承-7 実力を示せ
派手な音を立てて、大柄な甲冑姿の男が石床を転げ回る。
「次」
無愛想な、地の底から響くような声の主は、質素な服に徒手空拳で、円形闘技場の中央で仁王立ちしている。
一見無防備に見える立ち姿の拳王、大河内佐武郎に後ろから切りかかったのは、拳王を凌ぐ大男である。
巨人族とも呼ばれる少数民族、ティタン族の戦士で、巨大な薙刀のような武器を竜巻のように振り回してサブへと襲いかかる。
数ミリ程度の間合いを見切り、最小限の動きで間合いを詰めると、ほんの一瞬の隙をついて巨人の腹に拳を叩き込む。
「ぐほぁっ!」
巨人の腹に、拳王の拳が手首近くまでめり込んでいた。
「次」
巨人が倒れ込む前に、サブが短く言うと、立ち上がったのは褐色の肌に赤毛の女将軍、エミリア・ダンタンである。
「ふふふ……新妻を放っておいて、ずいぶんと見せつけてくれるではないか。相手が女であったら夫の浮気で枕を濡らすところだったぞ。さぁ旦那様、二人きりで愛を語らうとしようか」
魔王軍最強の戦士、ダンタン中将に不敵な笑みを見せた拳王は、この日初めて拳を上げて構えた。
「夫婦の語らいか。悪くねぇ」
「さぁ! いざ尋常に!」
新婚夫婦の語らいには到底似つかわしくない、始まりの合図となる言葉。
周囲を囲む魔王軍の猛者たちの表情は、畏れを通り越してドン引きの状態だ。
ここ数日、魔王軍の訓練所を兼ねた円形闘技場で、魔王軍の猛者たちを叩きのめし続けていた。
先ほど腹を殴られて倒れたティタン族の男は、魔王軍の西方を守護する将軍の右腕であり、魔王軍全体でも十指に入るほどの剛の者だ。
「ご苦労だった」
「……ひどい目に遭いました……アレが拳王ですか」
ティタン族の男に声をかけたのは、真っ白い肌に長い耳を持つエルフ族の男だった。
齢千年の大魔道士、ティベリウス・ネストリウスは、軍の階級で言えばエミリアよりも上位となる階級、王国で3人しかいない大将軍であり、西方の守りを司る軍の重鎮だ。
「あれは確かに、ダンタン中将よりも強いかと」
「それほどか」
「間違いなく。自分の矛もすべて見切られてましたし、あの拳は予測が出来ていたのに避けられなかった。それも、自分に怪我をさせないように手加減してました」
「ほう……では、あの拳王と戦場で敵としてまみえていたら、どうなる?」
「死ぬでしょう」
「ふむ」
ティベリウスは短くそう答えると、闘技場で繰り広げられている「夫婦の愛の語らい」に目を向ける。
ちょうどサブがエミリアの腕を掴んで、一本背負で背中から地面に叩きつけるところだった。
ずん、という重い地響き。
褐色の巨体が、まるで石床にめり込むような格好になっている。
「夢だったのだ、こうして殿方に組み敷かれるのが」
エミリアは、生まれついての強者だ。
特に何の訓練もしなくても、そこらのオーガ族の戦士よりも強かった。
腕っぷしだけでティタン族をねじ伏せる事ができ、武器の訓練をしてからは並み居る軍の猛者たちを次から次へとなぎ倒していった。
彼女にとっては『自分を制圧することができる男』など、この世に存在しないとすら思えるものだった。
「嗚呼、こんなにも嬉しいものなのだな。女として求められるというのは」
「随分と可愛いこと言うじゃねぇか。ほら来な。今度はベッドでたっぷり可愛がってやる」
サブが鍛え抜かれた腕でエミリアの巨体を抱きかかえると、ずんずんと重たい足音を立てて軽やかに歩き出す。
「まずは風呂だな。今夜は寝かさねぇから覚悟しろよ」
「ふふふふ、愛する夫に求められるのは妻の喜びというもの、いくらでも付き合おう」
恐ろしく物騒な会話ではあるが、エミリアとサブにとって、自分たちは『ただの仲睦まじい新婚夫婦』である。
ちょうどエミリア、サブの夫婦が自宅の風呂に一緒に入った頃、パンゲアの城壁外部では凄まじい地響きと雷鳴のような轟音が轟いた。
「……驚きました……賢者とはこれほどのものでしたか」
ヨシュアをはじめ、魔王軍の名だたる大魔道士たちが見守る中、小柄な菫が『杖なし、魔道具なし、詠唱なし』で放った魔法は、直径50メートルを超えるクレーターを作り出している。
『何を驚くことがある、スミレはこの地獄の大公爵、アシュタロスの主たる者であるぞ。本来なら貴様らごとき並び立てる者ではない』
痩せて血色の悪い男は不機嫌そうにそう呟いて、音もなく菫の直ぐ側へと飛んでいった。
上から下まで黒尽くめ、黒髪に紅い瞳の大悪魔アシュタロスは、まるで守護神のように菫に寄り添っている。
『くれぐれも甘味を切らさぬことだ。菫は殊の外甘い焼き菓子を好む。吾輩は生菓子でも構わんぞ。甘味であれば何でも良い』
「わかりました。用意させましょう」
苦笑いを浮かべた魔王ヨシュアがゆっくりと立ち上がり片手を軽く挙げると、メイドたちが手際よくテーブルと椅子、そしてティーセットを運び込んできた。
「とりあえずは、ありあわせのものですが」
魔王の言葉の途中で、リスのように俊敏な動きで菫が席につき、早速小さなマカロンを口に運ぶ。
「お気に召しましたか?」
魔王の問に、菫がこくりと小さく頷いて2つ目の菓子に手を伸ばす。
「お、おい、お、おいし、い、です」
「そうですか。どうぞ好きなだけ。足りなければ持ってこさせます」
「まお、ま、ま、魔王、様は、た、たべ、たべ、食べな、いの」
「僕もご一緒して良いですか? ありがとうございます。それじゃあご相伴しましょうか」
少年のようにも見えるヨシュアは菫の対面に腰掛けて、優雅にマカロンを手に取った。
『ニンゲンどもの国は大混乱なようだな。何しろ賢者が姿を消し、勇者と大魔道士は使い物にならず、唯一残ったのは聖騎士ただ1人だ』
「勇者が使い物にならない、というのはにわかには信じがたいですが……何があったのでしょうか」
『……吾輩がスミレを伴ってあの趣味の悪い城を後にする時、吾輩の使い魔どもを城に置いてきた。奴らからの報告によれば、かの勇者とやらは人を手にかけて以来精神を病んでおるようだな』
「なるほど……大魔道士も同様でしょうか」
『であろうよ。だが問題は聖騎士だ。ヤツだけは平然と人を殺してのけたそうだ』
「噂では、聖騎士は元の世界では神官のようなものであった、とのことですが……」
『僧侶だ。だがまぁあの男ならば、人の命を奪うことくらい鼻歌でも歌いながらやってのけるであろうよ』
「聖騎士にしては随分と剣呑な話ですね」
アシュタロスは忌々しげに、砂糖がたっぷりと入った紅茶を一口飲み込んだ。
『地獄にあって極悪人どもを多く見てきた吾輩でも、まぁアレの類を表するときには吐き気を催す邪悪、という言葉を選ぶ。あの男は獣欲を年端もいかぬ少女に向け、実際に何人も孕ませた挙げ句、女の腹に宿った子を殺している』
菫の手が止まり、ヨシュアも端正な顔を悲痛に歪ませた。
『ニンゲンの城にあってもすでに2人、男爵令嬢と城の使用人の娘を毒牙にかけておる。まぁ辱めた娘の数だけで言えば、勇者のほうが多かろうがな。そこを勘案しても邪悪さで言えば聖騎士のほうが別次元に上と言えよう』
「……僧侶とは一体何なのか、問いただしたくなりますね」
『吾輩も全くもって同感だ。おまけにあやつ、菫にまで食指を伸ばさんとしておった。ちょうど菫のような外見の、幼女から少女があやつの獣欲を刺激するようでな』
はぁ、と忌々しげなため息を付いて、ヨシュアが天を仰いだ。
『あやつがもし吾輩の統べる地獄に堕ちて来たとしたら、問答無用で業火で焼き続けるであろうよ』
「そんなのでも生ぬるいわよ」
アシュタロスの背後から唐突に女の声。
外見はまるで少年のようにも見える、綾子が歩み寄って来ていた。
「あ、あ、あ、あや、あや、こ、さん」
「ゴメンねスミレちゃん。お待たせ。サブとエミリアさんがラブラブだったから、もう置いて来ちゃった」
先程まで綾子はサブの組手を見物していたが、最後にサブの相手となったエミリアと個室に入ってからは、エミリア副官のアイザックとしばし話しながら待っていた。
が、部屋の中からエミリアの嬌声が聞こえ始めたため、諦めてアイザックとその場を離れ、こうして菫に合流したところである。
「まぁ新婚にしたってよ? あそこまでのべつ幕なしにするモンかしらね」
「すみません、ダンタン中将にとっては初恋なようですから、新婚の間だけでも大目に見てあげてください」
「ですがね魔王様、あっしらァ親分不在で国境を切り盛りしなきゃいけねぇってンで、なかなか大変なンですがね」
同席のアイザック大佐は、少々疲れが残る顔で申し訳なさそうに焼き菓子に手を伸ばした。
「アイザック大佐にも苦労をかけますね。先程大将軍達と協議をして、アイザック大佐には来月の人事で准将に昇進して頂くことにしました。准将であれば、国境警備隊の指揮官として問題ありませんから」
「へぇ、そいつァありがてぇ話ですが……」
「ひとまずダンタン中将の下に入っていただくことは今までと変わりはありません。ゴルドベルグの東方守護は、ダンタン中将の母君、エアリア・ダンタン大将軍に引き続き総指揮をお願いしてあります」
「え、エミリアさんのお母さんって、大将軍?」
思わず驚きの声を上げたのは綾子である。
「そうですよ。エミリア・ダンタン中将は王国最強の戦士の1人ですが、エアリア大将軍は人類最強です。ダンタン中将の父上はもうお亡くなりになっていますが、母君の大将軍はエルフ族ですからね。長生きなんです」
「……エアリアの大親分ですかい……こいつァ大変だ」
はぁ、とアイザックが大きなため息。アイザックの巨躯の後ろからは、エルフ族の男が魔王ヨシュアへと歩み寄っている。少し遅れて、やや背の高い女が続く。
「これはティベリウス大将軍にダンタン大将軍、お疲れ様です」
「陛下におかれましてはご機嫌麗しゅう」
見た目だけは青年だが、齢千年を超える大将軍は優雅に礼をしてアイザックの隣に腰掛けた。
「こいつはティベリウスのオジキ、いつも世話ンなってやす。それに……」
ちら、とアイザックが視線を向けた先にいる女は、同性である綾子や菫が見とれて言葉を失ってしまうほど美しい。傾城、傾国の美女とはこういう女をいうのだろう。
褐色の肌に白い髪、そして深紅の瞳は、成熟したダークエルフ族の特徴である。
「お久しぶりでございます陛下。この度は娘の突然の話をお聞き届け下さり感謝に堪えません」
「いえいえ、おめでとうございますダンタン大将軍。亡きご夫君もお喜びだと思いますよ」
「えぇ、きっとそうですわ。ただ婿殿はともかくとして、母に一言の相談もなかったあの暴れ馬には、あとで仕置が必要ですけれど」
はは、と乾いた笑いを浮かべたのはアイザックである。
「お、大親分、どうかその、なンというか、出来ればお手柔らかに——」
「アイザック」
「へぇ」
アイザックの言葉を遮ったダークエルフ族の美女は、器用に顔の下半分だけで作った笑顔をアイザックに向ける。
「1つ聞くわ、婿殿は強いのかしら? あなたよりも?」
「へぇ、拳王の旦那に比べりゃ、あっしはその辺の子猫みてェなモンでさぁ」
「あら、随分高く買ってるのですね。楽しみだわ。えぇ、とても楽しみだわ」
うふふふふ、と怪しげな声で笑う女傑が、思い出したかのように視線を綾子と菫に向けた。
「挨拶が後先になってしまいましたわね? そちらが婿殿の縁者の方ね? はじめまして。エアリア・ダンタンと申します。エミリアの母です」
「あ、あの、はじめまして。笹川綾子です。こちらは小川菫ちゃん、この子は少し話すのが苦手で」
「あらあら、そうなのね。大丈夫よ、構いませんわ。綾子さん、この度は婿殿の件、娘のワガママに付き合って頂いてありがとうございます」
美しいエアリアが深々と頭を下げる。真っ白な髪はまるで絹糸のように美しい。
「笹川の姐さん、こちらは親分の母上、エアリアの大親分でさァ。魔王軍の最古参で、大魔道士であり同時に剣聖の称号を持つお方ですぜ」
「え、そんなすごい人なんだ……」
「へぇ、何しろエミリアの親分が敵わねぇ相手がいるとしたら、その筆頭が大親分で」
エアリア・ダンタンは、魔王軍において『雷帝』の異名を取る魔剣士であり、剣術と魔術両方を極めた傑物として知られている。
普段は穏やかな笑みをたたえた絶世の美女であるが、気象や地形をも変えてしまうほどの威力の魔法を操り、さらには剣においても大陸中に並ぶものなし、と言われるほどの力量を持ち、一人娘であるエミリアを厳しく鍛え上げた師でもある。
「サブさん、でしたかしら? ごめんなさいね、大事なご家族なのでしょう?」
「えぇまぁ。でもあいつもエミリアさんみたいな女性が好みだって言ってたし、身を固めてもいい歳だったし、なんというか縁と運とタイミングが良かったみたいで。でもアイザックさんも大変よね? いきなり上司が休暇とか」
「へぇ、その通りで……こうなったからには大親分にも、それにティベリウスのオジキにも世話ンなることも増えるかとは思いますが、どうか」
「そう他人行儀にするな、アイザック。お前もじきに准将、将軍職になるのだ。となれば私の同僚とも言えよう。力を貸すのは当然だ。もっと気楽に接するといい」
西方を守護するティベリウス・ネストリウスは数少ないエアリアの弟子の一人であり、魔法に特化した力を持っている。
その魔力だけならば師エアリアを超えると言われ、特に氷や水を操る魔術に長けた大魔道士であり、実に千を超える魔術を自在に操り無限の魔力を持つ、と噂される。
「いやいや、そいつァ勘弁ってやつですぜオジキ。軍ってなァ縦社会だ。同じ将軍でも、大将軍と准将じゃ大違いってやつでさァ。あっしがオジキに慣れなれしくしてた日にゃぁ、ウチの親分に殴り殺されッちまう」
あっはっは、と屈託のない笑い声はヨシュアのものだった。
「まぁ確かに、でもアイザック大佐、あなたには皆期待しています。もちろん、私もティベリウス大将軍も、もちろんダンタン大将軍も、軍を挙げてバックアップしますから」
「へぇ……どうにも荷が勝ってやすが、精一杯勤めさせて頂きやす」
アイザックは魔王軍の国境警備隊にあっては、エミリアよりも古株だ。
誰よりも国境付近の地理に明るく、そして部下からも慕われ上官からは右腕として頼りにされている。中間管理職的な役回りではあったものの、誰よりも現場の苦労を知る一人だ。
「賢者の嬢ちゃんに、笹川の姐さんが助けてくれるッてンならまぁ、これほど嬉しい話ァ無いンですがねぇ」
『案ずるな。国境近くにも吾輩の使い魔を配置しておる。基本的に吾輩の指示しか聞かんが、有事には貴様の指揮命令系統に入るよう、吾輩からも言っておこう』
「ありがとうごぜェやす、アシュの旦那」
人類最強の大将軍と齢千年の大魔道士、さらに屈強なるオーガ族の新たな将軍、それに賢者に加えて地獄の大公爵が一同に介したテーブル。
一般人がこの光景を見たら、おそらくは恐怖と戦慄で失神するか、その生命すら失っていたかも知れない。
「あ、あ、ああ、あや、あや、こ、さん」
「ん? どしたの菫ちゃん?」
そんな中、誰からも戦力として見られることもなく、平々凡々そのものであると思われている法術士の女は、今この時点において魔王軍からも脅威とはみなされていない。
事実、彼女の持つ力は「直接触れたものの怪我や病気を癒す」というものでしかない。戦力としてはあまりにも心許ないものだ。
だが、魔王軍最強の戦士を打ち負かす『拳王』を従え、『賢者』に慕われ、挙げ句魔王にすら心を許される彼女こそが、この時点では世界で最も恐れられるべき存在となっている。
「こ、これ、これ、おいしい、です」
「そ? よかった」
そんなもっとも恐るべき綾子は、にっこりと優しい笑みを浮かべ、すぐとなりに座る少女の髪を慈しむように撫でた。




