転-3 争いの火種
サンサルバシオン王国の政治中枢に近い者たちに、密かに激震が走ったのは、強い雨の降る朝早くのことだった。
「どういうことだ!」
ばん、とマホガニー製の机の天板に拳を叩きつけたのは、国王アレキサンダーの嫡男、アルベルト・ビアンコだった。
彼の周囲には、国軍の要とも言える第一、第二、第三騎士団の長に、内務大臣や軍務大臣ら高官だった。
「なぜ、今になってどうして継承順位を変えるなどということを!」
赤ら顔の第一騎士団長、アインザッツ・アウフタクト侯爵は、うろたえる『元』王太子を冷ややかな目で見ている。
彼は武人としては三流、騎士としては二流であったが、ずる賢さに関しては一流だった。
「殿下、そのように狼狽えては次代の王としてみっともないですぞ」
「黙れ侯爵! あいつが、あの女が! よりによって勇者の子を孕んだだと? お前らは一体何をしていた! あの勇者とやらはいつになったら使い物になるんだ!」
勇者、須藤誠は誰がみても明らかにそれと分かるほどに、精神を病んでいた。
暗闇を極端に恐れ、物音に怯え、ここ数日は王女ベルナデッタの姿が見えないと喚き散らし、事実上居室に監禁されているような状態だ。
神官長ネメスの手により、ほぼ常時鎮静の術を施されており、術が効いている間は大人しくしている。が、それは大人しくしているというよりも精神が覚醒状態にない、といった方が適切な状況だった。
焦点の定まらない目に、常時半開きで口の端からはよだれが垂れている。排泄も椅子に座ったまま垂れ流しの状態で、毎日侍女が半泣きになりながら勇者の居室を清掃している。
「あの役立たずのために、今度は私の立場まで危うくなったではないか! ほかの大魔道士に聖騎士は何をしている!」
「は、大魔道士殿は今も私の元で魔法の基礎を」
「基礎だと? アイツらを召喚してから何ヶ月たったと思っている! 聞けば賢者の小娘は早々に魔法を修めて、その挙げ句脱走したというではないか!」
ばぁん、と一際派手な音。だが、頑丈な机はびくともしない。
「聖騎士殿は、第四騎士団のフォードの元で訓練に励んでおります。彼はすぐにでも魔獣との戦線に出しても良いかと。それか、南方のシンカー王国との前線に配置すれば、騎士たちの士気も上がりましょう」
アルベルト王子は、傍目から見てもすぐに分かるほど追い詰められている。
見た目こそパっとせず、武力や武術には秀でていないものの、人柄も良く人望もあり、それになにより、アルベルトはおろか王女ベルナデッタすら認めるほどの政治手腕を持つバルザックから王位継承権を奪ったのは、ベルナデッタの策謀である。
王太子アルベルトは、いわば外見だけの男だった。
「王女殿下のご懐妊が本当であるとすれば、これは本来とんでもない醜聞、未婚の王女の姦通など、断じてあってはならぬことです。王太子殿下は、陛下にその点を強く訴えるべきです」
アインザッツは苛つく王太子に一歩歩み寄る。
「たとえ勇者の子であろうと、その子もまた勇者であるとは限りますまい。勇者スドウマコトが使い物にならず大魔道士ナカニシアイコも中級魔法使いレベルにすら至っていない、この状況に至ったからには、聖騎士殿を我々の陣営に抱き込まねばなりません」
「そんなことは分かっている!」
「我ら騎士団、一丸となって殿下の為に力を尽くして……」
「何を当然の事を言っている! 我が国の騎士ならば、王太子たる私のために命を捨てるのは当然のことだ!」
ぴく、と第二騎士団団長が片眉をあげるが、その表情の変化に気づくものは誰もいなかった。
「何としてでも聖騎士ムラカミインギョウを! 我々の陣営に加えるんだ! ベルナデッタに、あの売女の娘に遅れをとることは断じて許さん!」
王太子の居室から漏れるほどの怒声は、廊下にいる者たちにもよく聞こえていた。
また、廊下にいる者たちだけでなく、遠く離れた者にも。
新婚夫婦の愛の巣、ゴルドベルグ王国王都にあるエミリア・ダンタン邸では、血色の悪い男が忌々しげなため息をついた。
「なに、どしたのアシュさん? お腹痛い? 治してあげよっか?」
『吾輩が腹痛など起こすと思うか。貴様が治すというのは、実質ただの平手打ちだからな、その物騒な手を下ろせ。……貴様らを追放したサンサルバシオン王国の城で、面白いというか、もう失笑ものの事態になっていてな』
きょとんとした顔の綾子のすぐ近くで、菫が可愛らしく首をかしげる。
『まず、計算高い王女ベルナデッタが勇者の子供を身ごもったようだ。肝心な勇者は精神を病んで監禁状態、大魔道士は完全に酒浸りだな。貴様らの言葉で言えば、アルコール依存症とういやつか。そしてもう一人、聖騎士はうまく立ち回っているらしいが、相変わらず少女をいたぶっているようだ』
ちら、とアシュタロスが視線をテーブルの上に向けると、何かを察した菫が、焼き菓子が山盛りに入れられたカゴから菓子を何本か取り出して渡す。
『さすが我が主、気が利くではないか』
と、主従関係がわからなくなるくらい上から目線の褒め方をして、細長い焼き菓子を上品にサクサクと軽い音を立てて食べる。
『吾輩の見立てでは、あの国は遠からず3つの勢力に分裂する。放っておいてもかの国は滅ぶであろう』
「ほう、興味深い話だな、聞かせてもらおうか」
部屋のドアを開けて、巨躯の2人が部屋に入ってくる。
やたらと肌艶と機嫌の良い、この館の女主人にして軍の中将、エミリア・ダンタンとその夫となった拳王、大河内佐武郎の新婚夫婦だ。
「あらサブ、あんたもう良いの? 遠慮しないで良いわよ、思う存分イチャイチャして来なさいよ」
「お嬢」
「エミリアさんも、新婚旅行も行かないんだし、別に私達のことは構わないでいいから」
「ははは、もちろんだ。まだまだ旦那様とは愛し合わねば。1日も早く子を作らねばならんからな、頑張ってもらうぞ旦那様」
「おう、まかしとけ」
サブはぐい、とテーブルの水差しに残った水を一息に飲み干す。
「それでアシュ殿、かの国が分裂し滅ぶとは穏やかではないな。どういう状況だ。その情報源は何だ」
『ふむ。吾輩の使い魔をあの城に召使や騎士の姿で忍ばせているが、使い魔どもからの念話報告だ。今の時点での彼の国の状況を共有しておこう』
再度カゴから焼き菓子を鷲掴みし、中身がごっそり減ったカゴを菫に返す。
思わず菫は驚いた後少し悲しそうな顔になった。我が主と呼んだ菫の様子を気に留めることもなく、アシュは話を続けた
『第一勢力、これは現国王アレキサンダー・ビアンコ4世と第4王女ベルナデッタを筆頭とする「国王派」と呼べる勢力で、第四騎士団の大多数は国王派が手中に収めている。第二勢力は王太子アルベルト・ビアンコに第一、第三騎士団、それに古くからの血筋の貴族どもからなる「王太子派」。そして第三勢力は、王国北西を治めるバルザック・ニグル公爵と第二、第五騎士団の「公爵派」だな』
「あれ? ねぇアシュさん、こないだアイザックさんから聞いたんだけどさ? あの国の騎士団って、第一から第三騎士団が貴族からなる役立たず集団、第四騎士団は叩き上げの騎士さん達で、第五騎士団は市民出身の魔法使いって聞いたんだけど、第二騎士団も公爵派なの?」
『うむ、ここはなかなかに面白いところでな。第二騎士団の団長を務める女伯爵がいるのだがな、これがなかなかに面白い女傑だ。アヤコ、貴様と気が合うかもしれん。とにかく正義感が強く曲がったことが大嫌い、部下であっても不正を働いた者には容赦しない、といった堅物だ』
「うっわ……ヤだ、その人多分私の苦手なタイプだわ……風紀委員みたいね」
本当に、心の底から嫌そうな表情で綾子が仰け反った。
学生時代、特にグレていたというわけではないのだが、綾子は肩肘を張った堅物が中学生の頃から大の苦手である。
『この女伯爵、アレクサンドラ・ライツが腹心の部下も含む第二騎士団200を連れて王都を脱出した。おそらくは北西の公爵領を目指しているだろう』
「は? え、ちょっと待って、第二騎士団って、たった200しかいないの?」
『騎士団の戦力は第一騎士団が3000、第三騎士団が1500、第二騎士団は300。第二騎士団の内団長の伯爵に従ったものは3人に2人、といったところだな。そして第四騎士団は1000、第五騎士団は100だ。異様な配分ではあるが、これは所属する騎士の実家の爵位や貴族共の派閥で分けられているようだ。第二騎士団は事実上、高位貴族の派閥に入れなかった者たちの寄せ集めだが、貴族であっても不正や汚職、腐敗を断固許さぬ堅物がトップに座っているからな、まぁ貴族どもにとっては居心地が悪いことこの上なかろう。離反した百人は、おそらくあくどい貴族に分類されよう。第五騎士団はほとんどが市民の出ではあるが、そもそも市民出身の騎士など、国は戦力として見なしてはおるまいよ』
サンサルバシオン王国には、これらの騎士のほか警備隊に加え戦士団も戦力として参加している。戦士団は第五騎士団と同じく市民出身者であり、冒険者ギルドから高ランクのものをスカウトしたり、戦いを生業にしながらもある程度安定した待遇を求める、といった者たちが所属している。
戦士団の過半数は現在北西のバルザック公爵領に身を置いており、王都近辺の戦士団はその数をかなり減らしている。
単独では最大勢力となる第一騎士団だが、彼らは儀仗兵のような役割が殆どで、王城警備に王都の治安の良い区域の警備、要人の送迎などを主たる任務としている。
そのため、騎士団員の中には10年以上所属していながら、一度も戦闘経験がないという者も珍しくない。むしろ第一騎士団の騎士たちは『剣が鞘の中で錆びている』と噂されるほど、前線に赴くことがない者ばかりだ。
『まぁ、事実上騎士とは名ばかりだな。3000いようが3万いようが、我が主が戦術魔法を使えば一瞬で消し飛ぶであろうよ。実際に戦火を交えるとしたら、事実上国王派と公爵派の戦いになることは明白だ。王太子派の連中は、自ら進んで泥舟に乗ったようなものだな』
情け容赦のない口調で話を続けるアシュが、器用に途中で合いの手のように焼き菓子を口に運ぶ。
『エミリア・ダンタン、この焼き菓子はもうないのか。なかなか美味ではないか』
「そこにある分だけだな。まぁあとで買いに行かせよう。それで、国王派の動きはどうなっている」
エミリアが大きな椅子の背もたれに身体を預ける。
巨躯を支える脚と背もたれがぎぃ、と悲鳴を上げた。
『国王派の動きはなかなかに厄介だ。どうやらアレキサンダー四世は、王位をベルナデッタに譲るつもりでいるようだな。そして聖騎士、あの生臭坊主がこの国王派の戦力である第四騎士団をまとめている』
ぎり、という音は、サブが拳を握り固めた音だ。
「あのド外道……」
『大魔道士も勇者も、もはや使い物にはなるまい。それに吾輩が見た限り、あの暗愚な王子が玉座に座るというたちの悪い冗談に比べれば、悪どくも聡いあの王女の方がよほど王冠にふさわしかろうよ。それが民草の幸福につながるかどうかは、吾輩の知ったことではないがな』
「ふむ、なるほどな」
エミリアは腕組みをして、じっと考え込む。
巨躯に鍛え抜かれた外見から、脳まで筋肉でできていると思われがちではあるが、エミリアは母エアリアに似て聡明である。
魔王軍は、腕っぷしだけで将軍になれるほど甘い組織ではなかった。
「私のもとにはアイザックから、北西のバルザック公爵領の情報は入っている。かの公爵とは私も個人的なやり取りがあるのでな。……ん? なんだ旦那様、やきもちか? ふふ、可愛いではないか。そう心配するな、私は旦那様一筋だ。私より弱い男に興味などない」
にや、と笑みを浮かべたエミリアは、半分はエルフ族の血が入っているだけあって、顔立ちは非常に整っている。
「ふふふ、だが心外だぞ? 旦那様への我が愛を一瞬でも疑われるとはな、これは今夜もベッドでたっぷりと私の愛を注がねばなるまい」
「ふん、望むところだ」
「……お盛んねぇ、さすが新婚……んで? エミリアさん、そのバルなんとかっていう人、信頼できそうなの?」
「うむ。あの公爵は信頼してもよかろう。陛下も直接お会いになったが、陛下と母上が言うには、かの者は王の器であるそうだ。統治者としての考え方も、陛下に近かろう」
「へぇ、なるほどね。んで? こっちの動きとしては? とりあえず先方さんが内ゲバで潰し合うのを待つ感じ?」
「あぁ、その方針だ。あの国は放っておいても瓦解する。こちらは継続してバルザック公爵と交流を持ち、最新情報の共有を続ける方針だ。我らはしばらく休養、といったところでよかろう。アシュ、オマエの情報も頼りにしている」
『ふむ、まぁ良かろう』
「あ、あ、あ、あや、あや、こ、さん、これ、こ、こ」
話が一段落したことを察した菫が、手に持っていたカゴを綾子に差し出すと、綾子が嬉しそうに笑みを浮かべて菫の隣に腰掛け、アシュタロスが絶賛した焼き菓子を食べる。
驚いたような顔を菫に向けると、菫はなぜか嬉しそうに笑みを浮かべてこくこくと頷いた。
「ねぇエミリアさん、コレ本当に美味しい。ね? 私の分も買ってきてもらって良いかな」
「なんだ、貴様らは随分と焼き菓子を好むのだな。まぁ良いだろう、店にあるだけ買ってこさせよう。おい、誰かおらんか」
エミリアが声を上げると、背の高い、耳の後ろに特徴的な角の生えた大柄な女が入ってきた。
「この菓子をありったけ買ってこい。すぐにだ」
「畏まりました、ご主人様」
「ちょっと待て」
ノーム族、と呼ばれる種族の娘は歩みを止めて、エミリアへと振り返る。
「今何と言った」
「ご主人様、と申し上げました」
「どうにも好かんな。人妻となったからには……そうだな、今後私のことは奥様と呼べ」
「…………畏まりました、奥様」
「うむ」
エミリアは満面に笑みを浮かべ、満足げな顔だ。
「というわけでだ、旦那様。当面の間我らの最優先事項は、夫婦仲睦まじく跡継ぎづくりに励む、といったところになるな?」
ふふん、と不敵な笑みを浮かべてエミリアが立ち上がり、サブの肩に手を置く。
「サブ、頑張ってらっしゃい。夫婦円満、子孫繁栄、家内安全大いに結構。新婚の嫁は大事にしなさいよ? エミリアさんもサブのことよろしくね?」
「ははは、もちろんだ。さぁ、今夜も愛し合うぞ旦那様」
「今夜とは随分と焦らすじゃねぇか」
サブは不敵な笑みを浮かべ、自らよりも長身のエミリアをお姫様だっこで抱えあげる。
「可愛い嫁だ、我慢出来ねぇ。今から抱いてやる」
「嗚呼、旦那様……嬉しいぞ、女として求められるのがこれほど幸せとはな。愛しているぞ」
「あぁ、俺もだ」
新婚の2人は周囲の視線も全く気にせず、威風堂々と夫婦の寝室へと戻っていった。
この日からしばらくして、王都ではありふれた焼き菓子、通称『ロールクッキー』がダンタン中将邸に大量に仕入れられた、ということから、王都の名物として知られることになる。




