転-5 聖騎士と王女
サンサルバシオン王国の王都にある、壮麗な城の中は『ギスギス』としか言えない空気が漂っている。
第一騎士団と、北西の公爵領から帰還した第三騎士団が突然その駐屯地を王城の東側、王太子の居室のある通称『東の丸』を占拠していた。
東の丸の主である王太子、アルベルト・ビアンコは荒れに荒れ、ここ数日のワインの消費量が急増している。
「なぜだ!」
ぱりん、とガラスの割れる音に、もっとも年若いメイドが短い悲鳴を上げる。
同室する第一騎士団長、アインザッツ・アウフタクトと第三騎士団長、スフォルツァンド・リタルダンドは顔色を全く変えず、直立不動の姿勢のままだ。
「なぜあの聖騎士はベルナデッタの元へ行ったのだ!」
「所詮はどことも知れぬ場から呼び寄せた、得体のしれない者でしたな。まぁ大義も正義も理解できぬ下賤の民であった、ということでしょう」
「それだけならまだしも、第二騎士団と第五騎士団はなぜバルザックの下へなど行ったのだ! お前らは一体何をしていた!」
端的に言うとただの八つ当たり、としか言いようのない怒声に、メイド達は怯えきっていた。
王太子の勘気は、このところ毎日何度も繰り返されている。
「殿下、フォード団長以下第四騎士団は聖騎士の呼びかけに応じ、王女側についています。王国の騎士団は完全に3つに分かれました。が、ご安心ください。第一騎士団は3000、第三騎士団は第二騎士団からの離脱組をあわせ1600。王女側の戦力の4倍以上です。公爵の下へ行った第二、第五騎士団は合計でもわずか300、お話にもならんでしょうな」
アインザッツが得意げに話しつつワインを傾ける。
「そのとおりです殿下、我ら第三騎士団は北西で魔族どもと何度も戦いを繰り広げて来ました。騎士団の中でも我らが精強無比、平民上がりの第四騎士団ごとき遅るるに足らん」
アインザッツに張り合うように、傲然と旨をそびやかしたのはスフォルツァンド第三騎士団長。
ちなみに彼が言う『魔族どもと何度も戦いを繰り広げた実践経験』とは、公爵領の隅で現れる野犬程度の大きさの魔獣を追い返した話を指している。
実際のところ、彼らは『魔族ども』と呼ぶゴルドベルク軍と対峙したことなど一度もなく、何なら敵将であるべきエミリアやアイザックの顔も名前も一切知らない、という体たらくだ。
「我ら高貴な血族こそが国を率いるにふさわしい。国王陛下は王女殿下に騙されておいでなのです、魔女の奸計から陛下をお救いすることこそ、我ら騎士の本懐ではありませんか」
「おぉ、そのとおりだ。さすがリタルダンド辺境伯、貴公は貴族の何たるかを良く理解されておられる」
「無論ですぞアウフタクト侯爵、我ら高貴な家のものこそ、国を導く王太子殿下をお支えする高貴な義務を果たすべきなのです」
非常に高尚な演説をしている辺境伯と侯爵は、二人共にワインの飲み過ぎでなかば呂律が回っていない。
彼らの語る内容が机上の空論ですらなく、ただの妄想に過ぎないことは、同室のメイドにすら分かる事だった。
王太子と侯爵、そして辺境伯が声も高らかにワインを飲みながら貴族の義務について論じている隙をついて、メイドは部屋をこっそりと出ていった。
彼女が向かった先は、王女ベルナデッタの居室のある『西の丸』である。
王城を二分する勢力は、上層部こそ激しく対立しているものの、王城で働くメイドや下級官僚などは、そんなことにこだわっていたは日頃の業務を回せなくなってしまう。
こうして日頃の業務に携わる者たちは、上層部の思惑などどこ吹く風とばかりに西と東を平然と行き来している。
そのため、メイドが東側から西側へと移動する事を見咎めるものなど、誰一人いなかった。
メイドは一際大きなドアをノックすると、静かにドアが開く。
「ご苦労でした」
メイドを出迎えたのは、ゆったりとしたドレスに身を包んだ王女ベルナデッタ。その隣にはスキンヘッドの男が立っている。
「それで、どうでした?」
「は、はい……第一騎士団長、アウフタクト侯爵様と第二騎士団長のリタルダンド辺境伯様は、王太子殿下とワインを召し上がって……その、第四騎士団や公爵閣下など恐れるまでもないと……だいぶ酔っておられたようです」
「なるほど、それで、両団長殿はそれぞれの勢力について何か言っていたか?」
強面のフォードが問いかけると、メイドは少し怯えたような顔になる。が、おどおどしながらも言葉を続けた。
「その、だ、第一騎士団は3000、第三騎士団は1600と……それでその、公爵閣下の第二騎士団、第五騎士団はすべて合わせても300と」
「そうですか。それは素晴らしい情報ですわ。褒美を取らせましょう。あなたの献身と忠節に感謝します」
メイドに歩み寄ったのはフォード第四騎士団長、その手には金貨が入った小さな革袋。
「子供が病気なのでしょう? それで何か栄養のつくものでも食べさせてあげなさい」
「は、はい! ありがとうございます!」
まるで平伏するような勢いでメイドは頭を深々と提げて金貨を受け取る。
目に涙を浮かべたメイドは、何度も頭を下げながらベルナデッタの部屋をあとにする。
「……なるほど、さすが殿下。ああいう事情を抱えたものは利用しやすい」
「まぁ、聖騎士殿はお口が悪いのね。利用しているわけではありませんわ、私は助けの手を差し伸べただけ。まぁ施しを受けたものが恩義を感じて、自発的に情報をもたらして来る、といったことがあっても不思議ではないでしょう?」
「確かにそのとおりですね。申し訳ありません王女殿下、失言でした」
允恭は恭しく頭を下げる。
ベルナデッタの情報網は、城全体に張り巡らされていた。
単純に情報を収集するだけではなく、王太子らに向けられたであろう情報を遮断したり、自分たちに有利な情報を拡散する勢力を配置するなど、情報戦においても王太子らを圧倒している。
また、第一騎士団、第三騎士団内にも内通者を多く確保しており、衝突が始まる前の段階で王女率いる国王派は王太子派に圧勝していた。
「それにしても、聖騎士殿の策が面白いように当たりますな……内通者の確保に、メイドを使った情報収集……それに貴族たちを使った離反工作ですか」
呆れたような、それでいて感心したような声を挙げたのはフォードであった。
愚直な武人である彼にとって、こういった策略や搦手の類はもっとも苦手とするところであった。
「私の故郷、まぁルーツは別の国の言葉ですが『敵を知り己を知れば百戦危うからず』というものがあります。それに私の故国の昔の名将の言葉に『まず勝って然る後に戦う』ともあります。戦いに臨むに当たっては、事前準備がもっとも大切と考えます」
允恭は、良くも悪くも勤勉な男だ。
僧侶であった頃から本を読み漁り、吉川英治の歴史小説に横山光輝の三国志なども読み漁っている。
戦略や戦術を専門的に学んだというわけではないが、幸いか不幸か聖騎士となった現在、それらの知識は大いに役立っている。
「私の勝手な想像では、貴族の皆さんこそこういった策謀の類はお得意だと思っていたんですが」
「もちろんですわ。ですが騎士たちは妙なプライドというものがあるようで……効率的に事を進めることに抵抗を持つ愚かな者も少なくありません。何の役にも立たないプライドに邪魔されて、こうして勢力も戦力も削られていく……まったく、愚かとしか言いようがありませんわ」
ベルナデッタは、実益を最優先にする性質の女だ。
自らの利益になるか否か、評価基準は単純明快で、ただただその1点のみである。自らの利益になるのであれば、たとえ奴隷出身の者でも取り立てる。自分のプライドすら平気でかなぐり捨てる事が出来る。己の子宮ですら、利用することに何のためらいもない。
「それで王女殿下、陛下のお加減は?」
「よくありませんわ。お義母様ともども、お2人共日頃の不摂生が祟ったのでしょうね。今は居室にて静養して頂いています」
允恭の問いかけに眉一つ動かさず平然と答えたベルナデッタの口元は、うっすらと笑みすら浮かんでいる。
王と王妃の体調がすぐれないのは事実だった。
連日の飽食と飲酒は、着実に、丁寧に、そして取り返しが付かないレベルまで王と王妃の身体を蝕んでいた。
日本で言えば糖尿病に肝硬変、通風、高脂血症に睡眠時無呼吸症候群を患ってなお、毎日1万キロカロリー以上の飽食を繰り返し、ワインは毎食ボトル1本を空ける勢いだ。
王妃も似たような食生活を繰り返しているせいか、2人共に重度の生活習慣病により日常生活に重大な影響が出ている。
「やはり、今の両陛下では政務に就いていただくのはお気の毒ですわ」
「確かに仰るとおり。ここは一つ、王女殿下が摂政として両陛下の代理を勤められては」
允恭の細い目が鋭く光る。
恭しく頭を下げる允恭のスキンヘッドを、まるで我が意を得たりと言わんばかりの笑顔で王女が見下ろした。
「それは良い考えですわ、聖騎士殿。摂政、ああ、確かにそうするのが良いかも知れません」
王女が振り返った先に直立不動の姿勢で控えていたのは、国王派の筆頭勢力ともいえる宰相とその息子だ。
「ツァイス宰相、今の聖騎士殿の話を聞きましたね? 私は両陛下にお許しを頂いて来ます。私が摂政となるよう準備なさい」
「王女殿下の御意のままに」
「嗚呼、これは国の一大事ですわ。お父様もお義母様も、もしかすると体調がすぐれないせいで気弱になられるかもしれません。早くお話をして両陛下を元気づけて差し上げなければ。そうですね? フォード団長?」
「……は、仰るとおりかと」
ベルナデッタの言葉は、事実上『王と王妃を脅すためにお前もついてこい』という命令に等しかった。
甲冑に剣を備えた第四騎士団長はゆっくりと立ち上がり、悠然と歩く王女に続いた。
「さ、参りましょう」
ベルナデッタは浮かれていた。
第四王女として兄や姉たちだけでなく、王位継承順位が自分より下の弟にすら下に見られていたのが、今や最大派閥のトップだ。おまけに摂政ともなれば、事実上国政を意のままに動かすことができる。
勇者、須藤誠に近づいたのは大正解であった。全ては彼女の思惑通り。思い描いた計画の通りに事が進んでいる。
「聖騎士殿、あなたの忠勤にも最大限報いねばなりませんね」
「とんでもないことです。私はただただ、己の成すべきことをしているに過ぎません」
「まぁ、フォード団長の評判通り、謙虚な方ですこと」
允恭とベルナデッタ、2人の奸雄はそろって口角を上げた。




