あの、エミリア・ダンタン中将……?」
「うむ、なんだ」
恐る恐る、という様子で手を上げたアイリーンの顔色は血の気が引いており、すぐ隣に立つアレクサンドラにしがみついていないとしゃがみ込んでしまいそうなほど弱々しい。
「その、エアリア大将軍がもし、サンサルバシオンに攻め込んだとしたらですけど……あの、ホントに、ホントに例えばのハナシですよ? そんな事無いと思いますけど、仮に、例えば、想定のお話で」
「そりゃあ、大親分が攻め込むとなりゃあアレだ、サンサルバシオンなンざ一日で灰になりますぜ」
「アイザック、いくらなんでも一日はなかろう」
エミリアが指摘すると、アイザックは『へぇ、そうでした』と言って頭を書く。
「精一杯もって半日ってとこでしょうかねェ」
「そんな……それじゃ、そ、そんな人が守るプレポルト砦を攻め落とすなんて……」
「へぇ、不可能でさぁ。大親分が本気になったとすりゃあ、そりゃもう魔王軍総出でも難しいってなモンでして」
「そういうわけだ。実質的に、母上は1人で魔王軍全戦力の半分を賄っている。プレポルト砦へ向かう勢力が第一騎士団になるのか聖騎士になるのかは知らんが、気の毒なことだ」
エミリアは再び遠く、砦の物見櫓からエスター峠の向こう側へと視線を向ける。
「当然、こちら側へ来た者にも、己の愚かさを心の底から悔い改めるような目に遭ってもらうがな。アイリーン、アレクサンドラ、貴様らは同胞と刃を交えるのも本意ではなかろう。おそらく貴様らの出番などなかろうが、もしほんの少しでもためらいがあるのならば足手まといだ。砦に引っ込んでいるが良い」
「し、しかしダンタン中将! 私は公爵に忠誠を誓ったばかりだ、この戦いでその証を立てねば」
「貴様の忠誠の証とやらは、シュワルツ・カステルに暮らす民の命よりも重いのか」
エミリアの言葉は短く、かつアレクサンドラの言葉を止めるのに十分な重みを持っていた。
「貴様は何のためにここにいる。武功を立てたい、名を挙げたいというのが理由ならば、ただちにこの場を去れ。そのような腐った性根の軍人など要らん」
「なっ……そ、それは」
「我らがこのエスター砦を守るのは、我らの背後にあるシュワルツ・カステルの民を守るため。なによりも幼い子供たちの未来を守るためと心得るがいい。貴様はそもそも何のために騎士になったのだ。騎士とは何だ。軍人は一体何のために存在している。もしも貴様が己の功名心や栄誉栄達のために剣を取るつもりならば、私は指揮官として、本日この場で貴様の一切の軍籍を剥奪する」
「それは……追放ということか」
「そうだ。不名誉除隊、有り体に言えばクビだ。何故か分かるか」
アレクサンドラはぎり、と歯ぎしりをするが答えない。言葉が口から出てこない。
「軍とは強大な力だ。強大な力は厳格に制御されねばならん。そして軍とは剣である前に盾である。戈を止めるもの、それこそが武であり、武の象徴である軍はすなわち民に降りかからんとする暴力を止めるもの。つまり軍とは民を守る盾そのものだ。騎士とは、己の身命を賭して弱き者小さき者を守る盾である。生涯を盾として生きる事を、己自身に誓った者を騎士と言うのだ。己の背のはるか後ろには力なき民がある。たとえ百の矢をその身に受けようと、小さき者の前に盾として壁として立ちはだかり守る。その覚悟を持つ事は、騎士となる最低限の必要条件だ。その程度もわきまえておらん者は、力を持つ資格すらない」
エミリアの言葉にがっくりと項垂れるアレクサンドラに、同じ騎士団長のアイリーンが歩み寄る。
「ライツ伯爵、ダンタン中将の言葉は、正しいと思います」
驚いたような表情で振り返り、アイリーンの顔を真正面から睨みつけるアレクサンドラだったが、反論の言葉はなかなか出てこなかった。
「第五騎士団はサンサルバシオンの戦史も調べていました。ゴルドベルク王国との戦争はすべてが侵略戦、ゴルドベルク側からサンサルバシオンへ攻め込んで来たことは、一度もないんです」
「そ、そんな……それでは、それでは」
「だからこそ、ダンタン中将は『バルトーク大橋の守護神』なんです。護りに徹して、一度もバルトーク渓谷を超えたことがありません」
「当たり前だ。すでに国の境が定まっているのだからな。貴様らニンゲンは我々のことを人語も介さぬ蛮族と見ているようだが、それは貴様らの勝手だ。まぁもっとも、軍のなんたるかも知らぬ貴様らに褒められるほど、我々ゴルドベルク王国軍は堕ちてはおらん」
まだエミリアを睨みつけられるだけの気力を保ったアレクサンドラとは異なり、アイリーンはその目でゴルドベルク軍国境警備隊の強さを目の当たりにしている。
このとき、アイリーンは生まれて初めて心の底から神に感謝の祈りを捧げる気持ちになった。
これだけの強力な力を持った軍が、ただただ『弱き民を守る盾』でいてくれていることに。




