転-4 伯爵の苦悩、公爵の選択
「サーシャ、久しぶりですね」
「公爵閣下……斯様な仕儀になり、お詫びの言葉も見つかりません」
サンサルバシオン王国北西の端、バルザック公爵領『シュワルツ・カステル』に、わずか200騎の騎士団が到着したのは、ひどい雨の日の事だった。
先頭を走ってきた女伯爵、アレクサンドラ・ライツは馬から降りると、出迎えた公爵バルザックに跪き、頭を下げた。
「よく生きてここまで来てくれました。まずは全員屋根のあるところへ。暖かいスープを用意させています。全員に休息をとらせましょう」
「ありがとうございます閣下、この御恩は命に代えてもお返しします」
「ははは、要りませんよ。それよりサーシャ、君も着替えて身体を温めなさい。この雨の中では身体も冷えたでしょう」
「いえ、部下たちが先です。部下を差し置いて上官が武装を解くなど、騎士にあるまじき振る舞いです。それに、何よりも先にすべき事があります」
甲冑姿の女は直立不動になった直後、バルザックに最敬礼の姿勢をとる。
「サンサルバシオン王国第二騎士団団長、アレクサンドラ・ライツ伯爵以下第二騎士団200名、ただいま到着致しました。これより第二騎士団の指揮権をニグル公爵閣下に委譲いたします」
「承知しました、団長。バルザック・ニグル公爵、第二騎士団の指揮権を預かりましょう」
バルザックもアレクサンドラに敬礼を返す。
「聞いたなお前達、我らはただいまこの時より、バルザック公爵閣下の指揮下に入る。異論あるものは直ちに去れ」
アレクサンドラに付き従った200名の騎士達は、一斉に公爵に向けて敬礼した。
全員が指揮権移譲に同意し、バルザックを自らの上官と認めた瞬間である。
「よろしい。それでは全員、武装を完全解除せよ。追って指示あるまで休息とする。ただし、騎士として恥ずかしくない振る舞いを心がけよ、公爵領の法の定めに従い行動する事。騎士道に反する行いは断じて許さない。我々は甲冑を脱いでも、誇り高き貴族であると同時に、国を護る騎士であることを断じて忘れるな。以上、解散!」
王国内の騎士団にあって、規律の厳しいことで知られる第二騎士団は、基本的に貴族の家の子弟から構成されている。が、彼らのほぼすべてが次男や三男、または愛人の子という理由で家督を継げない身の上である。
アレクサンドラが団長に就任する前は、第一騎士団などと同様に横暴な者も多かったが、槍の達人であるアレクサンドラに物理的に叩きのめされ続けたために、次第に綱紀粛正が徹底されて行くことになる。
今では、『騎士の前で財布を落とすなら、第二騎士団の前にしろ。第一騎士団は財布を拾ってくれるが、返してもらうには全財産をふんだくられる。第三騎士団は財布を盗む。第四騎士団が拾ったら中身のない財布が返ってくる。第五騎士団は騎士じゃない』と、揶揄するような歌まで酒場で歌われるくらいだ。
「バルザック閣下、申し訳ありません。私では部下をすべてまとめることが出来ませんでした」
「そう悲観することはありませんよサーシャ。200騎もついて来たんです、素晴らしい結果です」
「ですが、100人は第三騎士団に引き抜かれました。あの城はもはや……」
「そうでしょうね」
とはいえ、第二騎士団の中にもアレクサンドラに不満を持つものは少なくなかった。
彼らはこの騒動のドサクサに紛れ、なかば強引に第三騎士団へと移籍してしまっている。ただでさえ少なかった第二騎士団は、文字通り吹けば飛ぶような規模に縮小してしまった。
「この責任は私1人が負います。どうか部下は」
「責任があるとしたら、この私にです。第二騎士団の指揮権は今このバルザック・ニグルが持っていますからね。指揮官の仕事は、責任を取ることですよ」
「ですが閣下!」
「サーシャ、いい加減その閣下はやめてください。昔のように、バルと呼んでください」
アレクサンドラは雨に濡れたまま、困り果てたような表情を浮かべ立ち尽くした。
「ほら、サーシャもまずは湯浴みをして、身体を温めて来てください。着替えも用意させていますから」
にこ、と優しげな笑みを浮かべたバルザックが湿ったアレクサンドラの髪をそっと撫でる。
「……変わらないのね、バル」
「あなたも変わりませんよ、サーシャ。ほら、そのままだと風邪を引きます。風呂はこちらです。ゆっくりして落ち着いたら、食事にしましょう」
アレクサンドラの父は、先代の第二騎士団長であった。
ライツ伯爵家は武門の家柄であり、代々『槍のライツ』と呼ばれるほどの武辺者達を輩出している。
そんなライツ家最大の危機が訪れたのは、5年前のことだった。
アレクサンドラの父が魔獣討伐の任務中に戦死したのだ。任務中、逃げ遅れた子供を庇って単騎で獰猛な魔獣に立ち向かい、子供を逃がすことには成功したが深手を負い、それが致命傷になった。
アレクサンドラの父は、心身共に芯からの騎士であった。国王相手でも遠慮なく苦言を呈し、騎士たちの綱紀粛正を徹底し、鍛錬の見直しを訴え続けていた。
そんな彼が王城の中で煙たがられる存在であることは、娘であるアレクサンドラもよく知っていた。
アレクサンドラにとって、父は騎士の鏡であり、誰よりも敬い誇れる存在だった。
アレクサンドラ以外に子がいなかったライツ家の家督を継いだ彼女は、父の跡を引き継いで第二騎士団の団長に就任する事になった。
父が団長を勤めていた頃、1200人いた団員は、彼女が団長に就任したその日に300人に減った。
『小娘の指揮になど従えるか』
という捨て台詞を吐いて、第一騎士団へと移っていった。事実上、第二騎士団は瓦解することとなった。
幼馴染であり、婚約者でもあった第二王子バルザックが廃嫡され、公爵として北西へと追いやられたのも、ちょうどこの時期だ。
「父上……」
甲冑と服を脱ぎ、少し熱めの湯に浸かったアレクサンドラは、バシャバシャとお湯で顔を洗う。そのうち、両手で顔を覆い、誰にも聞こえぬよう必死で嗚咽を噛み殺し始めた。
アレクサンドラが湯船に入っているちょうどその頃、バルザックは執務机で3通の書状を開いていた。
1通の差出人は、兄であるアルベルト王太子。
もう1通は妹ベルナデッタ王女。
そして最後の1通は、隣国ゴルドベルク王国の北方と東方を守る大将軍、雷帝エアリア・ダンタンからのものだった。
兄からの書状には、ひたすら父王や妹を罵倒する、およそ王族が使うべきでない言葉が書き連ねられており、最後には
『弟が兄のためにその生命を捧げ戦うのは、当然の義務である。登城を許すので、父王と妹を殺せ。成功すればお前は公爵のままでいさせてやる』
とまとめられている。
妹からの書状に記されていたのは、彼女が勇者の子を授かったという驚きのニュースに加え、
『廃嫡された兄上が恐れ多くも陛下のお命を狙い、その玉座を奪わんとしている。自分も、お腹の子も狙われている。どうかお兄様の力で王太子を止めて欲しい』
と、実にいじらしく書かれていた。
最後に開かれた隣国の大将軍の書状には、何とアルベルト王太子やベルナデッタ王女の書簡がまるごと書き写された文書に加え、非常に美しい筆致で
『我らは知るべきことを存じております。賢明なる公爵閣下におかれましては、つまらぬ争いに首を突っ込まず、ただただ護りを固めるのが上策であることは、既にご存知かと拝察いたします。閣下とは今後も懇意でありたい、と我らが主も心から望んでおいでです。必要であればアイザック准将麾下の部隊を防衛力として派遣する用意がございます』
とまとめられていた。
ふぅ、と大きくため息を吐いて、バルザックは天井を見上げる。
「まさかこれほどとは」
誰へともなくそう呟いた言葉には、三重の意味が込められていた。
兄の傲慢さと愚かさがこれほどとは思わなかった
妹の野心や狡猾さ、父ですら操るその力量がこれほどとは予想していなかった。
そして、敵とされていた隣国に、国内の事情どころか書簡までもが筒抜けになっている、そんな深刻な事態に陥っているなどとは、信じたくなかった。
アイリーンの報告で、アイザック准将の部隊に聖女と思しき癒やし手がいることを知らされたのは、つい先日のことだった。
災厄と呼ばれるレッドドラゴンを、ただの1人の死者も出さず討伐したこと自体、信じがたい快挙とも言えることだ。
が、それ以上に信じられなかったのは
『平手打ちでどんな重症者もたちどころに、四肢の欠損すらも完全に回復させる』
という、途方もない癒やしの力を持つ者の存在だ。
アイリーン自身、四肢の欠損どころか半身をえぐり取られ、どう見ても致命傷であろう重傷を負った者が、1分もしない内に笑いながら歩いて戦場へ戻っていったのを見た、というのだ。
さらに、その聖女の法術は緑色の光を伴うもの、ごくごく一部の高位聖職者や大神官、大僧正クラスの者にしか扱えないというレベルの高位法術であるという。
死者すら蘇らせることが出来ると言われるほどの高い治癒力を誇るのが『緑の法術』でる。この法術を使う女となれば、無条件で聖女としてディメン聖教会が囲い込んでいたはずだ。今頃聖教会は歯ぎしりをしていることだろう。
第五騎士団長としてのアイリーン・サーサーンの報告は、『ゴルドベルク軍とは、間違っても戦火を交えるべきではない。戦力差は控えめに言っても絶望的、戦争にすらならず、どれほど奮戦しても「一方的な虐殺」にしかならないであろう』と結ばれている。
バルザックも全く同じ意見だった。
アイザックがまだ大佐であった頃から対話を重ねてきたが、『知能を持たぬ獰猛なケダモノ』と評されていたオーガ族のアイザックですら、チェスでバルザックに勝ち越すほどの知能や知性、軍略を持ち合わせている。
ましてや、ニンゲンとオーガ族ではその身体能力の差など比較すること自体バカバカしい。
バルザックがあえて公爵領シュワルツ・カステルに戦力を展開しなかったのは、ゴルドベルク王国に対し敵対の意思がない事を示すためでもあった。
戦争となれば、シュワルツ・カステル全域が焦土と化すのに3日も要さないであろう。それほどの絶望的な戦力差が、バルトーク渓谷を挟んだ両国には存在していた。
アイザック達東方方面軍がバルトーク渓谷を越えて来ないのは、ひとえにヨシュア王が平和主義者で争いを好まぬ性情であることのみを理由としている。
仮に、ヨシュア王が指1本動かせば、サンサルバシオン王国など1週間も持たず滅亡する。いや、1週間もてば大健闘と言える。
その事実を知らず、アレキサンダー王や第一、第三騎士団達は根拠もなく『魔族どもなど恐るるに足らず』と侮っている。
「誰かいませんか」
「はい、公爵様」
バルザックが力なく発した声に、中年の侍女が答えた。
「すみませんが、サーシャが……アレクサンドラ・ライツ伯爵が入浴を終えたら教えて下さい。私も一緒に食事を摂るとしましょう。あと、食事の席にはアイリーン団長も呼んでください」
「畏まりました。では、ライツ伯爵とアイリーン様にもそのようにお伝えいたします」
「よろしくお願いします。それから――」
再びバルザックは天井を仰ぎ見る。
「戦士団のバーンズ団長をここに呼んでください。今すぐにです」
「畏まりました」
侍女が去ったしばらく後に、初老の男が公爵の部屋へとやってくる。
公爵領における魔獣たちからの防衛を担っている、公爵領戦士団の長バーンズだ。
「お呼びですか、公爵」
「はい。王都でいざこざが起きているでしてね。団長にお願いしたいことがあります」
「ほう、どうなさいます閣下? 王都に乗り込んで憎き王太子殿下の御首をブッタ斬りますか」
「ははは、そんなものはもう何の価値もありませんよ。そんなことよりも」
バルザックの表情が引き締まり、シワと傷が刻まれたバーンズの顔を正面から見据えた。
「王都へ通じる街道をすべて封鎖します。これからこのシュワルツ・カステルと王都の行き来をすべて禁じます。それから、王都から騎士が来たとしても、すべて追い返します。全力で護りを固めてください」
老練な戦士は、以外そうな顔で片眉を挙げたが、すぐに主である公爵に歯を見せて笑った。
「それが良いでしょう」




