承-9 北の国から
サンサルバシオン王国北西部は、南側から遥かに続くバルトーク大渓谷により隔てられているものの、魔族領と境を接している。
ニグル公爵ことバルザックはここ3年ほどの間に街道を整備し、またバルトーク大橋ほどの規模ではないものの、渓谷の向こう側すなわち魔族領へと続く吊橋の修繕工事を進めている。
「こ、公爵閣下、こんな橋をかけるなんて、その……失礼なことを申し上げますが、到底正気の沙汰とは思えません」
「私は正気ですよ、アイリーン団長」
美男子で知られる王太子とは母親が違うとはいえ、バルザックはお世辞にも見栄えのする男ではなかった。
中肉中背、戦士や騎士としては小柄な方で、物腰も柔らか、領民にも直接声をかけて、時には民衆が集う大衆食堂で食事を摂ることもあるという。
王国内では、伯爵ほどの爵位のある貴族の当主ならば、広大な邸宅に愛人の4人や5人は当たり前、使用人は下手をすると100人を超え、執事も数名を抱えた上に独自の騎士団や傭兵団を組織するのが通例である。
が、バルザック公爵の邸宅は民衆が集う街なかにあり、以前は村役場として使われていた古い建物をそのまま使用している。
使用人はわずか4人、執事が1人いるだけで、独自兵力は保有しておらず、つい先日までこの公爵領には第三騎士団に所属する騎士が駐留していた。
彼らはアイリーンら第五騎士団と入れ替わりで王都へと帰還しており、今日このときより公爵領の防衛は第五騎士団が一手に担うこととなってしまった。
2000人を超えていた第三騎士団に対し、第五騎士団はわずか100人、領土だけは広大な公爵領の防衛には、どう考えても人手が足りない。
その上公爵は、敵対勢力であるという魔族領と公爵領との間に、秘密裏に橋をかけていたというのだ。これは常識人であるアイリーンであっても、公爵の正気を疑わざるを得ない状況だ。
「で、ですがその、公爵閣下、この橋の向こう側は魔族領ではないのですか? こんな橋が出来てしまったら」
「お話の途中すいやせン、バルザックの旦那。お取り込み中ですかい」
「おぉ、これはアイザック殿。ちょうどいいところに」
慌てふためくアイリーンの背後に、かなり大柄な人影が立った。
接近され、声をかけられてはじめてその気配に気づいたアイリーンが慌てて振り向く。
「ひっ?」
大きく見上げる巨躯に、服の上からでも分かるほどに鍛え上げられた全身を覆う筋肉の鎧。
武器は持っていないが、その人影が騎士団に所属する騎士ごときでは到底太刀打ち出来ないであろう強者であることだけは、武術を嗜まないアイリーンでもすぐに分かった。
「こちらは今日から赴任してきた、サンサルバシオン王国第五騎士団の団長、アイリーン・サーサーン。アイリーン団長、こちらはゴルドベルク王国東方方面軍、エアリア・ダンタン大将軍麾下のアイザック大佐——いや、そう言えば准将に昇進されたんでしたね。准将、どうぞよしなに」
「へぇ、こいつァご丁寧に。よろしくお願いしやす、アイザック・ボルドと申しやす」
「ご、ご、ご、ごご、ゴルド、ゴルドベルグって……閣下? これ、これはどういう!」
「どういうも何も、私はかねてから彼らと交流を持っています。君たちが彼らにどういうイメージを持っているかはあらかた察してはいますが、彼らは王都の者たちよりも遥かに話が通じる相手ですよ」
「で、ですが! ですが彼らは」
「まぁ、お嬢さンが慌てるのも分かりやす。なンせあっしらァ、お国じゃ『魔族』と呼ばれてるらしいじゃねぇですか。そいつぁまぁ心外ってェやつですがね、だがバルザックの旦那は話がわかる御仁だ。旦那があっしらとちゃんと話ィしようってンで、あっしらもこうして丸腰でこっち側へやってきてるってェわけでさ」
アイリーンは、驚きを抑えきれなかった。
他の騎士団のものからは、魔族領ことゴルドベルグ王国の者たちは人語も介さず、女と見れば襲いかかって集団で犯し、子供は引き裂いて喰らい、人間を見たらとりあえず襲って殺して奪う野蛮な者たちと聞かされていた。
アイリーン自身、魔族と呼ばれる彼らと接したのは今回が初めてである。
「ほう、聞き覚えのある声がしたか思えば、アイザック殿ではないか。酒でも買いに来られたか?」
会話の場に、アイザックと同じく大柄な男が歩み寄ってきた。
酒臭いニオイをさせながらもしっかりとした足取りで歩み寄ってきた男は、公爵領における主戦力とも言える戦士団の男だ。
「そいつァ考えてやせンでしたねぇ。酒だけはニンゲンが作ったモンの方が美味いが、あいにく酒精が弱くて酔えねェンでね、今日は酒じゃねぇンでさ。バルザックの旦那に昇進のご挨拶ってェやつで」
「ほう、アイザック殿は昇進されたか。めでたいじゃないか」
大柄な戦士は後ろへ振り返り、アイリーンが思わず耳を覆うほどの大声を上げる。
「おう、酒だ酒だ! 酒もってこい! 我らが宿敵、アイザック大佐が昇進したそうだ! 祝杯だァ!」
「バーンズ団長、酒はほどほどに。それから団長、こちらは第五騎士団のアイリーン・サーサーン団長です。共に防衛にあたっていただくことになりますからね、彼女たち第五騎士団とも懇親会をお願いしますよ」
「ほう、あのクソ忌々しいお貴族様、第三騎士団はついに王都にご帰還あそばされましたか。これは重畳」
戦士団長、バーンズ・リードは豪快に笑った後、意外なほど優しくアイリーンの尻を撫でる。
「きゃあぁっ! ちょ、ちょっと何を!」
「ワシは戦士団を預かるバーンズ、あの伏魔殿からようこそ来なすった。まぁ肩肘張らずに。公爵閣下も我らが友も、そう望んでおるでしょうな」
「と、友って……?」
不審げな顔で尻を手で隠すように後ずさったアイリーンに、バーンズが満面の笑みを見せ隣にたつオーガ族の男とがしっと肩を組んだ。
「決まっておる。我らが友にして好敵手、ゴルドベルグ王国の勇士アイザック准将殿だ」
がっはっはっは、と豪快に笑いながら、戦士団長は敵将と肩を組んだまま酒場へと入っていった。
「やれやれ……アイリーン団長、騎士団の皆さんにも食事と酒を用意させましょう。とりあえず団長もご一緒に」
「ま、待ってください! ゴルドベルグ、魔族領といったら私達サンサルバシオンの敵ですよ? なんで、どうして公爵閣下がこんな——」
「君の目には、彼は敵だと写りましたか? オーガ族の勇士アイザック准将が」
「当たり前です! だって魔族ですよ!」
「では聞きますが、なぜ魔族は敵なのでしょう?」
アイリーンは、早くも混乱し始めていた。
魔族が敵であることなど、子供でも分かる常識なはずだ。
そのことに対する疑問など、考えたことすら無い。
「何故って、それは魔族領はニンゲンを襲って……」
「我がサンサルバシオンでは、そんな事実は確認されていません。むしろ、我々が彼らに危害を加えた記録ならありますがね。確か第五騎士団はサンサルバシオンの戦史の研究もしていたのでは?」
「た、たしかにその、これまでの戦争というか、争いはサンサルバシオンから攻め込んだものばかりですが、でも、魔族はニンゲンを……」
「実際に襲っているのは我々ニンゲンの方です。彼らは専守防衛で、彼らの側から我々に危害を加えてきたことは、ただの一度もありません」
「でも、あの、それでも魔族とサンサルバシオンは戦争を」
「わが父が、南方の国シンカー王国への侵攻の足掛かりに、ゴルドベルグ王国南部へ一方的に攻め込んだのが戦争のきっかけです」
アイリーンは、その聡明な頭脳を必死で働かせる。
魔族は野蛮なニンゲンたちの敵であり、脅威であり、サンサルバシオンにとっては不倶戴天の仇であるはずだ。
その理由がある。かならずある。
王立魔法大学を首席で卒業し、騎士団に入団し才覚をあらわした女魔道士は、必死で考えていた。
が、理由が見つからない。
「そ、それでも、それでも魔族は」
「では君は魔族とそうでないものをどう分けるんですか? ゴルドベルグ王国にはニンゲンも少なからず住んでいますが、彼らも魔族ですか?」
「そんなの捉えられて、奴隷扱いされてるに決まってます! 解放しないと!」
「では最後の質問です。君は実際に、魔族と言われるゴルドベルグ王国の者たちがニンゲンを襲うところを、その目で見たんですか?」
「それは——」
途中まで答えてアイリーンは絶句した。
アイリーンの持つ情報は、あくまで伝え聞いたものだ。
第一、第二、第三騎士団の報告書に書かれていた内容や、国王が演説で語った内容。
過去の文献や伝承といったものが、アイリーンの持つ情報の全てだった。
「私は、この地で直に彼らと交流を持ちました。仮にゴルドベルグ王国が我々人間の敵だったとしても、まずは相手のことをよく知らなければなりません。そして私は彼らと直接の交流を持って5年、彼らが人間を襲うなどというところは見たこともないし、この地でそんな話を聞いたことすらありませんよ。むしろ王都の貴族や王族などよりも、彼らの方がより良い交流を持てています」
「……で、でも、魔族は……魔族は言葉も通じず、女と見れば拐って犯して子供を産ませて、生まれた子供を引き裂いて食べるって……」
「先ほどご紹介したアイザック准将、彼とは話は通じていたようですが?」
「え? あ、はい……あの、確かに」
「君たちがゴルドベルグに関してどのような情報を聞かされていたか、おおよそは想像が出来ます。しかし私は断言できます。君たちが聞かされていた情報は嘘です」
アイリーンは立ち尽くしていた。
「実際に会話をしてどうでしたか? 第一騎士団長や第三騎士団長と比べて、どちらが意思の疎通が出来そうでしたか?」
膝が震え、視界のはしにちかちかと星のようなものが飛び交い始める。
呼吸が荒くなり、耳の奥で聞こえる自分の鼓動が耳障りになった。
「ここだけの話ですが、私は魔王殿とお会いしたことがあります」
顔面蒼白になり、血の気がごっそり引いてしまった顔色のまま、アイリーンはすがるような視線を公爵バルザックへ向けた。
お願い、許して、もうやめて。そう懇願するような顔で、ぱくぱくと口を動かして声にならぬ声を出そうとする。
だが、バルザックは冷酷に言い切ってしまった。
「彼らは、我らよりも遥かに人間らしい。魔王殿こそ真の王の器ですよ。我が父など比べるのも恥ずかしい」
そこまで聞いたところで、アイリーンの意識は途切れてしまった。




