消された記憶
ーー窓の外から雪の降る音がする。
シリウスとベテルギウスが部屋を出て行ってから、だいぶ時間が経った。ラビィは腕をさする。痣は痛むものの、歩けないほどではない。
ラビィはもう一度手鏡で自分の姿を見る。大きな赤い瞳、さらさらの白い髪。腕、足、ーーそして喉に触れてみた。
ーー私はなにかが原因で一時的に声が出なくなっていて、記憶も失ってしまったということだよね。
ーーん、んーーーっ。 あっ、だめだ。のどが苦しい。このまま無理やり声を出そうとしたら、息ができなくなりそうだ。
やはりいくら声を出そうとしても、声は出せない。この状況はかなり生活に支障がありそうだ。彼女は声が出せないかわりに、身振り手振りや表情で相手に気持ちを伝えてみようと考えていた。
ーーガチャ。
部屋の扉が開く音が聞こえた。
「ーーお待たせ、ラビィ」
ーーこの声はシリウスさんだ!
「ああ、その様子だと、部屋でずっと待っていてくれたんだね」
ーーシリウスさん!!!!
ラビィはうんうんと頷く。
「パンケーキが美味しかったからかな? 表情が明るくなったね。本に興味があるのか? 何か面白い本はあった?」
ーーはい、ここにある本がとても興味深いもので、美味しいお菓子の作り方とか、手作りアクセサリーの作り方とか、季節の野菜の栽培方法とか、ああっ、ハーブの作り方なんかも。お話したいことはたくさんあるのに、声を出して直接お伝えできないのがとても残念です。
「ははっ……楽しそうでなによりだ。夕食までまだ時間があるから、少しだけ教団の中を案内しようか」
ーーはいっ、ぜひぜひ!
ラビィはきょろきょろをあたりを見渡す。
ーーそういえば、さっきまで一緒にいたはずのベテルギウスさんの姿が見えませんね。お帰りになられたのでしょうか?
「ーーああ、ベテルギウスは用事があると外出したよ」
ーーそうなんだ。もし、よろしければベテルギウスとももう少しお話してみたかったです。……でも、ご用事なら仕方ありませんね。……また、会えるかもしれませんし。
「ーーん? なんだその少し残念そうな顔は。……くっ、まぁ、気にもしないけどっ! 近々、貴女にも騎士団の仲間を紹介するね?」
ーーはいっ!!!!!!
「ーーだから、なんで……!! やたらと表情が明るくなるんだ。なんだ? んん? ひっかかるな!?」
シリウスはラビィに近づいて、じい~と顔を見つめる。声が出せないので彼女の表情で心を読むしかないのだが、その見つめる時間がとても長く感じる。
ーーお知り合いが増えるのはとても喜ばしいことですから!!!!!
「~~~~ああ、くそ。言葉がないと不便なものだな……いや、なんでもない」
ラビィはうんうんと頷いてシリウスのあとをついていく。
ーーシリウスさんが来てくれて安心した♪
大聖堂と騎士待機所。騎士団が普段お仕事がないときも駐在している聖域。古びた石畳の上を防寒用のロングブーツで歩く。ブーツのかかと部分には滑り防止の金属がついていて、石の上を歩くと金属音がする。シリウスの肩には雪が解けたあとがあり、毛先の髪の毛がやや湿っている。
ーー真っ白な雪が空から降ってくる。
外の通路を通ると白い息が出る。
季節は冬。真っ白な雪景色だ。
外の景色に見とれていると、ラビィの手がシリウスの手に軽く触れてしまった。
ーーあっ、ごめんなさい。思わず手がぶつかってしまいました。私の手、冷たかったですよね?
ラビィはすぐに手を離した。
ーーああっ、不快でしたよね? ちょっとお隣を歩くお互いの距離が近すぎました。……なんていうか、お知り合いになられてまだ間もないのに、隣を歩いてしまって。そうですね。私はもっと後ろを歩くべきでした。反省します。
シリウスはラビィの視線を追う。
ーーああ、シリウスさんはすごく優しくて、ついつい頼ってしまいそうになる。ああああ。こんなに人に頼りっきりではいけない。私もしっかりしないと。そうだ、しっかりと情報収集しなくては。社会科見学? いや、これは任務です。
中庭を通るとき、二人を見かねた侍女が二人のうしろから一つの傘をさしてくれた。
ーーあ、ありがとうございます。シリウスさんのまわりの方はみんなお優しいのですね? 傘、いただいて良かったですね? シリウスさん? んんん? ええええ? あれ? 視線があわない。あまり離れるとシリウスさんの肩が雪で濡れてしまいます。 ……あっ、傘、持っていただけるのでしょうか。
ホール、食糧庫、倉庫、訓練所、客室、広々としたお庭ーー……。
「明日は一緒に買出しに行こう」
ーーお買い物ですか?
「……ああ、そうだ。これは女性を招いている上で、たいへん申し訳ない話しなんだけど、教団には女性ものの服が揃っていない。ここにあるものではあなたが着る服も大きいはずだろう」
ーーたしかにクローゼットの中には女性もののお洋服がたくさんありましたが、おそらくそれは他の誰かのもので、私が着こなせるものはありませんでした。
ーーしかし、私はお金がない。お金……もってない。
ラビィはまるでうさぎのように小さくなった。
「ーー? なに? その可愛らしい仕草は、僕にいったいなにを伝えたいの?」
ラビィは「お金が……」とは、はっきりと言えなかった。だから、うさぎのふわふわの両手を胸の前でバツにして言った。シリウスはかがんで真っ白なうさぎの小さな唇を凝視する。
ーーい。
「ーーい?」
ーーけ。
「ーーき?」
「……ーーま・せ・ん? ハァ?」
ーーまずい。私の口が小さすぎて、口パクでは伝わらない!!! お互いの距離がかなり近くて心臓がバクバクしたのに、口パクするのは恥ずかしかったのに! 失敗だ!
「この僕の誘いを断った……?」
ーーああっ、ちがいます! 私は、いけませんと伝えました。それをシリウスさんはいきませんと、誤解したまでですっ!
「ーーふぅん。この僕と買い物に行きたくないんだ。ーーわかった、じゃあ、明日楽しみにしててね」
いきなりシリウスの口調が変わった。彼の機嫌をそこねてしまったようだ。
ーーあああ、そんなつもりはなかったんだ。
「手を握っても?」
ラビィがふらふらと歩いていたから、それが危なっかしく見えたのか、ぐいっと手を握られた。彼の骨ばった大きな手のひらに安心する。
シリウスは勝利の笑みを浮かべた。
ーーーーなんてお優しいお方なのでしょう!!!!!!
そのあと、二人は教団に戻り、食事を共にした。夕食はお肉に野菜を巻いたスープ。焼きたてのパン。デザートにアイスクリームの焼きリンゴ添えが出た。
食事のあと、ラビィは大きなバスルームを借りて入浴した。
お風呂上りに侍女が彼女の髪を整えてくれた。
キラキラとしていて女性が好みそうな綺麗な金のブラシ。持ち手には煌びやかな宝石がついている。これが古の「魔法具」と言うそうで。魔法が使えない彼女は侍女の持つ特殊な魔法具の力で美しくなった。
ーー魔法って便利なものなのね。
あたたかくて、ふわふわと気持ちいい気分になって。だれかの懐かしい声が遠くで聞こえて来る……。
「ーーおやすみ、ラビィ」
ーーおやすみなさい、シリウスさん。
ラビィは深い眠りについた。
☆
次の日。二人は街の仕立屋に来ていた。部屋にはたくさんのトランクが並べられる。一つのトランクを開けると、真っ白なブーツが出てきた。次のトランクを開けると、厚手の布地のワンピースが出てくる。もう一つのトランクにはケープやコートが出てきた。
「もう、いりませんとは言わないよね?」
前の椅子に座ったシリウスが足を組んで得意げにラビィのことを上から見下ろしている。
乙女ごころをくすぐるかわいさとすてきがいっぱい詰まった空間。侍女たちもその様子をうっとりと眺める。仕立屋の店主がトランクを開けたり閉めたりする度に新しい洋服が出てくる。
ーーうわぁ、白を基調とした淡い色のギンガムチェックのお洋服や白の毛糸でざっくり編んだニットのワンピース。この生地にレースや白のポンポンがついたふかふかの手袋もとっても良いんじゃない? 靴はブーツも良いけれど、雪がない日も歩けるぺたんこの靴も歩きやすいだろうなぁ……。……あっ、そうじゃなかった、私、お金を持っていないんだっけ。
シリウスは紅茶を飲んでいる。
共についてきていた侍女たちは物珍しいトランクに夢中だ。
ーーとても話しを切り出せる雰囲気じゃない。
「どのお洋服も……こほん。ラビィさんにお似合いですね」
「お着換えもするからせめて一日二着……予備としてあっても問題ありませんね」
ラビィは朝一番に、シリウスのところに行き「おかね」と、伝えたのだが、「お菓子」と、伝わってしまい、キャンディを渡された。もう一度、「おかね」と、伝えたら、「おうち?」と、首を傾げられた。おそらく、お金という言葉はシリウスには通じないらしい。
ーーああああ、この状況いったいどうすれば。
なかなかラビィが洋服を選ばないものだから、シリウスは退屈そうにしていた。
「仕立屋と直接契約しよう。今月からこちらから注文したものをお店を通さず直接納品していただいて構わない」
ーーんんっ!?
「それでは貸しクローゼット一つ分と定期的にお店のカタログも転送させていただきますので、お好みのものがございましたら、お申込みください」
ーーえええっ!?!?
「ーーそれで問題ない」
ーー!?!?!? クローゼットをけいやく? お洋服をのうひん? 転送? はなしについていけない。
「……それでスターのことだが、支払いは納品時に請求書も一緒に送って貰えるか?」
ーースター?? もしかして「スター」って、「おかね」のこと? スターと、言えば、伝わるのね。私は、そっとシリウスのそばに寄って相談した。
「スターを持ち合わせていない? ーーそんなのあたりまえだろう。第一に、君に払わせるワケないだろう」
ーーうっ、うしろの侍女たちの視線が突き刺さる。お金を持っていない、無一文だなんて。見知らぬ人に自分の住む、住居や食事を提供していただいている上に、洋服も買っていただくことになってしまうなんて。
シリウスは洋服のカタログをペラペラとめくったあと本を閉じた。
「ーーこれから、君には僕のそばについて仕事をしてもらうのだから、これくらいの報酬は当然だ」
ーーおしごと!?!?!?
「ーーふふっ、かなり重要で責任のある仕事だ」
ーーその、笑みが、こ、こわいんですけど。
☆
「ーー相変わらず、教団本部に入る時は緊張するな」
「お久しぶりです、ベテルギウス様」
冷たい風が吹き雪が吹き付ける中、ベテルギウスは王国騎士団本部に来ていた。ベテルギウスは上下黒の戦闘服に身を包む。肩の国章の星と騎士団の雪結晶、星座と契約の星と狩人の紋章がキラリと輝いていた。自分の魔法具である弓と弓矢を背負っている。彼の赤髪とオレンジ色の瞳は太陽の影に隠れる。
「事前に団長に話はつけたが、中に入れて貰えるだろうか」
「お話は聞いております。受付へどうぞ、こちらです」
ベテルギウスは中へ入って行った。長い髪を金の髪飾りできつく結んでいるからなのか、いつものやわらかな印象の彼とは違って見えた。
☆
客室の扉が開く。
「ベテルギウス様、団長はもうすぐ戻られます」
「急な訪問に対応していただき、感謝する」
「いえ、こちらこそ、お戻りいただきありがとうございます」
ベテルギウスは天井を見た。
自分が在籍していた頃と何も変化のない部屋。窓。毎日見ていた窓の外の風景。
「戻ってきた……つもりはないんだけどな」
ベテルギウスは鼻で笑う。
まだ時間がかかりそうだったので、彼は椅子に座るように言われたのだが、自分の定位置は扉の前だったので、と、何度か断っていた。
扉の外、通路には王国騎士団に在籍していたときの仲間が声をかけて来た。ベテルギウスは優しく微笑んだ。
「……さぁ、騙しあいの始まりだ」
静かな部屋に時計の音が鳴り響く。




