もう、君を苦しめたくない
白いお花と男性の横顔。
ーーあの、泣きそうな表情をしていた彼はいったいだれなのでしょうか? わたしはいったい何を忘れてしまったのでしょうか?
ラビィはゆっくりと目を覚ました。
「ラビィ様、ご体調はいかがでしょうか? 今、お医者さまをお呼びいたします」
お屋敷の侍女は部屋から出て、医者を呼んできた。ラビィは診察を受けた後、どこにも異常がないことを確認すると、身なりを整えて食事を取った。シリウスは外出していた。メイドはいつもと変わらず、屋敷の掃除や食事の準備をしていた。
手持無沙汰なラビィは魔石を作ろうと思い、作業所の扉の前に立った。ドアノブに手をかけた瞬間、プロキオンに止められた。
「ラビィさん!」
ーーな、なに!?
「ーーーーっ!! ぼく怒っています」
ーーえ!? 私、なにかした!?
プロキオンはムッとした表情で廊下を歩いて行く。ラビィもそのあとを追った。
「ラビィさま? プロキオンさまも? あら、お二人で外出だなんてめずらしい!」
廊下をすれ違う侍女たちが声をかける。
「ご一緒にお出かけですか?」
プロキオンは教団の玄関を出て、庭先を通り、裏の林の中をどんどん歩いて行く。道はだんだんと険しくなり、大きな岩の隙間を通って、しばらく歩いた先に岩陰から流れる滝と泉があった。その前でプロキオンは立ち止まる。
「あなたは全部忘れてしまった。もう半年もたつのにシリウスさんは本当のことを何一つ話そうとしない」
ーーほんとうのこと?
「ーーーーーーっ、ですから! ~~~ああ、~~~ううう」
「?????」
プロキオンは星の魔法使いの一人とはいえ、まだ十五歳と若い。ウルフカットの灰色の髪から覗く、大きく揺れるオパールの瞳からは全く悪意を感じない。
「シリウスさんはちょっと無口だけど、とてもお優しいお方です?」
ラビィの潤んだ瞳でにっこりと微笑まれて、プロキオンは頬を赤らめる。
「そうじゃなくて!」
「……違うのですか?」
「そうでもなくて!?」
「????????」
ラビィは相変わらずウサギのようにきょとんとしているので、会話にしびれを切らしたプロキオンの声は大きくなる。
「ーーこんなに言っても、ぼくのことも思い出さないんですね!!!!」
ーー!?!?!?
ラビィの体がふわりと浮き、前方に押し倒され、その小さくともがっちりとした骨付きの男の子の腕の中に落ちた。体を強くぎゅううっと抱きしめられ、お互いの沈黙が続く。
連日のように振っている雪が積もった岩陰の隙間から、凍った水が解けて、少しずつ泉の中に流れる。
「ぼくはあなたのことが……っ」
泉の光を反射したオパールの瞳がきらきらと輝いている。水面は揺れて、不安そうな瞳。小さな口元からちらっと見える八重歯。ラビィを抱き抱える腕なんて、細く、気をゆるめたら泉の中に落ちてしまいそうなのに、その視線はまっすぐ彼女を向いていて。
彼女に魔法をかけた時に一緒に浮いてしまった花びらがゆっくりと時間をかけて泉の中に沈む。
「ーー早く、思い出してよ……」
ラビィは突然、プロキオンに抱きしめられて驚いた。びっくりして目がまん丸になる。
両足を地面につけ、彼女の片手を頬にあてた、プロキオンはまだ彼女と同じ時間をゆっくりと過ごす。
「ぼくはこれから騎士団団長補佐として火竜を倒しに行く。今回の討伐対象の竜は強いから、もうここには戻れないかもしれない。こうやって、君の手を握ることも」
「ーーごめんね」
泉の中にぽつりぽつりと水滴が落ちた。
その雨はしだいに強くなり、雪は解け、どしゃぶりの雨に変わる。
教団のエントランスにはシリウスとリゲルが立っていた。
「シリウスさまはラビィさまのことをお探しだったようで、ご心配しておられました」
侍女がタオルを持ってきてラビィの体を拭う。
「プロキオンが一緒だから、心配ないと言いましたのに」
絵画のすぐそばの壁にもたれ掛かったリゲルは呟いた。
シリウスは眉間にシワを寄せながら、プロキオンに詰め寄る。彼は目をそらして逃げようとした。
「ーーラビィになにか話したのか?」
「ーーーー関係ないことです」
見る見るシリウスの表情が強張る。その場は凍てつき。リゲルは長いため息をついた。
「ーーーーぼくは先に火竜の討伐に行きますので!」
「待て! プロキオン!」
シリウスは手を伸ばして魔法の中に消えるプロキオンの腕を止めようとしたが逃げられてしまった。
空気が重くきまずい雰囲気になる。
気をきかせた侍女がラビィを浴室へと案内した。
ーーシリウスさん。
二人の目線があう。
侍女はドアノブに手をかけて、ラビィを廊下へと誘導しようとした。ラビィはその隙間からシリウスを目で見つめていた。
「ラビィ」
シリウスは自分よりもだいぶ小さなラビィの体を軽々と持ち上げた。
「シリウスさま、お召し物がーー」
ラビィの体はふわりと浮き、上から背の高いシリウスを見下ろした。
ーー少し怖い顔のときもあるけれどお優しいシリウスさま。きれいなお顔。すてきな色のひとみ。
気がつけばシリウスはラビィをお姫様だっこしていた。
「浴室まで僕が運ぼう」
「わ、わかりました」
侍女たちはシリウスのあとを追って慌てて歩いて行く。
☆
☆
テーブルの花瓶には真っ白な薔薇とかすみ草がそえられている。
ラビィとシリウスはテーブルの二人掛けのソファに座り、メイドが入れた紅茶を静かにのんでいた。
ラビィは湯で体をあたためたあと、あたたかなパジャマを着ている。
天井から吊るされたランプのオレンジ色の光が二人を照らしていた。
「ーーラビィ、プロキオンと二人で何を話していたんだ? 彼から何を聞いた?」
シリウスは組んだ両手を握り、低い声で静かに呟いた。
ーーだっ、抱きしめられたことはお話してもいいのかしら?
紅茶のカップが揺れる。
ーーいや、シリウスさまには普段から良くしていただいているけれど、プロキオンさまに抱きしめられたことはシリウスさまには関係ありません。もしかしたら、間違いかもしれませんし、どのような意図で抱きしめられたかわかりませんし、個人的なことをお話しするのは二人の関係上あまり好ましくありませんよね?
「ーーひ、秘密です」
「…………」
ーーーーーガタン!!!!
テーブルの振動で紅茶のカップが大きく揺れる。
ーーび、びっくりしました。いつもは冷静なシリウスさんがまさか手でテーブルをお叩きになられるなんて。
カップにシリウスの影がうつる。表情は見えない。
「ーーいいたくないならいいんだ」
ーーーーそういうわけでもないのですが。
しーんとした重たい雰囲気の中、壁に立って様子を見ていた侍女に目線でどうしたらいいかと助け船を出したのだが、だれ一人、視線をあわせてくれる人がいない。
ーーなんで? 私のなにがいけなかったの!?!?
頭の中でぐるぐると止まらぬ思考を繰り返していると、シリウスは椅子から立ち上がって、ラビィのそばに寄り添った。
「ーーお願い。もう僕から離れないで」
シリウスはテーブルの椅子に座っていたラビィのそばで片膝をついて小さく座り込み、頭を下げる。
「誰の言葉も信じてついていかないで」
ラビィは息を飲む。
彼女の心臓の鼓動がだんだんと速くなる。
彼の震えた声に、彼女は自分の唇をぐっと噛んだ。
ーーごめんなさい。
白い薔薇とかすみ草の花の影から、眉を下げ反省している彼女が見えた。彼女の大きな瞳からは大粒の涙があふれる。
シリウスははっというような表情をして、サファイアの瞳の色がどんどん変わる。
「気が変わった」
ーーええええ!?!? 何か怒っているんですけど!?!?
「ーー今の状況では王国騎士団の火竜の討伐には加勢しないと決めていたが、僕も今から向かうことにする」
ーーはい??
顔を上げたシリウスは怒った表情をしていた。
ラビィにはやっぱりなんのことかさっぱりわかっていない。
「ーー早いとこ、あいつも討伐しないと」
そう言って、シリウスは戦闘服に着替えた。




