消された記憶
「ーーさあ、どうぞ。お召し上がりください」
とある地方騎士団。リビングルームのテーブルに侍女が食事を運んで来た。テーブルの上には可愛らしい食器の上にパンケーキが置かれた。小さな小瓶に入った蜂蜜。四角いバター。イチゴのスムージー。
彼女はナイフでパンケーキを一口大に切って、フォークで少しずつ食べる。パンケーキの生地がふわふわで、蜂蜜が甘くて美味しそうだ。
ーーお、美味しい!!!!! パンケーキは焼きたてで、ふわふわのあまあまだし、蜂蜜をかけると、しっとりとしていて、うううっ、最高~~~~!!!!
「ーーうん、安心した。テーブルマナーとか基本的なことは覚えているみたいだね」
シリウスは彼女の真向いの椅子に座り、彼女がパンケーキを食べている様子を観察していた。
ーーはいっ!!!! なんだかよくわからないけれど、このお洒落なナイフで、パンケーキをちょっとずつ切って、フォークでぱくりと。ああっ、どんなに美味しくてもお食事中に大きな口を開けるのはいけませんことですね?
「……美味しい?」
ーーとっても、美味しいです!!!!
彼女は首を縦にして頷く。なら、良かったと、彼は微笑んだ。
先ほどのあの発言。ラビィは目の前に座る彼のことが少し気になった。まわりを見渡してみても高価そうなものが並んでいて、彼自身の身なりもきちんとしている。
ーーこの人、どうして、私にこんなに優しくしてくれるのだろう。えっと、おそらくとしは二十代半ば……くらいだろうか。お話の仕方と身に着けているアクセサリーが高そうなものなので、自分よりもだいぶ大人な感じがする。
ラビィのパンケーキを食べる手が止まり、視線を感じたシリウスは、大きく口を開けて言った。
「ーーあ?」
ーーんんん????
ラビィもつられて同じく口を開ける。
「ーーい?」
ーーい????
ラビィも真似て同じように口を動かす。
「ーーうん、了解した」
ーーえっ!? あいうえ……???? 私、今、彼に何を試されたの????
ラビィはぐるぐると思考を巡らせる中、シリウスは紙とペンを持ってきた。
「声が出ないんだね」
ーーーーー!!!!!!
ラビィは、頷く。
「文字は書くことができる?」
ーーーー文字。文字はなんとなく思い出せることができる。まだ、頭の中がぼんやりとしていますが。
ラビィはペンを握ると、その返事を紙に書いた。
『美味しいお食事をありがとうございます。シリウスさん』
ーーーー彼の名前はシリウスさん。昨日、私が危険な目にあっていたところを助けてくれた人。
ラビィは紙にすらすらと文字を書いて見せた。
「ーー僕の名前だね」
ーーシリウスさん? シリウスさんにはいろいろ聞いてもいいのでしょうか?
「ーーそうだ、これは僕の……名前だよ。そうだね、君は知りたいことがたくさんあるよね」
ラビィは安堵した。自分のことも、全く覚えていない状況で、知らない場所で、一人だけ頼ってもいい人を見つけたような気がした。
「ーーいいかい? 知りたいことがあれば、まずは僕に聞いてね。僕が少しずつ教えてあげるから」
ーーよかった。
ラビィはにっこりと微笑んだ。
「ラビィ? 一つだけ、お願いがあるんだ」
ーーお願いと言いますと?
「僕以外の人間と会話をしないで欲しい」
ーー!?!?!?
ラビィはその唐突なお願いに驚いた。
ーーーなぜ? なぜ、私が他の人とお話してはいけないのでしょうか……? なんだかその言葉には不安と複雑な気持ちになります。
「ーー君の記憶と声を奪ったやつに、これ以上何かされるのが怖い……」
シリウスの表情は暗く、声は震えていた。
ーーーー……そんなこと。
ラビィは、目の前で彼に向けて両手を広げて見せた。
ーー私なら大丈夫です!!!!
口をぱくぱくと動かし、両手でガッツポーズを取って見せた。
ーーそんなに心配しなくても平気、平気。さっきも強いお酒? を飲まされそうになったけれど、頬で払いのけたら意外と回避できたし!!! ゆっくりと休んだらなんだか不安な気持ちも落ち着いてきたし。私は強いから。心配いらないって!
「……できるだけそばにいろよ」
シリウスの瞳は青く潤んでいて、空は今にも雨が降りそうだった。
ーーはいっ、そのお言葉をいただけるだけで十分です!
……トントン。部屋の扉を誰かがノックする。
「……取り込み中悪いんだけどさ」
開閉された部屋の扉の前に男性が立っていて、「入っていいかと」合図をする。シリウスと同じくらいの背が高い男性が立っていた。やわらかな赤髪にオレンジダイヤモンドの宝石のような瞳。
ーーわぁ、こっちの人も、めちゃくちゃ美男子で。
「ラビィちゃん、はじめまして。俺の名前はベテルギウスです。星の琥珀に狩人との契約をした魔法使いです」
ラビィは戸惑いながら軽く会釈をした。ベテルギウスは自分の羽織っている黒のコートの胸元にある星と雪の刺繍を指さした。そして、ラビィが座っている椅子の近くに近寄ると、片膝を立てて、しゃがみこむ。そっと彼女の手を取り、手の甲に唇を当てる。
ーーーーわ、わわわっ!!!! 手の甲に口づけ!!?? こんなことしてもらってもいいのでしょうか……。
ベテルギウスは紳士的なシリウスの服装とは違ってだいぶカジュアルな服装をしている。白のTシャツと深緑色のズボンに茶色のブーツ。肩まである髪をゆるく一つに結んでいて、瞳の横に泣きぼくろがある。ややたれ目の優しそうな眼差しが爽やかなお兄さんという雰囲気だった。
ーーこちらこそ、よ、よろしくおねがいします。よかった。みんなお優しそうな方ばかりで。一人だと心細いから、お知り合いが増えると安心する。
「ーーで? 話はなんだ? どうかしたか、ベテルギウス!」
シリウスは穏やかな食事を邪魔されてやや不機嫌そうな顔をしている。
「……昨日のことなんだけれど」
ベテルギウスはシリウスが座っている椅子の横まで歩み寄り、さりげなく彼のそばで囁いた。
「ーー理解した」
耳打ちされた言葉にシリウスは椅子から立ち上がる。彼の表情から先ほどまでの笑顔は消えていて、凍てついた表情になっていた。
「ーーちょっと、今から友人と話したいことがあるんだ。ラビィ、わからないことがあったら後ろに立っているお付きの侍女に聞くといい。食事が終わったあとは自身の部屋でゆっくり休んでて欲しい」
ーーだいじなはなし? なにか事情があるんですね? わかりました。お言葉に甘えて……ああっ、たくさんの侍女様がお部屋に入ってこられる。あっ、紅茶のおかわりとデザートもご用意していただいて、あっ、音楽まで……。口元についたイチゴのムースを真っ白なハンカチで拭っていただけるのは恥ずかしいからちょっとご遠慮したい。スカートにイチゴが転がって……ああっ、お着換えは……身も周りのことは自分でできますから……うううっ。至れり尽くせりです。
「ーー貴女はなにも心配しないで」
シリウスとベテルギウスはラビィを侍女に任せて、二人で廊下を歩いて行った。扉はゆっくりと閉められた。
☆
シリウスは深いため息をついた。彼は大きな窓のそばの椅子に座っている。テーブルに両肘をついて、悩まし気な表情で口元の前で手を組み眉を顰める。
「ーーじゃあ、どうしてラビィが王家から命を狙われているんだ」
「ラビィさんはこの世界の新しい聖女さまとして聖女の力が未知数だからです」
大きなテーブルを囲むように十二の椅子が並べられており、上座にシリウス、シリウスの近くにベテルギウスと、もう一人の男の子が座っていた。
シリウスと会話をする男の子は他の二人よりも随分と幼い印象を受ける。灰色の髪、オパールの瞳。青のフード付きパーカーと膝が出るショートパンツを履いている。
「ワイングラスの持ち手の細工、星の模様は王家の紋章です。こちらは国に許可なく、刻むことは、許されていません」
テーブルの上には、真っ白な布の上に昨日の割れたワイングラスが置かれている。
「……ラビィさんを襲ってきたのは間違いなく王国騎士団。我らと同じ隊の人間(なかま)です」
「王家に裏切られた……だと!? ーーっ。そんな話しがあっていいワケないだろう」
シリウスは牙をむき、自分の歯をギリリと噛み締めた。
「一つの証拠にラビィさんが捕らわれていた場所は、王国騎士団の教団の近くの空き家でした。男らは全身を真っ白なローブで姿を隠していましたが、あの声には聞き覚えがあります。ぼくは耳が良く、一度聞いた声はわすれませんから」
「……プロキオンが聞いたのは、間違いなく王国騎士団の声だった……と、言いたいんだな」
ベテルギウスの声にプロキオンは頷く。
「ーー世界魔対戦か」
シリウスはぼやく。
二人の会話を静かに見守っていたベテルギウスが話始める。
「ーーいや、この際、仲間から裏切られたとかはどうでもいい。今の状況からどうやったら聖女をお守りできるかだ」
「ーーそうだな」
シリウスは神妙な面持ちで自身の両手を強く握る。
「……近々、俺が、王国騎士団に直接出向いても問題ないか?」
シリウスは横目でベテルギウスを見た。
「ーーそうですね。シリウスさんは聖女様の……失礼。先日、王国騎士団に姿を見られていることですし、今回はベテルギウスさんにこっそりと事情を探って来て貰えますか?」
シリウスは視線をもとに戻す。彼は随分と不満そうな表情をしている。
深くため息をついて渋々ながら頷いた。
「……ーー了解した」




