転-2 聖女、爆誕
「初めて見たけど、ああいうのってホントにいるのね」
「へぇ、奴さんはその中でも随分と厄介なアレでして」
小高い丘の頂上に設けられたテントの傍で、大柄な男と小柄な女、そして更に小さな少女と、少し離れた場所に中背の女が並んで立っていた。
この日、魔族領と呼ばれる地域の北で『災厄』と呼ばれる魔物が出現していた。
通称魔族領、正式名ゴルドベルグ王国の北と東を守る大将軍、エアリア・ダンタンの指示を受けて討伐に繰り出したのは、現在結婚休暇中のエミリア・ダンタン中将の腹心、アイザック・ボルド准将とその屈強なる配下、ゴルドベルグ王国軍国境警備隊の精鋭たちだ。
「奴さん、レッドドラゴンってなァなかなかに手強いンですがね、まぁあっしらァああいう手合からゴルドベルグを守るのも大事なお役目ってェやつでして」
「随分でっかいわね、飛行機くらいあるのかしら」
「ななななんですかヒコウキって、二人共なんでそんな平然と」
小柄な女、笹川綾子は目を細めて、遠くにオーガ族の戦士たちと戦っている赤い鱗のドラゴンを眺めていた。
隣の少女、小川菫は無表情のまま、もくもくと小さい焼き菓子を食べている。
一人慌てているのは、サンサルバシオン王国第五騎士団長、魔道士のアイリーン・サーサーンである。
彼女はバルザック・ニグル公爵の指示で、アイザック准将と共にバルトーク渓谷を抜け、こうして陣中挨拶と視察に訪れているところだった。
アイリーンは評価の第一文に『不思議なほどに運が悪い』と書かれるほど、運命の女神からは嫌われているようだった。この日も、全く何の前兆が無かったにも関わらず、突如現れた災厄級レッドドラゴンに足止めをされている真っ最中だ。
「やだ、もうやだ、私帰りたい……」
「アイリーンさん、気持ちはわかんないでもないけど、今あの渓谷を渡るのはかえって危ないんじゃない?」
「そ、そうですけど! そうですけどぉ!」
レッドドラゴンが現れたのは、一行が渓谷をわたり終えた翌日。よりによって、アイリーン達よりも渓谷に近い街道である。
「なんで、なんで私がこんな目に遭うのよぉ……私が何したっていうのよ……」
渓谷を渡ってやって来たアイリーンが驚いたのは、小柄なニンゲン、それも女性が2人も魔王軍で厚遇されていることだった。
おまけに、屈強で知られるオーガ兵達が、何故か女ボスに接するかのようにショートカットの小柄な女に付き従い、さらに少女にしか見えない小さな女の子をこの上なく丁重に扱っていることは、アイリーンも想像だにしなかったことである。
貴族出身の騎士たちの横暴に慣れてしまっていたアイリーンには、魔族と蔑んでいた者たちの紳士的な振る舞いは大いに驚きだった。
その驚きが収まらぬ内に、伝説の災厄とも言われるレッドドラゴンの襲来である。もはやアイリーンの明晰な頭脳を持ってしても、許容限界を超えてしまっている。
「れ、レッドドラゴンって言ったら、騎士団総出でも全滅必至って言われるような、そんな災厄としか言えないような怪物ですよ? なのになんでそんな落ち着いてるんですか!」
「だってアイザックさんが落ち着けって言うから。ね? スミレちゃん?」
菫は二つ目の焼き菓子を口に入れたままこくりと頷いた。
「で、アイザックさん? アレ大丈夫かしら、楽勝?」
「ま、さすがに無傷で楽勝たぁ行きませンや。けが人が運ばれて来てやす」
「あら、じゃ私の出番じゃない。スミレちゃん、一緒に来る?」
こくり、と菫が小さく頷くと、一行は丘の麓にある救護テントへと入っていった。
「これでもほら、法術士ってやつだし? けが人治すのが役目なんでしょ? 法術士って」
「へぇ、確かにその通りで」
「よし、じゃあ今日もバンバン治すわよ」
けが人を収容するテント内には、すでに十数名のオーガ族の戦士たちが収容されていた。
「はい注目!」
そんなテント内に、綾子のよく通る声が響いた。その声はテントの外にまで漏れるほどだ。
「立って歩けるモンはここに並んで! 立てない人はちょっと待ってて! 大丈夫、私が治してあげるから!」
本来、大柄なオーガ族の戦士を前にすれば、人間の女は恐怖で動けなくなるのが通例だ。
「あ、あの、あやあやあや綾子さん?」
事実、アイリーンは大勢のオーガ族の戦士に囲まれて、ギリギリ失禁を必死で堪えているような状態である。
「よし、じゃあ今から言う通りにして! 良いわね? はい返事ィ!」
「はい姐さん!」
大勢のオーガ族の戦士達が声を揃えて叫ぶ。同時にアイリーンはほんの少しだけ漏らした。
「よぉし! 私の手が顔に届くように、全員跪いて! 両手は腰の後ろに組んで歯ァ食いしばれ!」
「はい! 姐さん!」
「オラぁ気合注入!」
ぱぁん、という音がテント内に響く。
大きく振りかぶった綾子の平手が、膝立ちになったオーガの男の頬を、1ミリグラムも遠慮がない勢いで叩いた。
「ぅありがとうございます!」
「えっ……えええええなになになになにやってるんですか! 綾子さん、ちょっと、あやこさん?」
「もう一丁! 気合入れろォ!」
すぱぁん、という痛々しい音に続き、
「ありがとうございやす姐さん!」
と、謎の感謝の言葉。
並んだ屈強な戦士たちは、何故か綾子のビンタを食らった直後から異様な勢いで回復し、数秒後には怪我もすべて治癒しているような状態だった。
「よぉし、全員治ったわね?」
「うす! 姐さん!」
先程まで満身創痍だったはずのオーガの戦士たちは、今や怪我一つみられず、さらに異様なほどに戦意が高揚していた。
「日和ってる腰抜けはいないわね? さぁ立てるモンはエモノ持って! あのトカゲ野郎のタマァ獲って来なさい!」
「ぅわかりやした姐さんン!」
「さぁカチコんで来い! 生きてさえいれば全部私が治してやる! 行け! ブッ殺せぇ!」
「うおおおおお!」
「行くぞオラぁあ!」
「あのトカゲ野郎、叩っ斬ってやるァ!」
「突っ込めええ!」
何故か完全回復どころか『超回復』と言えるほど元気になった戦士たちは、勢いよくテントから走り去っていく。
入れ替わりでまた大怪我を負った戦士たちが運び込まれるが、立てるものは先程のオーガ戦士と同じように、立つことが難しいものでも、綾子がまたがってビンタを2発ほど入れると、元気いっぱいになってハネ起きる。
「っしゃあどんどん来い! 片っ端から癒やし倒してやるわよ!」
「……い、癒やし倒すってなに……」
あっけにとられているアイリーンのローブの裾が、くいくいと軽く引っ張られる。
引っ張ったのは賢者こと小川菫である。
「あ、あ、あ、あや、あや、こ、さんの、や、やり、やり方、は、あ、あんな、あん、あんな、感じ」
吃音の少女はたどたどしいながらも、アイリーンを見上げてそう伝えてきた。
「ま、賢者の嬢ちゃんの言う通りでさぁ」
まるで保護者のように、オーガ族の勇士アイザックが歩み出て菫の頭を優しく撫でる。
「笹川の姐さんの癒やしの力ってなァ凄いモンでしてね、両腕両足がふっとばされてようが、生きてさえいればあのビンタ一発で何でも治っちまうってなモンで。いやぁ法術ってなァ凄いモンじゃありやせンか」
「……そ、そんな、そんなバカバカしい法術、聞いたことない……そもそも、法術で欠損した四肢を復元するなんてありえないです! そんな事が出来るのなんて、教皇とか大僧正レベルの高位聖職者か、それか聖女さまくらいしか」
「そンじゃあ、姐さんはその聖女さまってェやつじゃねぇンですかい」
アイザックはこともなげに、とんでもないことを言い放つ。
「事実、あっしの部隊にも両足ィ吹っ飛ばされて担ぎ込まれて、こいつァダメだってンで安楽死させようとした奴がいたンですがね? 姐さんがビンタ一発で治しちまって、ちぎれた両足も見事に元通りってやつで」
「そ、そんなの有り得ないです! 伝説の聖女様だってそんなこと!」
「その両足吹っ飛ばされたのが、さっき飛び出してった奴の一人でしてね。姐さンが一人いりゃあ、即死でもない限り戦力が失われる事ぁありやせン」
「……な……何よそれ……デタラメ過ぎる……」
呆然と立ち尽くすアイリーンに、数名の戦士達が歩み寄ってきた。
「姐さんはな、俺達にとっちゃ間違いなく聖女様だよ。俺だって大怪我でハラワタはみ出てたのにほれ、このとおりだ」
オーク族と呼ばれる巨体の男は、服をめくって腹を見せて来たが、鍛え上げられた腹筋が見えるだけで傷跡などどこにもない。
「あぁ、重症者を一瞬で癒せるのなんて聖女様くらいだろう。俺も利き腕が吹っ飛ばされたのに、また生えてきたからな。怪我をしても助けてもらえるとわかれば、限界まで戦える」
エルフ族の男はぐっと腕を伸ばしてくる。もう片方の腕と見比べても、『生えてきた』など言われても分からない。
「俺なんざ腰から下ぁザックリ持ってかれてよ、お花畑が見えたと思ったら、聖女様のビンタで叩き起こされたな」
がははは、と豪華な笑い声を挙げたのコボルト族の戦士は、屈強な両脚でしっかりと立っている。
「とまぁ、そういう訳でさぁ」
「いやいやいやいや、そういう訳じゃなくて!」
ようやく冷静さを取り戻しつつあるアイリーンにとって、この情報は脅威としか表現が出来ないものだった。
魔王軍に聖女がいる。
おまけにその聖女は、生きているものなら一瞬で癒やす事ができる。
呪文の詠唱も、聖水も、魔法陣も、何なら祈りすら要らない。
平手打ち一発で四肢の欠損すら全快させられるなど、もはや法術とは呼べないものだ。
そんなバカバカしいほど強力な癒し手がいる軍勢相手に戦うなど、騎士や戦士にとっては悪夢以外の何物でもない。何しろ、一撃で殺さなければ、いくらでも回復して繰り返し戦うことになってしまう。
持久戦ともなれば間違いなく勝ち目はない。その上魔王軍のオーガ兵達は屈強で知られており、ドラゴンをもってしても一撃で致命傷を負わせる事は難しい。
おまけに、何故か今アイリーンのローブの裾を掴んだままもくもくと焼き菓子を食べているこの少女は、魔法を使う者の頂点に位置する賢者だ。
更には、この場にはいないが、魔王軍最強の戦士と呼ばれるエミリア・ダンタン中将を相手に正々堂々正面からの殴り合いで勝利し、挙げ句猛将エミリアを妻に娶った拳王の実力たるや、もはや脅威などという生易しいものではない。
「……か、勝てっこない……こんなの、戦いにすらならない……」
サンサルバシオン王国の騎士団のほとんどは、装備だけは一級品であるものの、実践経験は致命的に乏しい。
唯一実践を経験している第四騎士団は、その総数がわずか千と少し。魔法を得意とする第五騎士団も、実際に戦場で戦ったことなど皆無だ。
もしも仮にサンサルバシオン王都近くで、今まさに血塗れになって怒り狂っているレッドドラゴンが元気いっぱいの状態で現れたとしたら。
騎士団は全滅、王都も多くの犠牲者を出して壊滅することは日を見るよりも明らかだ。
ましてや、こんな災厄としか呼べないような魔獣との戦いを日常的に経験し、おまけに拳王、賢者、そして聖女を擁する魔王軍が敵意を持って攻めてきたとしたら。
「…………お、終わった、終わったわ……無理よ、絶対無理、マジで無理、ガチで無理、ホント無理……バルザック様、こんなの絶対無理です……」
アイリーンは必死で股間に力を入れて、かろうじて失禁の一歩手前で踏みとどまる。だが、それが彼女にとっても精一杯である。
ほんの少しでも気を抜いたら、盛大に漏らして失神してしまいそうだった。
「ほらもう一丁! おまけに気合入れとくわよ!」
パン、という派手な破裂音。
「おっしゃぁ! 気合い入りましたァ姐さんン!」
「よぉし、オラ行って来い!」
また一人、けが人用テントから巨人と呼べるくらいに大柄なオーガ兵が駆け出していく。
あのオーガ兵一人で、サンサルバシオンの騎士何人に相当するであろうか。5人、いや10人、現実的な評価をすれば、一個小隊ですらオーガ兵1人を止められないかもしれない。
「姐さん! 急患お願いしやす!」
そのオーガ兵と入れ替わるように、担架に載せられた大柄な男が運び込まれた。
右半身がザックリとえぐり取られ、かろうじて心臓が動いているだけの凄惨な状態。
「ひっ、ひいいいっ?」
アイリーンは尻餅をついて、今度こそ漏らしてしまった。
「下手うったわね、ったく……まだ逝くんじゃないわよ! ほら帰って来なさい!」
スパン、スパン、というビンタの音。
「目ぇ開けなさい! さっさと起きろ! キ◯タマぁブラ下げてんでしょうが! オトコならやられっぱなしで寝てんじゃないわよ!」
バシン、というひときわ大きなビンタの音からしばらくして、右半身だけ鎧がズタズタになったオーガ兵は、なんと五体満足の状態で歩いてテントから出てきた。
「姐さん、もう一発気合、お願いしやす」
「ふふん、随分欲しがるじゃない。良いわよ、ほらっ」
ぱぁん、と実に痛そうな音。
背中を叩かれた右半身だけ裸のオーガは、晴れやかな笑顔で上を向く。
「くうぅーっ、姐さんの気合、効きやすねぇ」
「でしょ。ほら、元気になったんなら働いてきなさい! さぁ行け! ぶっ殺して来い!」
「うっす、行って来やす!」
走り出したオーガの姿を見送って、アイリーンは暖かく湿った下着の感触を感じ取りつつ、ついに自分の意識を手放した。




