転-8 サンサルバシオンの分裂
サンサルバシオン王アレキサンダー4世とその王妃が相次いで崩御した、という知らせが各国を駆け巡ったのは、ベルナデッタ王女が摂政となってわずか2週間後のことだ。
兼ねてより飽食による病気が噂されていただけあって、その死はあまり驚きをもたらさなかった。
むしろ、各国の首脳を驚かせたのは、王太子アルベルトの死のニュースだ。
「そうですか、兄上も」
そのニュースはいち早く公爵バルザックの下へともたらされることになる。が、バルザックの表情は驚きや悲しみというよりは、安堵としか取れないものだった。
「へぇ、こいつでサンサルバシオンはベルナデッタ女王の統べる国、ッてなァ具合でゴタゴタが収まりそうで」
「……ベルナデッタが……そうですか……」
「バルザックの旦那、お国ァどう出て来やすかねェ? じきに旦那の下にも女王陛下ってぇやつから何らかの動きがあるンじゃねェですかい?」
バルザックの執務室で、大きなソファに腰掛けるアイザックが机の上の地図を睨んでいた。
「ここまでの話ァ、エアリアの大親分の考えた絵図通りってヤツでさァ。ただね、新女王ってのがどうにも分からねェ。サンサルバシオンでも初の女王、それも勇者の子を腹ン中に宿した女王ってェのは過去類を見ねェ話ってヤツでして」
「確かにそのとおりです。ベルナデッタは……妹はかなり頭が切れます。兄上の死は、表向き第一騎士団の謀反により、第三騎士団との戦闘に巻き込まれたためのもの、とありますが……まず間違いなく妹の手によるものです。サンサルバシオンを三分していた勢力の内、2つを手にした妹が何よりも優先するとしたら……そうですね、おそらくは国内の地盤硬めに専念するでしょう」
「へぇ、あっしもそう思いやす。何でも王太子の第一騎士団はほぼ全滅で、第三騎士団の残党が1000。国王派の第二、第四騎士団も勢力を減らして、今のサンサルバシオン軍の勢力は総勢2500にも満たねェでしょう。となりゃァ、険悪になってた南のシンカー王国から逆に攻め入られることになるかもしれねェ」
「はい。そうならないためにも、まずは国内をまとめるよう動くはず。となれば、私のところにも近い内に使者が来るでしょう。私に降伏を求めるか、それとも……この公爵領を維持した状態で女王として臣従を求めるかのいずれかでしょう」
サンサルバシオンの北西、国土の実に四分の一を占める公爵領は、お世辞にも豊かな土地とは言えない。
土地もさほど肥沃というわけでもなく、特定の鉱産資源に恵まれているわけでもない。ただ、西側でゴルドベルク王国と、北方ではまた別の国と国境を接する地域ということもあり、サンサルバシオン王都にとっては半ば前線基地のような役割もあてがわれている。
もちろん、公爵領の主が、敵国と読んではばからない隣国と友好な関係を築いているなど、王城にいるものは誰一人知らないことだった。
「まぁ実益を取るなら後者でしょうや。新女王にとっちゃァ、自分にタテつくかもしれねェ勢力を懐に入れるよりゃァ、非敵対勢力として外側に置いておいた方が安心って奴でしょう」
「アイザック准将もそう思われますか」
「へぇ、まぁあっしはそういった政治の話ァ苦手ですがね、手前ェンとこの勢力をまとめる必要がある上、あっしら『魔族』が敵対勢力ってのも変わらねェ。そうなりゃ第一優先にしなきゃなンねェのは、手前ェの足元固めってとこでしょうよ」
ふぅ、と安堵したかのようなため息。
バルザックは椅子の背もたれに身体を預けて顔を上に向ける。
「アイザック殿が敵でないことは、私にとってこの上ない幸運でしょう。こうまで同じ事を考えるということは、私の考えなどお見通しでしょうからね」
「いやいや旦那、そいつァ買いかぶりすぎってェやつでさァ」
アイザックは強面に似合わぬ人懐っこい笑みを浮かべる。
武に秀でるオーガ族にあっても一騎当千と言われる武術に、さらには知恵者として世に知られるバルザックをも凌ぐ知略軍略を持つアイザック・ボルドは、控えめに表現しても名将と呼べる傑物だ。
だが、人間たちはオーガ族であるというだけで、アイザックが『人語も解さぬ粗野な蛮族』としか見ていない。
そもそも、サンサルバシオン王国とゴルドベルク王国を比較すると、市民の識字率もサンサルバシオンが4割程度であるのに対し、ゴルドベルクの識字率はほぼ10割、市井の子供に至るまで文字の読み書きが出来る。
市民にも解放された図書館があり、誰でもが書物に接する機会があり、さらには義務教育制度が取り入れられているため、まだ幼い子どもですら、読み書きや基礎算術においてサンサルバシオンの商人を凌ぐと言われている。
「私は、サンサルバシオンの民としてではなく、1人のニンゲンとしてゴルドベルクを羨ましいとすら思いますよ。私も賢明なヨシュア王の元で、この地と民のために働ければとすら」
「もし本心から旦那がそう思ってらっしゃるンでしたら、あっしが取り次ぎやすぜ」
「ははは、そうですね」
バルザックはやや疲れた顔で、乾いた笑い声を上げる。
冗談ではなかった。ここしばらく、バルザックは真剣に悩んでいた。
このままサンサルバシオンの一部で居続けるのか、別の道を模索するべきか。その考えが頭の中で駆け巡り、バルザックはもう2日間、一睡もしていない。
「サンサルバシオンはもはや沈みゆく船です。市民を道連れにサンサルバシオンと心中しようとは思いません。国の基本となるのは貴族や王ではなく、市民ですからね。市民が生き残りさえすればそれで良いんです」
バルザックは何かを諦めたかのような笑みを浮かべ、窓の外へと視線を移した。
公爵領、シュワルツ・カステルは自然豊かとは言えず、荒涼とした山地に魔獣が頻繁に出没する深い森が大半を占めている。
バルザック邸のある街区の近辺を市民たちが必死に開墾し、ようやく自給自足が可能なレベルでの食料生産が可能になったくらいだった。王都から見ても、産業面においてシュワルツ・カステルはほぼ無価値な土地である。
王都にとってこの北西の荒涼とした土地の価値は、ただひたすらゴルドベルクとの緩衝地帯としての価値だ。
特別な産物もなく、産業もなく、資源もない。バルザックがこの地を与えられたのは、ひとえに当時の王太子アルベルトの嫌がらせである。
「そう言やぁ旦那、そもそも旦那がこの地の領主になられたってなァどういう経緯で?」
「くだらないものですよ。実にくだらない」
珍しく自嘲気味にバルザックが力なく笑みを浮かべ、まるで吐き捨てるような口調。
「兄上……アルベルトによれば、私には父上に対して反逆の意思があったそうです。とんでもない言いがかりでしたよ。父の増税案に反対しただけなんですがね。それで私には国王への反逆と王位簒奪の計画を立てている疑いがある、と」
「そいつァまた何と言うか……旦那のお身内たァ言え、随分と短慮ってヤツじゃねェですかい」
ふぅ、と忌々しげなため息をついて、バルザックが言葉を続けた。
「ただでさえ疲弊しきっている民衆から、さらに税金を搾り取ろうという政策は明らかに間違ったものです。その税金も、王城の修繕費用として『愛国税』なんていう名目でした。城の修繕なんてどうでも良いものよりも、先に手をかけるべきものがあるんです。多すぎる騎士団のリストラ、貴族間での贈答品の制限に、国外の宝飾品輸入の取りやめ、あまりにも無駄の多い王族歳費。いくらでも無駄を省けるところがあるのに、そこを見直そうともせず考える前に『増税だ』という理論でしたからね。まぁ、それを話した結果が」
ちら、とバルザックは窓から外を眺める。
「このざまです」
「以前も言いやしたがね、旦那。あっしらァ旦那は最善を尽くされてるって思ってやすぜ」
アイザックもバルザックの隣に立ち、窓から外を眺めた。
決して裕福、豊かとは言えない辺境の土地。
だが、ここには治安があった。自給自足レベルの貧しさではあったが、民が安心して暮らせるレベルの平和がある。
巨大な王城と対称的に、公爵邸はわずか2階建てで部屋数は客室も含め8つ。王都にある小さな宿とそれほど変わりない程度の大きさだ。
高い塀などはなく、子供が飛び越えられる程度の生け垣で道と区切られており、門は常時開け放たれている。第二騎士団から離脱したライツ伯爵からは
『不用心にも程があります。今後は我らが公爵邸の警備も受け持ちましょう』
と申し出があったが、バルザックは断っていた。
「市民こそが国の礎、子どもたちこそが国の宝。我々王族や貴族がまず最初に成すべきことは、市民の生活を成り立たせる土台と道筋を作ること。民の生活が立ち行かなければ、我々など存在する価値すらありません」
「へェ、魔王様も同じことを仰ってやした」
「そうですか、ヨシュア陛下も」
窓の外からもバルザックの姿を認めたのだろう、母親に手を引かれた幼い子供が、笑顔で大きくバルザックに向けて手を振っている。
道行く者たちは、皆顔見知りだ。
農具などを作る野鍛冶の女主人に、治療院でけが人を優しく介護するシスター。
ゴルドベルクの制度を参考に作り上げた学校で、子どもたちに読み書きを教える老人に、野菜を扱う食料品店の娘。街区のはずれで畑を耕す若き農夫の青年と、つい最近その妻となった若き未亡人。
「私の役目は…………彼らを護ること」
誰にとも無くつぶやき、幼い子供に小さく手を振り返す。
シスターは会釈して通り過ぎ、食料品店の娘は大きなバッグをいくつも抱えて、忙しそうに早足で歩き去る。
何ということはない、いつもの日々。
市民は忙しく働き、子どもたちは街の広場で賑やかに走り回る。
老人は日向のベンチで幼子を見守り、鍛え上げられた騎士たちは街の境や街中の治安を守っている。
バルザックが理想とする社会に、あと少しというところまで辿り着いていた。
数年をかけて、ようやくここまで成し遂げた。
兄や妹達の妨害もあったし、父王からの理不尽な税や上納金の要求もあった。
全てバルザックが市民の盾となって、この街を守ってきた。だが、その事を知る市民はごく僅かだ。
王都にいるものですら、バルザックの功績も、目指すものすら知らない。
皮肉なことに、誰よりもバルザックの功績や人物を認めているのは、敵国とされる国の若き王であった。
そればかりか、国境の先にいる、敵将であるはずのオーガ族の男は、こうして度々バルザックの元を訪れては政策への提言にとどまらず、国境近辺の警備に協力すらしている。
「私も、腹をくくる時が来たということでしょう」
アイザックの方へと向き直った若き公爵の顔からは、迷いが消えていた。
「ヨシュア陛下に取り次ぎをお願いできますか、アイザック准将」
「へぃ。このアイザック・ボルドが承りやしょう。必ず近日中に、陛下との面会を取り次いでご覧にいれやす」




