承-6 素顔の魔王様
「いやぁ申し訳ありません。ああいう場ではありましたけど、どうしても勘違いする輩はまだまだいるんです」
決して華美ではないが、品の良い調度品で揃えられた応接室。その中央に据えられた円卓には、あたたかそうな湯気の立った紅茶と、菫が思わず身を乗り出してしまうほど美味しそうな焼き菓子が並べられている。
「さぁどうぞ、慣れない土地でお疲れでしょうから」
「あ、あの、えっと……お褒めに預かり……じゃない、あの」
綾子が言葉を選んでいると、少年王は苦笑いをして自ら綾子に席を勧めてきた。
「普通に話してください。僕もその方が嬉しいですから」
「あ、あの、ありがとうございます」
「エミリアも、それからそこに隠れてる方もどうぞ、ご一緒に」
少年王の視線は、何も無い空間に向けられている。が、その言葉の意味するところは、綾子と菫、それにサブにはすぐに理解できた。
室内に不意に霞が湧き上がり、その奥から痩せた顔色の悪い男が現れる。
『なるほど、魔王を名乗るだけはあるな小僧』
黒衣に身を包んだ地獄の大公爵、アシュタロスは特に断りもなく、椅子を引いて菫のすぐ隣に腰掛けた。
『先に立場を明確にしておく。吾輩は我が主、菫に召喚された。故に吾輩がその指示を聞くのは原則として菫だけだ。例外として菫が信頼する綾子の依頼は聞くことがあるがな』
「心得ました。ありがとうございます」
少年王は優しげな笑みを浮かべ、サブとエミリアにも着席を促した。
「さて、まだ名乗っていませんでしたね。僕はここ、ゴルドベルグ王国の第六代王、ヨシュア・ゴルドベルクです。魔王と呼ばれていますが、まぁ実際はただのエルフ族の男です」
「あの、笹川綾子です。こっちの子は」
「お、お、お、おが、おが、小川、すみ、す、菫、です」
菫が菓子に伸ばしかけていた手を一旦引っ込めて、小さく頭を下げる。
「自分が大河内佐武郎、サブで良い」
『……吾輩は地獄の大公爵たる告発者アシュタロス。魔王と呼ばれることもある故、貴様と同類であるとも言えるな』
「ありがとうございます。承知しました。それから、基本的に大公爵は今のスタンスで居ていただいて構いません。それから本題に入る前に、ですが」
ちらり、と少年王ヨシュアが顔をサブに向ける。
「拳王サブ殿、でしたね。ありがとうございます」
突如、王がぺこりと頭をサブに向かって下げた。
「いやぁ、正直なところエミリアのことは母の代から心配していたんです。伴侶が見つかって本当に良かった。おめでとう、エミリア。サブ殿も」
にこっと笑みを浮かべたヨシュアは、綾子から見れば実に人懐っこい少年のようにしか見えない。が、彼は老練な貴族を一言だけで黙らせる事が出来る。それだけの力を持った存在であることは、先程の謁見の間で証明されている。
「結婚休暇は、まぁ東側の状態次第にはなるけれど、基本的に取ってもらって構いません。アイザック大佐とよく相談してくださいね」
「御意に」
「うん。それじゃ本題だけど……綾子さん、で良いですか?」
「はい」
「皆さん、この魔族領、ゴルドベルグ王国への亡命を希望、ということでしたけど、一応事情を伺えますか。綾子さんの口から」
「解りました。ご説明します」
綾子の口から、ゆっくりと、慎重に言葉を選びながらの説明が始まった。
彼女たちが鉄砲玉の自爆攻撃で死んだこと。
サンサルバシオン王国に召喚されたこと。
彼女がありふれた『コモンスキル』である法術士であったこと。
それが王の逆鱗に触れ追放されたこと。
王都での教会とマフィアとのいざこざ、レナータを支配するマフィアの撲滅と野盗団とのこと。
そして菫との合流を果たしてからバルトーク大橋での一件。
「……まぁ、かいつまんで話せばこんなところね……こんなところです」
「なるほど、解りました。綾子さん、普段通りに話していただいて良いですよ? あまり堅苦しいのは僕も苦手ですから」
少年王の言葉は穏やかで、表情はにこやかだ。が、その全身からは凄まじい圧力で迫力とも言える何らかの力が噴出しているようにも見える。
「それにしても……あの愚王は救いがたいですね。あのような王が居座るようでは、民衆の暮らしも困窮しているのではありませんか?」
「そうね。聖教会だったか何だったかは忘れたけど、一般市民への炊き出しも出来ないくらいらしいわよ。騎士団の給料もロクに出せなくなって、首都の治安が悪化してるっていうのに王族は宝石でジャラジャラ飾り立てて贅沢三昧。呆れてモノも言えないわね」
はぁ、と忌々しげなため息をついて少年王ヨシュアは、あどけなさの残る顔で眉間にシワを寄せる。
「サンサルバシオンのディメン聖教会、僕らから言わせれば、弱者を食い物にする事を第一目標とした組織です。物資の横領に横流し、贈収賄、そして人身売買……あんな組織が神の代理人を名乗るくらいです、ニンゲンの神は随分と悪どいのだと思います」
「そうね、同感」
「何はさておき、綾子さんにサブさん、それに菫さんの亡命は受け入れます。安心してください。必要であれば住居もご用意しましょう」
「陛下、それなら我が夫サブは私の家に」
豪快な声を上げて一歩前に踏み出したエのはエミリアである。
「エミリア、お前と所帯を持つことにゃなったが、俺はお嬢のそばを離れない」
「だがそれでは、私は新婚早々ダンナ様と離れて暮らすことになるな……そうだ。ではお前たちも、アヤコもスミレも我が家に来るが良い。 私がお前たちの後見となれば、ゴルドベルク国内での面倒事は8割以上片付くはずだ。それに私は夫とともに過ごせるし、我が家の使用人どもにお前達の世話も任せられる」
「なるほど、確かに中将の申し出は僕としてもありがたいですね」
「バルトーク近辺には別邸が、王都には我が本邸がある。部屋数なら心配いらんぞ。使っていない客間がいくつもあるからな」
ゴルドベルグ王国内の事情どころか、この世界の事情にすら通じていない綾子たちにとっては、渡りに船となる話だ。
軍の重鎮が後見人ということであれば、事実上身元保証がされるようなものである。身動きもしやすいし、万が一サンサルバシオン王国の手が伸びてきたとしても、身を守るための方法も手段も情報も得やすいだろう。
「良いの?」
「無論だ。それにアヤコは我が愛する旦那様、拳王サブが仕える女。であれば、軍の階級はともかくとして私もアヤコに仕えるようなものだろう」
「……って言ってるけど、良いのかしら? 魔王様?」
ははは、と軽く笑って少年王ヨシュアは背もたれに体を預けた。
「構いませんよ。中将の忠誠は僕個人に向けられるべきものじゃない。軍は国民と国土を守るための盾です。軍人の忠誠は国家と国民にこそ捧げられるべきもの。僕の事は気にしないで良いですよ。もっとも、綾子さんが我が国と国民に剣を向けなければ、ですけどね」
「そこは心配しないで。亡命を受け入れてくれた恩は絶対に裏切らないわ。サブも、良いわね?」
「はいお嬢」
「スミレちゃんも、それで良い?」
菫は相変わらずの無表情のまま、こくりと小さく頷いた。
『吾輩から1つ良いか、綾子』
「ん? なぁにアシュさん」
いつの間にか、窓際に佇んでいた痩せた男は、陽の光を浴びて忌々しげに顔をしかめていた。
『吾輩は我が主たる菫を護る立場だ。エミリア・ダンタンとやら、吾輩は部屋などは要らんが、貴様の屋敷に出入りすることとなる。構わんか』
「一向に構わん」
豪快な返事に、なぜかアシュタロスはさらに眉間のシワを深くする。
『ならば吾輩も貴様の好意に甘えるとしよう。出来ることならばこの国の甘味があると更に良いのだが』
「ほう、何だオマエ、見た目によらず甘いものが好みか? 良いぞ、私も甘い菓子は好むところだ」
妙なところで意気投合したのか、女傑エミリアと大公爵アシュタロスはその図体に似合わない優雅な振る舞いで、王都内の甘味処の話に花を咲かせ始める。
「あ、あ、あ、あの、あ、あ、あや、綾子、さん」
「ん? どしたのスミレちゃん」
「さ、さぶ、さぶさん、ほ、ほん、ほん、本当、に、け、け、けけ結婚?」
「んー、まぁそうねぇ……サブも36でいい歳だし、それに独身だし、いい相手がいたら私に止めるつもりはないわよ。それにね」
綾子は少し嬉しそうに目を細めて、少し離れた場所、エミリアのすぐ後ろで仏頂面のまま座っているサブを眺める。釣られるように菫も眼鏡の奥の大きな目をサブへと向けた。
「あいつもね、そろそろ自分の幸せ考えなきゃ。いつまでも私のお守りばっかさせられないもの」
「ああ、あ、あや、綾子、さん、って、さ、さ、さ、さぶ、サブさんと」
「ん? あぁ、あいつね、私が小学生の頃から組にいるの。……あぁ、そっか、言ってなかったかもしれないね。私んちね、実家がいわゆるヤクザでさ」
「ヤクザ? とはなんですか?」
菫と綾子、小柄な2人の会話に割り込んできたのは、体格的には綾子よりも少し長身なくらいのサイズである魔王ヨシュアだった。
「まぁマフィアみたなものね。いわゆる無法者よ。とはいっても、いたのは私の祖父とサブ、そして私の3人だけの弱小組織で、どのみち私で組は畳むつもりだったの。まぁ……色々あったしね。ただ、サブは堅気でやってくには不器用すぎるのよ。真面目ないいやつなんだけど、荒事しか能が無いというか」
「そんなことはないと思いますよ。彼はなかなかに頭も切れるようです。軍であればかなりの実力の持ち主と言えるでしょう。皆さんの亡命を心から歓迎します。ではエミリア・ダンタン中将、王として命じます」
「はっ」
エミリアが素早く巨体をかがめ、ひざまずく。
「亡命者の皆さんを手厚く保護するように。我が国における戸籍登録は内務担当官が一両日中に済ませるよう、僕から指示します。それから……誰かいませんか」
魔王ヨシュアがドアへと振り返り声を掛けると、静かなノックの後メイド服姿の娘たちが数名入ってくる。
「改めて温かい飲み物と、あと甘い菓子を。それから女性用の着替え一式を、彼女たちのサイズに合うものを見繕って持ってきて下さい。それから、ダンタン中将のご夫君の衣服も見繕って来るように」
「御意に」
うやうやしい礼をして、メイドたちは素早く部屋から出ていった。
彼女たちの装いも、城内の設えも、そして魔王ヨシュア自身の装いも地味で質素そのものだ。
布地は良いものを使っているものの、華美な装飾の類は一切なく、ましてや宝石類など何一つ身につけていない。
側仕えの者たちに対する態度も物腰柔らかで丁寧そのものだ。
「同じ王様でもここまで違うと、もういっそ笑えちゃうわね」
「サンサルバシオンの王、アレキサンダー4世ですね。噂では耳にしましたが、かなりの宝石コレクターだとか……」
「コレクターっていうか、あれはもう見栄と虚栄心と選民意識と承認欲求と体脂肪の権化ね。あんなのが同じニンゲンだと思うと、ちょっと吐き気がするわ」
はは、と軽く笑ってヨシュアがやや困ったような顔を浮かべる。
「ニンゲンにも色々います。アレキサンダー王と王妃のような者もいますが、彼らの子バルザックは全く違うタイプのようです。実は我々はバルザック氏とは交流がありまして」
「へ? ……え? ニンゲンの、あの、えっと王様の子ってことは? バルザックって人は……王子様?」
「はい、そうですね」
「……あなた達が、ニンゲンの国の王子と交流があるの……?」
「はい。僕もダンタン中将も、バルザック氏のことは評価していますよ。できることなら、彼に早く王になって欲しいと思っているくらいです」
「じゃ、じゃあその……ニンゲンの言う『魔族との戦争』って……?」
はぁ、と少し物憂げなため息をついて、ヨシュアが苦笑を浮かべた。
「とんでもない言いがかりですよ。ただのニンゲン同士の諍いなのに」
綾子が口を開けて驚いているのとは対称的に、菫はさもありなんという顔で頷きながら、運ばれてきたジャムクッキーを頬張っていた。




