転-1 勇者の価値とは
朝日の射し込むベッドの上で、半裸の女が身体を起こした。
つややかな金髪と滑らかな肌が太陽の光に照らされ、芸術品のような身体を薄暗い部屋に浮かび上がらせる。
「ふふ……うふふふ……」
女は怪しい笑みを浮かべ、自らの下腹にそっと手を当てる。
サンサルバシオン王国の王女、ベルナデッタはゆっくりと立ち上がり、惜しげもなく裸体を見せつけるように部屋を歩く。
「誰か」
よく通る声でそう言葉を出すと、侍女達が部屋へと入ってくる。
その手には様々な品を携えて、凄まじいスピードでベルナデッタの身体を清め、下着を着せ、髪を整えて行く。
「ばあや」
「はい、こちらに」
侍女の中でもひときわ高齢の女が恭しく跪いた。
「神官長をここに」
「承知致しました。すぐに」
老齢の女が立ち去ると、ベルナデッタは服を着せられながら悦に入ったような笑みを浮かべる。
「うふ、うふふふふ……ついにやったわ。ついに、これでようやく」
不意にベルナデッタの手が翻り、コルセットを着けようとした侍女の頬を叩いた。
「コルセットは不要よ。ウェストを締め付けないものにして」
張り倒された侍女は平伏して、額を床に擦り付ける。
急遽ドレスは別のものに替えられた。それでも熟練の侍女達の手はとどまること無く、ベルナデッタの身支度を整えていく。
勇者と呼ばれた青年は、未だベッドの上でだらしない寝顔を浮かべている。
勇者に割り当てられた豪奢な部屋は、なかば王女の寝室となっている。その部屋に入ることが許された男は、勇者ただ1人である。
が、今日この日だけは、例外として一人の初老の男が歩み入ってきた。
「お呼びですか、王女殿下」
「ええ、調べて頂戴。新しい命を授かっているかどうか」
ベルナデッタが歩み寄った老人は、サンサルバシオン王国におけるディメン聖教会神官長、ネメスである。
ネメスの両手が黄色い光を放ち始めると、その手を王女の下腹に近づける。
しばしの沈黙。周囲の侍女達も固唾をのんで見守っていた。
「どうかしら」
「おめでとうございます、殿下。ご懐妊です」
王女ベルナデッタが満面の笑みを浮かべる。
「ベルナデッタ殿下、勇者様はどのように」
「そうね、とりあえずもう用済みではあるけれど」
まるで路傍の石ころでも見るかのような冷たい視線。この視線の先にいる男が、異世界から召喚された勇者であるなどと、事情を知らないものであれば想像すら出来ないであろう。
「まだ利用価値はあるかしら……でも訓練もろくにしていない、魔族1人殺した程度であんなに打ちのめされる勇者なんて、お飾りにしかならないわ。そうね、例えば今の状態で魔獣討伐の最前線に送り込んで奮戦の甲斐なく戦死、我が国の誇り高い騎士たちは勇者の仇討ちに燃える、なんてことになれば、ある程度は価値も上がるかも知れないわね。とりあえず私は体調がすぐれないと言っておいて。それからお父様に大切なお話がある、と伝えて頂戴」
恐ろしいスピードで化粧が施される間、王女は目を閉じている。
「殿下、陛下がお会いになるとのことです」
「そう。分かったわ」
老齢の侍女が戻り、ベルナデッタにそう告げると、視線も合わせずに答える。
「ネメス」
「は」
「一緒に来て下さらない? 次代の勇者について、陛下にご報告申し上げなければならないわ」
「畏まりました。殿下」
王女ベルナデッタは、神官長ネメスを伴い王城の長い廊下を悠然と歩く。
その顔には愉悦とも見て取れる笑みが浮かんでいた。
2人の姿を遠巻きにみていたのは、スキンヘッドの男だった。
細い目をさらに鋭く細めて眉間にシワを寄せ、小さく舌打ちをする。
「これだから子供は……所詮高校生、やはり考えなしでしたか」
誰にも聞こえない声でそう呟くと、作務衣にも似た服のまま少し早足で第四騎士団の訓練場へと歩き始める。
「おぉ、これは聖騎士殿、そのように急いでどちらへ」
聖騎士、村上允恭に後ろから声をかけたのは、第一騎士団に所属する伯爵家の令息の一人だ。
騎士とは思えないほどでっぷりと肥え太り、まめ一つないその手で剣を握ったことなど数える程しかない。
「フォード団長と話し合わなければならないことがありまして」
「あぁ、あの成り上がりものですか」
クロイツフェルト・フォン・リュックバーン・ヤコブ・フラウヴェンブルクという、非常に長い名前の伯爵令息は、遠目でも分かる侮蔑の表情を浮かべる。
允恭の神経を逆なでする外見と声、さらには、そのやたらと長い名前すら允恭の逆鱗に触れるようなものである。が、それを表情に全く出さない辺り、允恭の自制心は驚異的なほどに強靭に鍛えられている。
「あのような市民上がりの下賤の者など、本来ならば聖騎士殿と言葉を交わすことすらはばかるべきであるのに、まったく身の程を知らん下々の者は困ったものですな」
「恐れ入りますが、いささか急な用件で、急いでおりますので」
「まぁまぁ聖騎士殿もそう遠慮なさらず、おなじ騎士ではありませんか。私が伯爵家の者とは言っても遠慮は必要ありませんぞ」
允恭の眉間のシワが深くなる。
王城の中で得られる情報から允恭が推測した状況は、お世辞にも楽観的に捉えられないものだ。
魔王領とやらとの戦争は、どうもサンサルバシオン王から仕掛けたものであるようだった。
おまけに魔王たちとの戦い以前に、王国の辺境に頻繁に出現する魔獣たちとの戦いですら劣勢であり、戦争云々を論じられる状況ではなかった。
それでいて第一騎士団、第三騎士団は訓練もろくに行わず毎日王都で歩哨を行う程度。辺境からの情報などは数日に1度届く程度だ。
「失礼、急いでおりますので」
伯爵令息の話を強引に切り上げ、石造りの薄暗い階段を急いで下る。
大魔道士としてその名を知られてしまった中西藍子は、もう1ヶ月ほど自室からほとんど出ていない。第五騎士団長の魔道士による指導も断り、毎日ワインを飲んでいるというのがもっぱらの噂だ。
賢者こと小川菫、拳王こと大河内佐武郎、それに法術士のなんという名前だったか、やたら小柄な胸の平らな女の行方も不明なままだ。
肝心要の勇者、須藤誠はひたすら王女やメイドと交じるばかりで、ついに王女を孕ませた。
「自分の価値を理解していない子供は、良いように使い潰されて終わりですよ」
つい口から出た言葉が、石造りの狭い通路で反響する。
現時点では、須藤誠の『価値』は、ただただ勇者であること、その一点のみである。
剣術の訓練も受けていない。魔法も使えない。勇者という称号を与えられた、ただの役立たずの子供。それが須藤誠という勇者の実際の姿だ。
だが仮にその勇者としての特質が遺伝するものであるとしたら。
この世界で唯一の勇者であるからこそ、須藤誠という極めて凡庸な男には庇護される価値があった。
それがもし勇者に子供が出来たとしたら。
過去に、勇者が子をなして、その子供に勇者の素質が受け継がれていた、という前例があるとしたら。
さらに、その子供が体制側、為政者側に取り込まれる可能性が極めて高いとしたら。
戦う力もない名ばかりの勇者など、もはやただの穀潰しでしかない。
「フォード団長、至急相談せねばならないことがあります」
「おぉ、これは聖騎士殿、いかがされた」
初老の男は甲冑を脱ぎ、薄暗い部屋でコーヒーを飲んでいた。
允恭に剣術や盾術を教え込んだのは、第四騎士団長のフォード。騎士団内で唯一、本物の戦力と言える存在だ。
「おそらくですが、王女ベルナデッタ殿下がご懐妊されたようです」
「な」
がた、と勢いよく椅子を倒して、フォードが立ち上がる。
あってはならないことだ。
未婚の、それも王族の姫が身ごもるなど、言語道断の醜聞である。
「あ、あああ相手は——」
「勇者、須藤誠かと」
「勇者殿が……なんて、なんということを」
「団長、下手をするとこれは……国が割れかねません」
「せ、聖騎士殿、それはいったい」
「良いですか団長、ベルナデッタ殿下が勇者の子を身ごもったとなれば、発言力も影響力も王太子殿下をも凌ぐほどのものになりかねません。となれば、王女殿下に近い者たちはこう考えるでしょう。『国の未来を預けるに足るのは、次代の勇者の母となるベルナデッタ王女だ』と」
「……で、では、王女殿下はまさか、王位を」
「それはわかりません。ですが、王太子殿下に近い者は……第一、第二、第三騎士団は面白くないでしょう。騎士団の中には王太子殿下や第一騎士団、第三騎士団の貴族然とした姿勢に反感を持つものも少なくありません。となると……」
「騎士団が2つに別れて争うことになる、と?」
「あくまで可能性の話です。王太子殿下の派閥と王女殿下の派閥、この2つが国を分裂させる事態になれば、魔族との戦い以前の問題です」
「…………なんと、なんということだ……我が国は自滅することになる」
フォード団長は武人としても軍人としても優秀である。
現状の危うさをすぐに理解した。
「こうしてはおられん、今すぐ陛下に上申しなければ」
「残念ですが遅いでしょう。先程神官長と王女殿下が陛下の執務室へと向かっていました。今ごろは陛下のお耳にも王女殿下ご懐妊、それも勇者の子を身ごもったという、とびきりの朗報が入っていることでしょう。この情報を陛下がお知りになったら」
「……間違いなく、王位継承に影響が出る。国が割れて内戦が起きる」
フォードは、とうの昔に諦めていた。
王、アレキサンダー・ビアンコは暗愚の王だ。
それだけならまだしも、王太子アルベルトはアレキサンダーが名君に思えるほどの暗愚の王太子である。だからこそ、フォードも第二王子であったバルザックに期待するところが大きかった。
バルザックの世となれば、国は変わる。そう信じていた。
だが、バルザックは王位継承権を剥奪され、第一王子が王太子となってしまった。
サンサルバシオン王国の未来は、閉ざされたも同然だった。だが、現状は想定された暗い未来よりも遥かに悲惨だ。
野心家の王女と暗愚極まる王太子による、国を二分した王位争いなど、国民と国力を疲弊させるだけでしかない。
「聖騎士殿はどちらに付くおつもりか」
フォードは、恐る恐るという表情で允恭に訪ねた。
武辺者である彼にとって、貴族政治など忌み嫌う最たるものだ。だが、今は政治が必要となってしまう事態である。
「私は、王太子殿下の事をよく存じ上げませんが」
允恭は凄まじい勢いで考えを巡らせる。
お気に入りの使用人、リズは確かベルナデッタの元侍女だ。ベルナデッタの元には、まだ少女と呼べる年代の使用人が十数人いる。
そして最近頻繁にかわいがっている男爵令嬢、彼女の生家は王女の派閥の貴族である。
ついでに言うならば、允恭は高位貴族達に対して良い印象を持っていない。
暗愚極まると言われる王太子と比べ、自らの子宮すら利用する王女の決断力と行動力、そして胆力は評価に値するだろう。
現状で考えるならば、勝ち馬と言えるのはどうみても王女側だ。
「個人的な好き嫌いはひとまず置いておいて……叡明なる王女殿下ならば、サンサルバシオンを導くに足る器量を見せてくださるのでは」
「……やはり、聖騎士殿もそう思われるか」
「はい」
フォードは、やはり諦めてしまっていた。
現王では、そして王太子では貴族のための国であり続けてしまう。
どのような形であれ、この国も変わらなければ生き残ることすら出来ない。そうなれば蹂躙されるのは力なき市民だ。
本来騎士とは、力なき民の盾となるべき存在だ。フォードは心の底からそう信じている。
「フォード団長、決断のときは近いです。第四騎士団は、実働部隊としてはもっとも高い戦力を有しています。第四騎士団の動向こそ、この国の未来を決めるでしょう」
允恭の声は穏やかで、優しかった。
寺での説法や、児童養護施設で警戒心を露わにする子どもたちと打ち解ける時と同じように、優しく穏やかで、柔和な声。
がっくりと、フォードは白髪頭を下げて項垂れた。
堕ちた、そう革新した允恭の顔には、酷薄な笑みが張り付いていた。




