起-10 使い魔
『どうやら我が主は会話が苦手なようでな。だが心のなかでは実に饒舌だ。そこで会話が出来る吾輩がこうして代行しようというわけだ』
サブの正面に座った痩身の男は、血色の悪い顔のままうっすらと笑みを浮かべ脚を組む。
その佇まいには一切の隙もなく、拳王のスキルを持つサブですら襲いかかる隙を見出すことは出来なかった。
『吾輩は地獄の大公爵、告発者アシュタロスという者だ。我が主、菫にこの世界に召喚された。本来は貴様らと同じ世界に属していたが、どうも菫が召喚術を改変したようでな』
「え、スミレちゃんそんなコトまで出来るの……?」
菫はちいさく頷いて、テーブルの上の焼き菓子をもくもくと食べている。
相変わらず表情に乏しく、はたから見れば何を考えているかまったくわからない。
『……菫が言うには、特に難しいところはなかったそうだ。魔法陣学とやらを応用することで可能だったと』
「応用出来るんだ……凄いねスミレちゃん」
菫は小さい手で親指をぐっと立てると、また次の焼き菓子に手を伸ばす。
『ニンゲン共の国、サンサルバシオン王国の城にあった魔導書のうち、実用的なものはことごとく読破している。どうもこの世界の魔法は威力からクラス1からクラス5と段階が分けられているようだ。菫が会得したのは、火、地、風、闇属性のクラス1から最高クラスとなるクラス5。この時点で、菫はニンゲンの中では最強の魔法使いの1人となっている。その上地獄の大公爵である吾輩をこの世界に召喚するレベルの召喚術。もはやこの世界で並ぶもののない魔法のスペシャリストと言えよう』
アシュタロスは誇らしげな表情で視線を落とし、まるで保護者であるかのように菫の髪を撫でる。
『情報を共有しておこう。サンサルバシオン王国の国王、アレキサンダー・ビアンコ4世は、吾輩から見れば暗愚の国王もここに極まるといった愚王だ。彼奴らの言う魔族、端的に言うとニンゲン以外の種族との戦争とやらも、あの愚王から仕掛けたものだ。理由は「魔族共に虐げられている同胞を救うため」とぬかしているが、まぁ単純にあの愚王の領土的、金銭的野心によるものだ。王宮内は愚王におもねる無能どもで占められているせいか、王に意見を具申する者もいない。王族も腐りきっているが、唯一の良心と言えるのは、王子のバルザックという男だな。王国の北西の辺境の領主として公爵位を授かっているが、事実上の左遷と言って良い。まぁあれだけ腐った王宮にあっては、まともなものが疎まれるのも致し方なし、といった具合だろう』
アシュタロスが一気にここまで話すと、テーブルの上の紅茶を優雅に口に運んだ。
「……悪魔も紅茶とか飲むんだ……」
『そうだな、吾輩はコーヒーよりも紅茶党だ。あと甘いものは大歓迎だぞ。吾輩の同僚であるベリアルという女がいるが、あいつは日本の酎ハイと鶏皮の唐揚げが大好物、ビレトはふわふわパンケーキとやらにどハマりしているな。アスモデウスに至っては二郎系とかいう食い物が気に入っているようだ』
「え、悪魔ってそんな普通に日本に来てたの?」
『吾輩も何度か訪れたことがあるな。まぁ神の獄たる地獄とはいえ、神への信仰心が薄れている昨今ではその獄の錠もゆるくなっている。ちなみに吾輩は六花亭のバターサンドと福砂屋のカステラ、不二家のジャンボシュークリームが好みだな。銀座とやらに赴いた時に手に入れた、空也の黄身瓢という和菓子は絶品だったぞ』
かなり俗な好みだが、考えようによっては悪魔に似つかわしいものであるかもしれない。
『さて、脱線してしまったな。王城に残った召喚者たちの状況も話しておかねばなるまい。まずは勇者だが、あれはダメだな』
「え、ダメって」
『王女のベルナデッタとかいう計算高い女の操り人形のような状態だ。肉欲におぼれて鍛錬も学習もせず、ただただ日がな1日、女とベッドで乳繰り合っているだけだ。アレは脅威とはならんな。大魔道士の女はまだマシだが、大魔道士を名乗る割に魔道の何たるかをまったく理解していない。アレはまともに魔法を使えるまでに相当時間がかかるだろう。血反吐を吐くような訓練を積めば、大魔道士の名にふさわしい使い手にはなれようが、まず望み薄だろう。例外は1人、聖騎士だな』
皮肉なことに、大悪魔アシュタロスに認められたのは、僧侶にして聖騎士である村上允恭ただ一人だった。
『あの男は訓練にも熱心である上、騎士としての技術も体力もかなり向上している。 その力の特性からも、今の調子で長ずれば強者と呼べれる程度には至るやもしれん』
「あの胡散臭い坊主が……そんな、意外だったわ」
『あの生臭坊主の生臭っぷりは度を越していてな。日本にいた頃から幼女や少女に獣欲をぶつけていたようだ。あの歳で、実質4人を孕ませて子供は6人いる』
「な」
めき、という音は、サブが拳を握りしめた音だった。
「あの外道、殴り殺しておけばよかったか……」
そう呟いたサブを見て、アシュタロスは満足げに頷く。
『まぁそう事を急いでも何も変わりはせん。吾輩も甚だ同感ではあるが、事態を静観するしかなかろう』
「ねぇちょっと、アナタ地球の悪魔なんでしょ? こっちでその、なんていうかさ…力とかはそのまま使えたりするの?」
『変わらん。吾輩の力は別に誰かから与えられたものでもない。まぁかつては神に仕えていたこともあるが、神と袂を分かって以降も吾輩の力は失われていない』
尊大な言葉遣いで大仰に話してから腕を組むその姿は、まさしく魔王の名にふさわしいと言えた。
「あ、そ。とりあえず私達はこれから魔王領に向かうことになるけど、余計ないざこざは起こさないでくれる? 私はあの三猿ナントカっていう国と敵対する予定なのよ。どっちかっちゃ魔族って言われる人たちに受け入れてもらわないといけないワケ。敵と味方を間違えないようにね」
『……娘、吾輩を相手にそのような物言いをするニンゲンは、ここ数百年で貴様が2人目だ』
アシュタロスが苦笑交じりの笑みを浮かべ、紅茶をぐいっと飲み干す。
「2人目って、1人目は?」
『我が主、菫だ』
平然とそう言うと、すぐ隣でハムスターのように焼菓子をもくもくと食べる菫の頭にぽんと手をおいた。どちらが主だかわからないような光景だ。
『菫は吾輩に勝るとも劣らぬ力を持っているようだ。おまけに、あの忌まわしき城に居た誰よりも聡い。貴様らは菫が敵でないことを、貴様らの神に感謝すべきですらある』
「え、そんなに?」
『菫の持つ魔力は』
再びアシュタロスが隣で菓子を食べる小柄な少女に視線を向ける。
『吾輩の同僚、地獄の魔王達に引けを取らぬ。人の身にあるまじき強大なものだ。そうでもなければ、地獄の大公爵たる我輩を召喚することなどかなわぬ。もし身の程知らずにも、あの大魔道士を名乗る小娘ごときが我輩を召喚しようと試みれば』
「……試みれば……?」
『たちどころに吾輩にその魂ごと喰われ、永劫に我が虜となったであろう』
実に恐ろしい話だが、その話を傍らで聞いている菫はまったく表情も変えず、7つ目の焼き菓子に手を伸ばした。
「……スミレちゃん、甘いの好きなんだね」
綾子の言葉に、菫は大きく頷いた。
この少女が、地獄の大魔王にも引けを取らない強大な力の持ち主であるなど、誰が予想できるだろうか。まるで小さな愛玩動物のような体格と、可愛らしい顔立ちからは想像すら出来ない。
『それで、吾輩から話すことはとりあえずここまでだ。我が主よ、何かこの者たちに直接話したいことがあるのではないか? 吾輩は一旦控えている故、好きに話すがいい』
そう言うとアシュタロスの姿は煙のように掻き消える。
カップに残った紅茶からはまだ湯気が出ていて、先程までそこに尊大な態度の痩せた男がいたのが夢や幻でなかった事を雄弁に物語る。
「スミレちゃん、何か私達に話したいことって?」
8つ目の菓子を飲み込んで、少しためらいながら菫が口を開く。
「あ、ああ、あ、あの、あ、わ、わた、わ、私達、あの、あ……」
言葉が途切れ途切れだが、綾子とサブはじっと黙って菫の言葉を待っている。
召喚された当初、菫も周囲に話しかけた事はあった。が、うまく言葉を紡げない菫の話に耳を傾けようとしたものは皆無であった。
「も、も、も、もう、もう、もと、元の世界、世界、には、その、あ、あの、も、もど、戻れない」
「……うん、やっぱそうだよね。だってあっちで1回死んだんだもんね」
「だ、だか、だかだから、あの、わた、こ、ここで、こっちで、い、生き、生きて、いく、しか」
「うん。分かってる。私もサブも、あのサル何とかって国では生きて行こうと思えない。ニンゲンの国ではうまくやってけないと思う。だからこの先の渓谷を越えて、魔族の国に行こうと思ってるの」
「わた、わた、わ、私も、つれ、つ、つ、連れて、いって」
菫はすがるような目で綾子を見上げる。その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
菫は、日本であればまだ中学生の女の子だ。1人きりで誰も知らない、文化も風習も違い、地理もまったくわからない場所に放り込まれ、不安だった。
唯一自分の話を聞こうとしてくれた綾子は、早々に追放されてしまう。城では誰とも話すことも出来ず、ただひたすら魔導書を読み漁り、力を手に入れてこうして逃げ出してきた。
菫も、すでに行く場所がない身だった。
「お、おね、おね、おね、おねがい、お願い、あや、綾子さん」
「何言ってんのスミレちゃん! あなたを1人で置いてくワケないでしょ! ヤだって言っても連れてくわよ! サブも良いわね? 文句ある?」
「いえ、お嬢。自分もそう思ってましたよ」
「よし。じゃあサブ、私の護衛もだけど、ちゃんとスミレちゃんも護ってあげんのよ? わかったわね」
「もちろんです、お嬢」
サブが精一杯柔和な顔を菫に向けると、ひときわ背の低い菫が思い切り背伸びをして、手を差し出してきた。
下手をすると、サブの手の中にすっぽりと収まってしまうくらい小さな手を、握りつぶさないよう細心の力加減で、できる限り優しくサブが握る。
「よし、じゃあスミレちゃんは今日から私たちと一緒に動きましょ。物資の手配にもうちょいかかるみたいだけど、手配が済むまでここで少し休みましょうか」
「はい、お嬢」
サブが大きく頷き、菫も9つ目の菓子に手を伸ばしつつこくりと頷いた。
「ねぇスミレちゃん? さっきのアシュなんとかって人、呼び出せる?」
『アシュタロスだ。吾輩の名を誤るな』
突如、冷めた紅茶のカップの前に痩せた顔色の悪い男が、不機嫌そうな顔で現れた。
「そんな小さいこと気にしないで。とりあえずあなたも『こっち側』で良いのよね?」
『吾輩は我が主、菫とともに有る』
「オッケーわかった。じゃあとりあえず今後の絵図を共有ね。私達はこれから、物資が揃い次第バルトーク渓谷を超えて魔族領に向かう。そうね、魔族とやらもアシュさんがいれば話通しやすいかな」
『娘、吾輩はアシュタロス……』
「アシュさんは魔界の大公爵なんでしょ? 何かあったら出て来てちょうだい。で、物資は今この街の人達に揃えてもらってるから、揃うまではこの街で待機。この宿屋で体を休めるとしましょ。サブは私だけじゃなくてスミレちゃんの護衛もお願い」
『我が主の身を守るのは吾輩に任せるが良い、敵意を持つ者は近づくことも許さぬ』
「あ、そ。じゃお願いねアシュさん」
『だから吾輩は――』
大悪魔アシュタロスが何かを言おうとするが、綾子は全く気にすることもなくスルーしてしまった。
地獄の大公爵としても初めての経験だろう。
「そんじゃサブ、アンタは基本的に私の護衛と補助。良いわね? スミレちゃんの寝る部屋は私と一緒の部屋にしましょ。とりあえずは物資が揃うまでは基本的に自由行動だけど、街から外にはあまり出ないこと。必ず夜、夕食までには一旦宿に戻ること。オッケー?」
「はい、お嬢」
「は、はい」
『……了解した』
「よし、じゃ物資が揃うまで、一旦解散しましょっか。スミレちゃんも移動で疲れたでしょ? 私この部屋にいるから、ちょっとお昼寝したら?」
少しばかり考え込んでから、菫は大きく頷き、ベッドに直行するかと思いきや綾子のシャツを軽く摘まむ。
「……ん? どしたの? お姉さんといっしょに休む?」
こくり、と菫が頷いた。
優しい笑みを浮かべて綾子が菫の小さな身体を抱きしめる。
「良いよ。じゃあほらサブ、アシュさん、アンタたちは適当に過ごしてて。レディの部屋に入るときはノックすること。良いわね?」
『娘、だから吾輩は……いや、もうよかろう……では菫、用があればいつでも吾輩を呼ぶが良い』
まるで煙か水蒸気のように、アシュタロスの姿が掻き消える。
残されたのは、所在なげな大男、大河内佐武郎だけであった。




