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転-10 騎士を騎士たらしめるもの

 バルザックの足元では、アレクサンドラが土下座にも近い姿勢で、額を床に打ち付けている。

 

「サーシャ、そろそろ立ってください。その格好では話もできません」

「いいえ! まさか、まさか私が……私が閣下を害さんとする不逞の輩を連れてきたなど……騎士として一生の不覚! どうぞ閣下の手でお切り捨てください!」

「ですから……あぁもう」

 

 困り果てた公爵が目を向けた先にいたのは、呆れ果てた顔を隠そうともしない小柄な女だ。

 

「私は部外者だから本来口を挟むのはスジが通らないんだけど」

 

 綾子は大きくため息をついて、アレクサンドラの背中にそっと手をおいた。

 

「ほら、バルザックさんはああ言ってるんだから。立って事情説明するのが先でしょ」

「貴様! 公爵閣下の御前でなんという言葉遣いだこの無礼者!」

 

 突如激昂するアレクサンドラの声に、通常の騎士程度ならば緊張で萎縮するところだろう。が、綾子はその程度でビビるようなタマでは無かった。

 

「アンタこそ言葉遣いに気をつけなさい。私は公爵の部下でもなんでもないのに、アンタ達が気づきもしなかった危険を知らせて、身を守るためにわざわざ来て『あげてる』のよ。感謝される謂れはあるけど、見下される覚えはビタ一文ないわ」

 

 毛ほども物怖じしない綾子の言葉に、却ってアレクサンドラが怯むことになった。

 

「そもそも、アンタがその第二騎士団とやらの長だったんでしょ? それなのに手前ぇの部下の素性も調べず、わざわざ裏切りモンを連れて来た。私はその尻拭いをして『あげてる』立場なのよ。それなのに何よ今の。どっちが無礼者よ。誰がバルザックさんを危険にさらしたと思ってんの」

「そ、それは…………その……」

「アンタ伯爵だったっけ? そういう貴族なんてものを私は一切信じてない。食うにも事欠くような民衆から税金吸い上げて贅沢三昧した挙げ句がこの体たらくだなんて、まぁ笑えるわ。所詮貴族なんてそんなものって事よね」

 

 アレクサンドラの顔からは血の気が引いて、手が小さく震えている。

 

「アヤコさん、どうかその辺で許してあげてください。彼女も正義感からの発言ではありますが、確かに失言であったと思います。私からもお詫びを」

「要らないわよ。まぁ貴族様とは徹頭徹尾反りが合わないってのはよく分かったわ。あとはどうぞお好きなように。約束通りバルザックさんの身を護るってのは続けるけれど、そちらがそういう態度で見下してくるなら、こちらからはこれ以上の歩み寄りはないわよ」

 

 一切の容赦がない言葉を投げかけて、綾子は悠然と部屋のドアへと歩み寄る。

 ガチャ、とノブを回すと同時にアレクサンドラが立ち上がり、綾子に声をかけた。

 

「仰るとおりだ、私が考え違いをしていた。申し訳ない、この通り無礼を詫びる」

「そんな詫びに価値があると思ってんなら、それこそ思い上がりでしょ。貴族の自分が謝ったんだから当然許される、とか思ってる時点で傲慢よ。本当に詫びたいなら、頭を相手の腰より下に下げるのね。そんなふんぞり返ってこっちを見下ろしながら『詫びる』だなんて、嘗めんのもいい加減にしなさいよ」

 

 そう言い残し、呆然としたアレクサンドラを放置したまま、綾子は部屋をあとにした。

 俯き、床を見つめたのアレクサンドラは身動きすら出来なかった。

 バルザックも掛ける言葉を必死で探したものの、彼の豊富な語彙からも今の彼女にかける言葉は見つからない。

 

『無様なものだな。いや、滑稽と言うべきか』

 

 そんな2人に、これまた情け容赦のない声を掛けたのは大公爵アシュタロスだ。

 

『まぁあの女は我が主ともども、貴族という輩からはろくな扱いを受けていなかったからな。貴様らを含む貴族は、貴族であるという時点で敵とみなされていると思うことだ。バルザック、貴様の身を吾輩が護るというのも、我が主スミレの慈悲によるものだ』

「……わかっています」

『いいや、貴様らは分かっていないな。民衆が公爵たる貴様を慕っているような、そんな関係が成り立っているのはこのシュワルツ・カステルくらいであると心得るが良い。王都でも、その他の土地でも、貴族は搾取する側、民衆は搾取される側だ。搾取される側が喜んで搾取する側を慕うなど、本気で信じ込んでいるのならば、よほどおめでたい頭をしているか現実を見る目がないかのいずれかであろう』

 

 アレクサンドラもバルザックも、大公爵の言葉への反論を探してみたものの、言葉が見当たらない。

 

『貴様らはまだ若い。バルザックよ、貴様はいささかマシではあるが……小娘よ、吾輩から見れば貴様はママゴトじみた騎士ごっこをしているに過ぎん。貴様が持っていた剣を鍛えたものが何者か、貴様の朝食のパンを焼いた者が誰か、スープに入っていた野菜を育てたのがどのような立場の者なのか、顔を合わせたことはあるか、言葉を交わしたことはあるか、どこに住み、どんな生活をしているのか、一度でも調べた事は、いや、気にかけたことはあるか』

「…………無い……」

『話にもならんな。騎士は何から何を護るのか。なぜ護るのか、騎士を騎士たらしめるものは何か、それを理解した上で騎士の長を名乗っているのか? どうだ』

 

 アレクサンドラは答えることが出来なかった。その沈黙こそが、雄弁な答えだった。

 

『貴族はなぜ貴族たりうるか? 貴族の権利と義務とは何か? そもそも国とは何か? 国を統べる者が成すべきことは何か? ……こんな事もろくに考えず、ただ生まれた家柄で騎士として取り立てられる。滑稽を通り越して哀れですらある』

「私は、私は騎士として王と国家を護らんと誓いを立てた! それが滑稽だと? 哀れだと? 大公爵とはいえ言葉が過ぎる!」

『黙れ小娘。騎士が王と国家を護る? 笑わせてくれる。では聞こう、国とは何だ』

「くっ……国とは……?」

『貴様は何をもって国と呼ぶ? 王とは何者だ。貴様は王とそうでないものをどう分けている? そもそも騎士が護るべきは何だ?』

 

 アレクサンドラはアシュタロスの威圧に耐えかねたのか、膝がガクガクと震え、今にも床に膝をついてしまいそうだった。

 

『小娘、貴様は今まで一体何をしていた。騎士として、貴族として、1人の人間として貴様は民衆を見下ろせるだけのことをしたと、胸を張って言えるのか』

 

 アシュタロスが傲然と胸を張ると、額に第三の目をもつ少年がどこからともなく現れる。

 

『御主人様、逃亡を試みたものを捉えております、とりあえず6人』

『ご苦労。引き続き裏切り者を探せ』

『御意』

 

 短くそう答えると少年は一瞬で姿を消す。

 どさ、という派手な音をたて、アレクサンドラが膝と両手を床についた。

 

「私は……私は、私……」

『そうやって呆然としている間にも、貴様が連れてきた裏切り者が新たに捉えられたようだな。センチネルの口ぶりからすると、確実にまだいるな』

「な、そ、そんな……」

『バルザック、貴様の領域内で起きたことではあるからな、念の為に聞いておこう。捉えた裏切り者は吾輩が尋問をしても構わんな? どれだけ良くても廃人にはなってもらうが』

「待て! 待ってくれ、仮にも私の部下なんだ、尋問は私が——」


 アレクサンドラが懇願するような視線でアシュタロスを見上げるが、大公爵の視線はまるで虫けらでも見るかのように冷徹に睨み返した。


『出しゃばるな。裏切り者の小娘の分際で、己の立場すらわきまえられんのか。本来ならば貴様も尋問を受けるべきであるところを、貴様が公爵と懇意であるからこそ、それを免れているということがまだ分からんか。そもそも裏切り者を率いて来た長が裏切り者を尋問するなど、何の笑い話だ。貴様は吾輩を笑い死にさせる気か』

「そ、それは……」

『バルザック、貴様は来るが良い。人づてに聞くよりは己の目と耳で確認するべきであろう。その小娘が自責の念に絶えられず自害をするというなら、勝手にさせるが良い。騎士としての小娘の気概も所詮その程度だったということだ。地獄にでもどこにでも逃げるが良い。もっとも、地獄へくるというならばそこは吾輩の領域、吾輩が直々に責め苛んでやるがな』

 

 ふわり、とアシュタロスが音もなく両手を地についたアレクサンドラのすぐ傍に降り立つ。

 

『考える事を放棄して、楽になりたければ自害でも何でもするのだな。誰かに止めて貰えるなど甘えぬことだ。貴様が騎士として、何かから何かを護るものであると自覚するならば、生き恥を晒して考え続けるがいい』

 

 ぱたん、と静かにドアが閉じ、狭い部屋は静寂に包まれる。

 しばらくの後、部屋の中から悲鳴とも怒声ともつかぬ泣き声を聞いたのは、廊下を通った中年のメイドだけであった。

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