承-10 魔族の何たるか
アイリーンが目を覚まして最初に目に飛び込んできたのは、酒場の大きな陶器のジョッキ。
そして顔を上げて視界に入ってきた、第五騎士団の騎士たちと現地の戦士たちがいびきをかいて眠っている姿。
窓の外は明るく、すでに夜が明けているようだった。
「お目覚めですかい、お嬢さン」
二日酔いでガンガンと痛む頭をゆっくり動かして、声の方向へと視線を向ける。
その先には、実に上品に朝食を食べているオーガ族の男が座っていた。
「ひっ」
「まぁまぁ、そう怯えられると話も出来やしねえってヤツで」
オーガ族の男、アイザック准将は慣れた手つきでスープにパンを浸し、もぐもぐと行儀よく食べている。給仕をしている若い娘には、彼に怯える様子はまったくなかった。
「すいやせン、スープのおかわりを」
「はぁい。ちょっとお待ち下さいね」
若い娘が大柄なオーガ族の男から木の鉢を受取り、鍋からなみなみとスープを注ぐ。
「そう言えばアイザックさん、聞きましたよ? 今度将軍なんですよね? すごいなぁ」
「いやぁ、あっしは別になにか功績があったってェわけじゃねえンで。ただ親分が休暇にはいるってンで、その穴埋めでさ」
「それでもすごいですよ。うちのお兄ちゃんとか毎日お酒ばっかりで、ほんっと頼りないんだから」
「まぁまぁ、警備隊がヒマだってェのはイイことですぜ。医者と軍人と警吏はヒマでいるのが一番だ」
「それはそうですけどぉ……」
給仕の娘が、床で伸びている若い男を乱暴にかかとで小突いた。
「こんなんじゃお嫁さんになってくれる人なんていないですよ。もうっ」
からからと明るくアイザックは笑い、またパンをスープに浸して口に入れた。
「なァに、うちの親分も結婚できたンだ、誰にでも縁ってヤツぁあるンでしょうよ」
「あ、あの……」
アイリーンは恐る恐る、という表情でアイザックと給仕の娘へと歩み寄る。
「へぇ、何でしょう」
「……昨日はすみません、よく知りもしないで失礼なことばっかり……」
「ま、慣れてまさァ。残念じゃありますがね、ニンゲンにとってあっしらァ随分と怖い存在らしい」
悠然とスープに浸したパンを食べるアイザックの姿に、給仕の娘は全く怯える様子もなかった。
むしろ馴染みの客の1人としか思えない、警戒心も緊張感も無い接客であり、騎士であるアイリーンに対しての警戒心のほうが強いようにも思える。
「えと、それでその、アイリーン……さま? は、あの、何かお食べ、じゃなかったお召し上がりに」
「あの、私は別に貴族とかじゃないですから、そんなに固くならないで」
「……いえ、でも」
慌ててアイリーンが手を上げて制するが、娘の警戒心はさらに強くなったようだ。
「……騎士さまに失礼なことを言ったりしたら、店を壊されたり殴られたり……」
「な、なにそれ! それどういうこと!」
「ひっ……す、すみません、すみません、申し訳ありません! 殺さないで!」
「あっ、あの、ごめ、ごめんなさい、そういうつもりじゃなくてその……」
かなりこじれてしまった事態に、アイザックがやれやれと呟いて2人の女へと体ごと向き直る。
「第三騎士団ってェのが以前いたのはご存知でございやしょう。アイツらァひどいモンでしてね、店で金を払わねェ、気に入らなかったら当たり前のように市民を殴る、女は慰み者ってな具合でしてね、市民の騎士に対する信頼なンざァ無きに等しいってやつでさァ」
「そ、そんな……そんな、市民を守る騎士がそんな……」
アイリーンは二日酔いもあってか、顔面蒼白である。
「お嬢さン、どうです? この姐さンに第三騎士団がどんなことしてたか、洗いざらいぶち撒けてみちゃあ。公爵閣下にも再三上申してたでしょう」
給仕の娘は、あろうことか人間の国の領土で、人間の騎士と魔族の将軍の二人が対峙する場において、魔族の将軍にすがるように歩み寄った。
この時点で、少なくとも彼女にとって人間の騎士が信頼に足らない存在であることは明らかだった。
「アイリーン団長、こいつァ本来、サンサルバシオンの内政問題だ。あっしが首ィ突っ込む話じゃねェってのは百も承知ですがね。ただこれだけ国の市民とお偉いさンとの信頼関係が損なわれちまうってのは、ちょいと見逃せねェってやつで」
「え、えぇ……あの、お嬢さん? この場では、少なくとも私には何を言っても罪に問うたりすることはないと約束します。だから」
「騎士様の約束なんて、そんなのあとからいくらでも無かったことになるじゃないですか……」
給仕の娘は、小さく呟くような声で、怯えたように話す。
「騎士様は、ここで飲み食いしておいて、後で払うって約束したのに平気で踏み倒して……街を守るって言ってたのに、ただお酒を飲んでるだけで」
「…………そ……それは……」
「やれやれ、随分騒いだようですね。すみませんが、ちょっと先に支払いを良いですか?」
店の入口から、不意に若い男の声。
三人が振り返ると、そこには困ったような嬉しいような、複雑な笑顔のバルザックが立っていた。
「すみませんね、店の片付けもちゃんとさせます。とりあえずは昨日のお代ですけど、これで足りますか?」
バルザックが差し出した小さな袋には、金貨が数枚。
店の一週間の売上にも相当するくらいの金額で、明らかに迷惑料込の支払いだ。
「あ、あの閣下、これじゃ頂きすぎです、流石にこんなには」
「いえいえ、良いんです。この様子じゃ随分ご迷惑をおかけしたでしょうから。それに、今まで第三騎士団がかけたご迷惑を考えれば、まだ足りないくらいですよ」
公爵はカウンターに腰掛け、あろうことか市民の、それも酒場の給仕の娘に頭を下げた。
「すみません、途中からですがお話は聞いていました。彼らを、第三騎士団をここから追い返すのにだいぶ時間がかかってしまいました。その間、理不尽な目に併せてしまいましたね。そのお詫びも含んでいます」
第三騎士団の素行の悪さがバルザックの耳に入ったのは、バルザックがこの北西の辺境の地に赴任してすぐのことだった。
街の治安を守り、国境を守護するはずの騎士が、市民を虐げて街を荒らしていた。
市民の一人、老いた男が決死の覚悟でバルザックのもとへ陳情に来たのは、バルザック赴任の翌月のことだ。
話を聞いてもらえれば、自分は処刑されても構わない。でももはや市民の我慢は限界である。第三騎士団の手綱をしっかり握ってもらいたい。
店のものを盗まないでもらいたい、対価は支払って欲しい。街の娘をすべて娼婦として扱うのもやめて欲しい。市民を憂さ晴らしのために殴るのも、家に無断で入り込んで金品を漁るのもやめてもらいたい。
バルザックは、しばらく言葉が出なかった。
貴族の子弟で構成される第三騎士団にとって、市民など家畜と同じだった。
まだ野盗や山賊の方が害が少ない。なにしろ相手は貴族であり、逆らったら自分だけでなくその家族にまで類が及ぶおそれもある。
まともな裁きや法の適用など、期待することもできない。
バルザックが赴任してきた時点で、騎士団と市民との関係は、控えめに言って最悪であった。
事態の重さを把握した公爵は、すぐに動いた。
第三騎士団を王都へ送還するよう手配し、手勢として連れてきた戦士団を防衛に当たらせるよう、ほうぼう奔走した。バルザックによる第三騎士団の異動申し入れが聞き入れられるまで、実に4年もの歳月を要した。それだけ、バルザックの王都における発言力は低くなっている。
第三騎士団にとっては、王都を離れ北西の辺境を守護する任務など、左遷にも等しい屈辱であったためか、彼らを王都に送還する動きは、第三騎士団にも好意的に受け取られた。
「第五騎士団には申し訳ない事になりましたが、この街に貴族を受け入れることは難しいんです」
バルザックはそう呟くと、酒場の床で転がっている戦士達に視線を移した。
「彼らも元は市民の出です。元王族の私が色々言えた立場ではないんですが」
給仕の娘が差し出した水を、ためらいなくバルザックは口にした。
「サンサルバシオンは腐っています。なんとかしなければと頑張ってきたんですが……その結果がこのざまです。いやはや、なんとも情けない限りです」
「バルザックの旦那ァよくやってらっしゃると思いやすぜ。まぁこのお嬢さン達が理不尽な目に遭ってたってなァ変えようのない事実でしょうがね、それでもここは、このシュワルツ・カステルの街は人間が暮らしていくのに良い街だと思いやす」
アイザックはスープをぐいっと飲み干して笑みを浮かべる。
「うちの親分も大親分も、旦那とは懇意でありてェって言ってやしたぜ。ところでね、騎士のお嬢さん」
アイザックの言葉にアイリーンは血色の悪い顔を向けた。
「お嬢さんにとって『魔族』ってなァ何でしょうかね。とりあえず今ンとこは、あっしを指さすのは無しですぜ?」
「……魔族は……私が聞く限りでは、人間から奪って、殺して、女を拐って……」
「ほう、そいつァ奇遇だ、全く同感ですぜ。それにね、あっしにはそういう輩に心当たりがありやすぜ。多分お嬢さンもご存知でしょうがね、そいつァ第三騎士団ってェ奴等じゃねぇですかい?」
「あ」
アイリーンは愕然として言葉を失った。




