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承-5 魔王城の魔王様

 エミリアは、魔王軍の中でも古参の1人であり、かつ最強の戦士の1人である。

 

 魔王軍には厳然たる階級があり、一兵卒となる二等兵から尉官、佐官といった将校に、准将、少将、中将、そして最高位となる大将軍といった将軍職も設けられている。

 国境の守護神、エミリア・ダンタン中将は、文字通り国の境を護る軍人であり、かつ武においては魔王軍に並ぶもの無しと言われる猛者である。当然のように、魔王軍だけでなく魔族領に暮らす者のなかで、女傑エミリア・ダンタンの名と姿を知らぬ者はいなかった。

 

「エミリア様、お待ちしておりました」

「うむ、出迎えご苦労」

 

 魔族領の首都となるこの都市、パンゲアの門番達にとっては、エミリアは雲の上の存在とも言える。

 そのエミリアが長年駐留していた東の国境、バルトーク渓谷の居城から首都パンゲアに赴き、数年ぶりとなる魔王との謁見を申し出た、というニュースは、魔族領全体に凄まじいスピードで広がっていた。

 

『わが生涯の伴侶を紹介したい』

 

 というのが、エミリアが魔王への謁見を申し出た理由である。

 もちろん、召喚された勇者の亡命を受け入れたい旨の具申も兼ねているが、エミリアいわく

 

『召喚勇者ごとき、別に恐れるには足りん。実際、50年前も召喚された勇者とやらが攻め込んできたが、バルトーク大橋を渡ることなく、丁重にお帰りいただいた。拳を交わしたこともあるが、まぁ我らが魔王軍の軍曹から少尉あたり程度の実力だ。恐るるに足らん』

 

 とのことである。

 

 実際のところ、ニンゲン達の国では度々勇者召喚が行われており、そのたびに魔族領と小競り合いが起きているのだった。そのせいか、魔族領には人間に対しあまり良い感情を抱かない者は多い。

 

「薄汚いニンゲンか……」

 

 小さな舌打ちの音。

 門番の1人が綾子とサブ、そして菫を見て吐き捨てるように呟いたその声を、エミリアは聞き逃さなかった。

 

「貴様、今なんと言った」

「ひっ」

 

 突如、眼の前に山脈のようにそびえるエミリアの巨乳が現れた、と感じた門番は息を呑む。

 

「今何と言った」

「も、申し訳ございません!」

「誰が謝れと言った。私は発言を繰り返せと言ったぞ」

 

 エミリアの言葉は穏やかではあったが、その語気には明らかに怒りが含まれている。

 

「この一行は我が客人、客人への無礼は私への無礼に等しい。さぁ、発言を繰り返せ」

「お、お、おおおおおゆお許しを……」

「門衛! この場の責任者は誰か!」

 

 エミリアのよく通る声に、白髪で耳の長い男が反応する。

 

「自分であります、エミリア様」

「名前と所属、階級は」

「は、ローライ・トリプレット。首都警備隊第三中隊中隊長、階級は大尉であります」

「部下の躾が行き届いていないな。この者は私の命に従わなかった。上官への不服従は軍人にあるまじき態度だ」

「は、全く持って仰るとおりであります」

「トリプレット大尉、貴様の隊では上官の客人に対して無礼を働けと教えているのか」

「いえ、教えておりません」

「ならば我が客人と我が夫に無礼を働いたこの者に対して、貴様はいかなる処分が適当と考えるか」

「は、打擲の上謹慎3ヶ月、または懲戒処分の上不名誉除隊が相当かと」

「エミリア」

 

 不意に、大女のすぐ傍で地の底から響くような低い声。サブだった。

 

「その辺にしとけ。俺等はヨソモンだ」

「だがこの者は我が夫たる――」

「エミリア」

 

 サブの大きな手がエミリアの腰をぐいっと引き寄せて、何かをいいたげな口を唇で塞いだ。

 

「んぐっ?」

 

 しばし、その場にいる全員が呆然と立ちすくむ。

 怒りに満ちていたはずのエミリアの顔から力が抜け、頬が紅く染まり、力強い腕がサブの背中へとそっと伸びた。

 

「いい子にしてりゃ、また今夜可愛がってやる。この辺で勘弁してやれ」

「……はい」

 

 誰も見たことがない、エミリアの『女』の顔だった。

 咳払いをしてから居住まいを正して、エミリアがローライ・トリプレット大尉に向き直る。

 

「我が夫に感謝するんだな。この場は旦那様に免じて収めてやる。特に貴様」

「は、はひっ」

 

 呟いた門衛は歯をガチガチと鳴らし、まるで杭か柱のように硬直していた。

 

「貴様が生きて明日の朝日を拝めるのは、全て我が夫、拳王サブのおかげだ。五体満足で家族のもとに帰れるのも、その慈悲によるものだ。朝な夕な、命がある事を旦那様に感謝しろ。日に3度、起床時と正午、そして就寝前に我が愛する旦那様、拳王サブに感謝の祈りを捧げて生きろ」

「は、はひ、はひっ」

 

 じょろろろろろ、と豪快な水音を立てて門衛は直立不動のまま失禁した。

 トリプレット大尉に敬礼を返して、エミリア一行は首都パンゲアへと立ち入る。

 

「……何ていうかさ、魔族領の首都っていうからもっとこう……暗くて禍々しいイメージだったんだけど」

 

 綾子が馬車の窓を開けて外へと視線を向ける。


 美しく整備された街区に、きれいに舗装され車道と歩道がきちんと分けられている道路。

 様々な種族が質素ながらもきちんと衣服をまとって、秩序を持って街を行き来している。

 晴れた空は青く空気は澄み、路地からは子供たちの笑い声が響く。

 広く確保された歩道にはところどころベンチが置かれており、老人たちが腰掛けてにこやかに子供たちを見守っている。

 買い物用のバッグを抱えた者たちが野菜や食料品を買い込んで、忙しそうに店から店を巡っている。

 

「……随分平和というか……」

「まぁ、ここに来たニンゲンは大抵そういう顔をする。滅多に来ることはないがな」

 

 御者台にサブと並んで腰掛けるエミリアは、綾子に視線を向けると歯を見せて笑みを浮かべる。

 

「驚くほどの事でもあるまい、我々の事は人間どもが魔族と呼んでいるが、ちゃんと呼称はある。私はエルフ族とオーガ族の混血だし、先程のトリプレット大尉はドワーフ族、漏らした男はノーム族だな。それにあの広場のベンチで居眠りをしている女はエルフ族だし、公園にいたのはオーク族にホブゴブリン族。少ないがニンゲンもいるぞ。我が国は多民族国家だ」

「そうみたいね。凄いわ……それになんか、街もあのサルの国と比べてもすごくキレイ」

「そうだろう」

 

 ふふん、と得意げにエミリアが笑う。

 

「この街は先代の魔王様が御自ら設計し、今上の魔王陛下が建設と整備を進めておられる。魔王陛下は聡明で慈悲深いお方だ」

「随分敬ってるのね。魔王様はあなたより強いの?」

「殴り合いなら負ける事はまずあるまい。だがな」

 

 エミリアの視線が前方へ向けられる。

 その先には、ニンゲン達の国の城よりも随分と簡素な、それでいて品のある建物があった。

 

「王が一番強いなどつまらんぞ。己よりも強き者を心酔させてこそ王者の器というものだ」

 

 そう言ったエミリアは、またしても得意げな笑みを綾子と菫に見せた。

 品のある建物の門前で馬車を降りた一行は、まっすぐに伸びた通路を悠然と歩いて建物へと招かれた。

 

「魔王陛下がお会いになります。こちらへ」

 

 質素な服を身にまとった女官が歩み寄り、エミリアに声を掛ける。

 うむ、と短く返事をすると、地味な絨毯の敷かれた廊下を奥へと進む。

 

「陛下は寛大なお方だが、無礼のないようにな」

「分かってる。でも私達はこの国の礼儀作法なんて知らないわよ」

「構わん。そこはお前たちの文化や風習でいい」

 

 短い会話を交わす内に、巨漢のサブでも見上げるほどの大きなドアの前にたどり着く。

 ドアが重い音を立てて開くと、その奥にはバスケットボールのコートくらいの大きさの広間が広がっていた。

 

「エミリア・ダンタン中将! ご到着!」

 

 壁際に並ぶ軍人と思しき者たちが、一斉に敬礼する。

 エミリアも答礼を返してから、広間の中央に敷かれた絨毯の上を悠然と歩く。綾子にサブ、そして菫の3人もそれに続いた。

 不意にエミリアが立ち止まり、ひざまずく。3人も同様に、エミリアの後ろで跪いた。

 

「陛下、エミリア・ダンタン参りました」

「ご苦労です」

 

 まだ全員顔を上げてはいないが、おそらく玉座と思しき椅子の方向からかけられた声は、予想外に非常に柔和で優しいものだ。

 

「久しぶりですね、中将。元気そうで何よりです」

「痛み入ります」

「許します、4人とも、顔をあげてください」

「は」

 

 エミリアに小声で『顔を上げて構わん』と言われて、綾子達も優しげな声の主の方向へと顔を向けた。

 玉座に座っているのは、青年と呼ぶにもまだ若いと感じられるような、少年のような顔立ちの男だった。

 魔王というにはあまりにも小さく、優しげで、穏やかな可愛らしい少年。それが綾子が抱いた第一印象である。

 

「遠路ご苦労でした、客人方も慣れない土地で疲れているでしょうに、よく来てくれました」

「は。陛下、今日は彼らの亡命受け入れの具申と、それとは別にご報告がございます」

「では先にそちらを聞きましょう。中将、報告を」

「御意。このエミリア・ダンタン、生涯の伴侶を見つけました。つきましては結婚休暇を頂きたく」

「な」

 

 謁見の間に居並んだ者たちが一斉にざわついた。

 なんだと、ばかな、ありえない、どういうことだ、といった声が所々から上がり、騒々しさは次第に喧騒へと変わりつつあった。

 が、陛下と呼ばれた少年が静かに片手を上げると、まるで冗談のように喧騒がぴたっと収まった。

 

「それは重畳。ダンタン中将、おめでとう。中将の結婚を心から祝福します。魔神の祝福と加護があらんこと」

「もったいない、ありがたきお言葉。このエミリア・ダンタン、生涯の誉れであります」

「しかし意外でした、アレほど『自分より弱い男の妻になるくらいなら死を選ぶ』とまで言っていた中将が伴侶とは。そのものは中将より強いのですか」

「は。小官とバルトーク大橋にて拳で語らいました」

「ほう、中将と拳で語らって生きているとは、かなりの猛者ですね。それでそのものはどこに?」

「我が後ろにおります、陛下」

 

 ざわ、と再び謁見の間がざわめく。

 

「恐れ多くも陛下の御前ではありますが、立つ許可を頂けますでしょうか」

「もちろん、許します」

 

 すっと音もなくエミリアが立ち上がり、サブの隣に立つ。

 ぽん、と優しくエミリアがサブの肩に手を置くと、サブもゆっくりと立ち上がった。

 

「我が伴侶、我が生涯と愛を捧げる夫はこの男、拳王サブであります」

「拳王!」

 

 思わず魔王が玉座から腰を浮かしかける。

 

「中将、その、拳王は中将と殴り合……いや、拳で語らったということですが」

「御意に」

「どちらが勝ったのですか」

「自分が」

 

 サブが、地の底から響きそうな低い声で答えた。

 少年王はどさ、と玉座に音を立てて腰を落とす。

 

「ま、まさか……中将と殴り合って勝つニンゲンがいるとは……なるほど、それで中将が惚れた、ということですか」

「御意に」

「その通りで」

 

 サブの言葉遣いに、謁見の間にいる者たちが厳しい視線を向ける。

 

「この無礼者! 陛下の御前で立ち上がるだけでなく、なんという言葉遣いだ!」

 

 老いた外見の男が声を上げる。

 続いて玉座の主に声をかけようとした老人は、口を開いたまま「ひゅっ」と音を立てて息を呑む。

 

「構いません。遠方からの客人で、しかも中将のご夫君となる方ですからね。この場でいかなる言葉遣いをしようと、無礼とはしません。拳王、サブ殿でしたか。楽に話してくれて構いません」

「ありがたい」

「……礼儀知らずの田舎者め、お前のような汚らわしいニンゲンが——」

「許す、と言いました」

 

 老人の言葉を、少年王が遮った。

 その声は先程までの優しげなものではなく、冷たい氷の刃のような鋭いものだった。

 

「この場において、私の他に誰の許しがいるのですか?」

「……い、いえ、あの、陛下……」

「私が許す、と言ったものを許さない。これは私が君よりも下の立場である、という意味ですか」

「め、滅相もございません陛下! お許しを!」

 

 平伏する老人に向けられたエミリアの視線も、極めて冷たく容赦のないものだった。

 

「衛兵」

「はっ!」

「畏れ多くも陛下に叛意を抱いている合理的な疑いがある。このジジイを勾留せよ」

「了解であります! 中将殿!」

 

 老人は、魔族領において子爵という爵位を持つ高貴な立場ではあったが、数名の衛兵に腕を捻りあげられ、悲鳴を残して謁見の間を去ることとなった。

 

「……家臣が大変失礼しました。申し訳ありません」

「いや、自分はなんとも思わない。だが俺に話をというのであれば、先に俺の上のモン、お嬢にも挨拶を」

 

 サブがちらりと視線を綾子に向け、続いてエミリアに視線を送る。

 

「うむ、それも道理だ。アヤコ、頼めるか」

「もちろんよ。……って立っても良いのかしら」

「構いません。どうぞ、作法などもこの場でとやかくいうものはもういないでしょう」

 

 少年王ヨシュアが周囲に居並ぶ家臣団を見渡す。

 先程の老貴族の顛末を見ていた者のなかで、声を上げるものは誰ひとりいない。

 

「そういうことなら」

 

 すっと立ち上がった綾子は、脚を大きく開いて腰を落とし、片手を差し出して独特なポーズを取る。

 

「どちらさんもお控えなすって」

 

 よく通る綾子の声が、石造りの謁見の間に響いた。

 

「手前、生国と発しまするは北の大地、北海道は旭川の生まれで姓は笹川、名は綾子。笹川組初代組長笹川浩二の孫娘でござんす。しがない組を率いる若輩の小娘ではござんすが、この度縁あってこの世界に呼び出され、こちらのエミリア・ダンタンの姐さんには一宿一飯の大恩を頂きまして、厄介になっております」

 

 普段の口調とはかなり違う、独特の挨拶の口上だった。

 

 魔王城謁見の間に集った者たちは戸惑うばかりではあるが、ヤクザ者の組長を自認する綾子にとって、正式な挨拶といえば仁義を切る以上のものはなかった。

 

「共のサブはチンケな組の組長補佐、私と同じくヤクザもんではありますが、菫嬢は清廉潔白、ヤクザの世界とは縁遠いカタギの素人さんでござんす。どうかご列席の兄さん方、親分さん方、そしてヨシュアの大親分さんにおかれましてはよしなにお見知りおきいただきたく、どうぞ宜しくお頼み申します」

 

 拍子木の音が似合いそうな挨拶は、現代日本でも絶えて久しい。だからこそ、綾子はこの場でこの形式の挨拶を選んだとも言える。

 

「なるほど……はじめてお目にかかる礼法でしたが、大まかに経緯はわかりました。ありがとうございます、綾子さん……でしたね? こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 玉座の主は優しい笑みを浮かべて、小さく頷いた。

 綾子とサブ、それに菫の一行が、人間に魔族領と呼ばれるゴルドベルグ王国に受け入れられた瞬間だ。

 

「さて、そちらの菫嬢もお疲れのようですね。正直に言うと、私もこのような堅苦しい場は苦手でして、別室に軽食を用意させます。そちらでゆっくりと話しをしたいのですが、どうでしょう?」

 

 そう話した少年王の表情は柔和で、声も優しいものであった。

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