結-1 女王の苦難
サンサルバシオン王城の玉座には、若き女王が優雅に足を組んで腰掛け、傷んだ鎧を身にまとった騎士を見下ろしている。
「そうですか、失敗しましたか」
「も、も、申し訳ございません……」
女王の傍らに控えるのは、白銀の鎧に身を包んだ禿頭の男。
細い目を鋭く光らせて、謁見の間の赤い絨毯の上でひざまずく壮年の騎士を見下ろしていた。
「しかし解せません。ライツ伯爵につけた200の騎士の内、ほとんどは『こちらがわ』のはず。それがことごとく見破られたとは……二重スパイでも紛れ込ませましたか」
「兄上もライツ伯爵も、そのような小細工に頭が回る方ではありませんわ」
訝しむ聖騎士に、悩ましげに女王が顔を向けた。
「あの2人だけでは、こちらのスパイでないものだけを正確に探り当てるなど出来るはずもありません。おそらくですが、兄上は」
女王が眉をひそめ、悲痛な表情を浮かべる。
「魔族と通じているものと思います」
謁見の間に居並ぶ貴族らからざわめきが上がる。
まさか、そんなことが、バルザック殿下が魔族と、そのようなことがあるわけが、そんな言葉がそこかしこから漏れ聞こえている。
「魔族ならば、例えばエルフどもならそのような術を持つことも考え得るかと」
ざわめきの中から、一際大きくよく通る声はディメン聖教会の神官長ネメスのものだ。
「バルザック殿下……いや、ニグル公爵が魔族の手に堕ちたとなれば、我が国の北西部、シュワルツ・カステルが陥落したも同然。聞けば、ニグル公爵はシュワルツ・カステルと王都とをつなぐ街道を封鎖しているとか。これはもはや疑う余地はございますまい」
ネメスが爬虫類のような目をじろりと允恭へと向け、言葉を続けた。
「となると、これは聖戦となりましょう。魔族どもは間違いなく、その魔手をこの王都へと向けてくることとなります。断じてそのような蛮行を許してはなりません」
神官長の演説は次第に熱を帯びつつある。
次第に顔は紅潮し、恍惚とした表情は狂信者のそれだ。
「恐れることはありません、我らには神のご加護があります。その何よりの証しが」
謁見の間の全員の視線が、白銀の鎧の男に向けられる。
「我らが聖騎士殿が残られた事! 勇者が倒れ、大魔道士も病床に伏し、賢者と拳王も魔族共に拐かされました! だが神の加護を受けし守護者、聖騎士殿が我らと共におられることこそが、神が我らをお守り下さっている証拠にほかなりません!」
女王は内心で嫌気が指していた。
神官長ネメスは、有能な男だ。魔道士として、宗教家として、政治家として、官僚として、謀略家として極めて有能かつ優秀、いずれの分野でもサンサルバシオン王国の歴史において、確実に後世に名を残すことになるであろう傑物だ。
女王から見た唯一の欠点は、その狂信的な信仰心だった。
「ディメン神の恩寵あれ! 祝福あれ! 邪悪で野蛮な魔族どもなど恐るるに足りません! 我らには神の加護の顕現たる聖騎士殿がおられるのです!」
謁見の間は熱狂に包まれつつある。そんな中、一際高い座にある女王と聖騎士の2人だけが、冷徹と表現できるほどに落ち着き払っている。
狂信はときに人を過ちに陥れるが、ときに人の限界を超えた力を引き出す事がある。
その狂信と熱狂から最も遠い場所にいるのが、狂信者達の熱い視線を浴びている聖騎士であるというのは皮肉な話だ。
「女王陛下に謹んで申し上げます! 今こそ我ら兵を挙げ! 憎き魔族どもと、それに与するニグル公爵、ライツ伯爵を討伐するときです!」
熱狂は、もはや止められないところまで押し上げられていた。
ちら、と允恭は細い目を少しだけ開けて女王へ視線を向ける。
女王の表情は穏やかな笑みを浮かべたままで変わらない。内心で何を考えているのか、表情から読み取ることは至難の技だ。
允恭は、この女王からベッドへの誘いを受けたことが何度かある。が、城内ですでに4人目の少女に手を出していた允恭が、よりによって同郷の他の男の子供を身ごもった、おまけに大人の女に興味など抱くはずもなかった。
殷勤に誘いを断ったその日の夜、泣いて許しを請う世話係のリズに加え、最近になって允恭の部屋に通い始めた男爵令嬢はボロ雑巾のようになるまで獣欲を注がれてしまうこととなる。
傍から見れば、聡明で美しき女王と、その色香にまったく惑わされぬ謹厳実直な騎士の組み合わせに見えることだろう。
が、実際は慈悲というものを持ち合わせない酷薄非情の王に、幼女を毒牙にかける異常性愛者の組み合わせだ。
「みな、静まりなさい」
穏やかな、優しい女王の声に、その場に居合わせた誰もが言葉を止める。
しん、と静まり返る謁見の間の意思床と石壁に、優しげな女王の声が響く。
「今は、動くべきではありません。聖騎士殿率いる騎士団は疲弊し、民衆も混乱しています。まずは民衆を落ち着かせ、足元を固めるべきでしょう」
「何をそのように気弱なことを! そのようなものは神のご加護があればどうとでもなります!」
ネメスの両目は血走り、異常とも言える発汗からも彼が尋常ならざる興奮状態にあることはすぐに見て取れた。
ベルナデッタの立場は、実情としては非常に不安定なものだ。
後ろ盾としていた国王と王妃はすでに亡き者となり、王太子であった兄もすでに死んでいる。
女王としての地位は盤石にも見えるが、老獪な貴族や大臣たちを完全に抑えられるほどの影響力はまだない。
彼ら古狸達を押さえつけるために利用したのが、ネメスを初めとする聖教会だ。
サンサルバシオンの国教でもあるディメン聖教は、国内の貴族であればほぼ例外なく多額の寄進をする。貴族家の当主は、全てが聖教の教えを信じる敬虔な信者だ。
国内での影響力を維持するためには、聖教会の意向を無視するわけにもいかない。万が一聖教会が女王から離反するとなると、彼女の立場は一気に弱いものとなってしまう。
おまけに、廃嫡された王太子アルベルトとの王冠を賭けた争いのために私財をかなり減らした上、騎士団の再編成や自らの派閥から官僚、大臣を出すために相当な出費を強いられた。
ベルナデッタ個人だけでなく、国家の財政状況はお世辞にも良好とは言えない。
今度は少し困ったような目を允恭に向けると、小さく頷いて聖騎士が一歩前に出る。
「皆様の篤い信仰心、騎士として、そして一人の僧侶として感服しました」
允恭の声はよく通った。
「民衆を思う女王陛下の慈悲の心こそ、このサンサルバシオンの未来を照らす太陽となるでしょう。もちろん神官長の信仰心に貴族の皆様の愛国心にも、応えねばなりません」
優しげな女王の声と異なり、読経と声明で鍛えられた允恭の声は、穏やかながら謁見の間の一番離れたところに立つ衛兵の耳にもしっかりと届いた。
「この允恭が、必ずや悪しき者たちを一掃すると約束しましょう。女王陛下のため、魔族たちを我が国から退けねばなりません」
周囲からは、口々に『おぉ』『そのとおりだ』『さすが聖騎士』といった声が上がる。
「この場に居並ぶ信仰心篤い愛国者の皆様には、戦費の出資を願い出る方もおられましょう。さぁ、女王陛下への忠誠、神への信仰が、いままさに試されています」
実家の寺で、檀家や困り果てた者たちから布施をかき集めていた経験が、思わぬところで活かされる形となった。
熱狂はときに、正しい判断を人の意識から奪ってしまう。
一人、また一人と手を挙げ始めるさまは、女王にとって予想外とも言える事態だった。
率直なところ、もとから逼迫していた国庫は、ほとんど尽きかけている。戦費など捻出できる見込みなどなく、シュワルツ・カステルへ攻め込む余裕はどこにもない。下手をすると来季には財政破綻すら危ぶまれるような状態であった。
允恭の扇動や洗脳のような言葉につられ、周囲の貴族達が出資を次々に申し出る光景は、ベルナデッタもまったく予想していなかった。
「真の愛国者たるもの、このようなときに躊躇していてはなりません。神への信仰を、女王陛下への忠誠を今こそ示すときです!」
「おぉ、さすがは聖騎士殿! まさしくその通りだ!」
「俺は金も兵も出すぞ!」
「私もだ、女王陛下のためならば!」
「神よ、儂の信仰の証をご照覧あれ」
多くの貴族たちが我先にと立ち上がっていた。
聖騎士が笑みを浮かべる。
実は追い込まれていた女王を、とっさの機転で救ったことになる。
異性としてはまったく興味を惹かれることのない相手だが、利用価値は絶大な相手。それが允恭にとっての女王ベルナデッタの立ち位置だ。
「聖騎士殿、お見事でした」
「なんの、陛下のお役に立てれば、それが何よりです」
2人の策士は、腹の底の感情とは裏腹な穏やかな笑みを向けあった。




