消された記憶
〈☆シリウスのお屋敷。書斎。〉
『シリウスさん、わたしにできることでしたら、なんでもお手伝いします』
ラビィは紙にそのように書いて、シリウスに渡した。
「ーーねぇ、君は選ばれた人間だってこと。覚えてる?」
ラビィは首を横に振った。
「この世界にはたくさんの魔法使いが住んでいる。その、魔法使いの魔力の源である、魔石を作るのが君の仕事だよ」
ーー魔石を作る?
「魔石というのはね」
シリウスは本棚の本を一冊手に取った。「作業所」と書かれた本の表紙には綺麗な石が細工してある。サファイアの石だ。
本を開くと二人は青い炎の中へ包まれる。瞬きをすると、そこは、シリウスの書斎ではなくて、大きなテーブルとたくさんの棚に囲まれた部屋の隅に立っていた。大きなテーブルにはあまり見たことのないような実験の道具が置いてある。たくさんの棚の中には綺麗な石が並べられていた。
シリウスは棚から石を取り出す。
「これが魔石だよ」
シリウスが手のひらに乗せたのは透明な透き通った石だった。
「この石に触れてみて欲しい」
ラビィはその石におそるおそる触れた。
「……反応はないね」
とくに変わった様子はなかった。
作業所から、もっと奥の部屋に移動する。
扉の表札には「加工所」と書いてあった。
扉を開けると、上から下まで透明な棚が並んでいた。取っ手を持ち、引き出しを引っ張ると、ケースの中には先ほどの石がブローチになったものが現れた。
いくつか他のケースを開けて見せてくれたのだが、一つはブローチ、もう一つはネックレス、もう一つはイヤリングとさまざまなアクセサリーが出てくる。
開き戸を開けると壺の中に木の杖が現れた。
木の杖の先端に宝石でキラキラとした細工が施してある。
また、ハンガーには黒のローブが並んでいる。黒のローブには繊細な星と雪の結晶の刺繍が施してあった。
「ここにあるものは、記憶を失う前の君が全部作ったんだ」
シリウスが言う。
ーー!?!?!?
ーー作ったってどう言うこと? 石を加工したってことかしら? わたし、実は凄腕の職人だったとか!? すっごい力を秘めているとか!?!?
「君はこの世界の聖女だったんだよ」
ーー!?!?!?!?
ーー!?!?!?!?!?!?!?
ーー今、すごくびっくりしています。シリウスは、わたしのことを聖女って言ったのかしら? このせいじょという言葉は「聖女」であっているのかしら。
「聖女は、とても貴重な存在で、魔法使いにとっては女神さまなんだ。僕たちは、君の力がないと魔法が使えない」
シリウスは神妙な顔で言った。
「だから、僕らは君を守らないといけない」
ラビィはシリウスとはじめてあった日のことを思い出す。はじめてあった日、彼は彼女を必死で守っていた。そして、今も自分のお屋敷で守ってくれている。その意味がやっとわかったのだ。
ーー聖女。今、わたしにはその力はないけれど、わたしはみんなにとって大切な存在だったんだ。
ラビィはなんだか胸の奥が痛んだ。
ラビィは、シリウスから魔石の作り方を教えて貰った。以前のようにたくさんものは作れないけれど、少しばかりでも、お守り程度のものは作れるかもしれない……と。
☆
〈☆ラビィが去ったあとの静かな作業所。〉
「ーーどうして、本当のことを教えてあげなかったのですか? シリウスさん」
作業所にはフードを頭まですっぽりとかぶり、自身の灰色の髪と瞳の色を隠したプロキオンがシリウスのうしろの壁際に立っていた。
「全部、本当のことだよ」
感情が高ぶったプロキオンはシリウスの胸元を掴む。シリウスの着ていたブラウスが引っ張られる。
「……やめろ」
自分よりも背の低いプロキオンを上から睨みつけるシリウス。プロキオンは彼のブラウスから手を離した。
「ラビィさんの記憶がなにものかに奪われたので、ぼくたちの魔力は半減しました。今ある魔法具の石の力が消えてしまったら、ぼくたちは生きていけない」
「彼女のせいではない」
プロキオンは頭を抱えて壁にもたれかかった。
「あなたはいつもそうです。いつも嘘ばかりで、全然まわりのことを考えていない。本当の彼女の気持ちもーーーー……」
そこまで言って、プロキオンは自分の感情が暴走していることに気付いた。
「……本当のことを言ったとしても、状況は変わらない。……それならば、一度全部なかったことにしてしまうのもありなのかもしれない」
プロキオンはその返答に納得がいかなかった。
「なにも問題はない。先に予定していたものは、もうすでに断りの連絡を入れておいた。彼女は急な体調不良で静養中と伝えてある」
「……お金持ちの余裕ですね」
シリウスとプロキオンの二人の間に雹が落ちる。
「今は、ベテルギウスさんの報告を待ちましょう。ぼくたちも魔力温存をしないと」
「ーー魔力を使わない料理も覚えないと、だな」
作業所の扉はゆっくりと閉じられた。