15 契約
「何だっていいだろう」
ローランド卿の問いかけに、ぶっきらぼうにシアーズが答える。ローランド卿はその答えを鼻で笑った。
「恋でもしたのか。あんなものに」
「黙れ!あんたに何が分かる!」
シアーズは思わず怒鳴った。ローランド卿が急に真剣な面持ちになった。
「馬鹿者。早く諦めろ。住む世界が違うんだ。何ひとつ良いことはない。私が一番よく知っている」
シアーズは思わず黙った。ローランド卿には海の魔物の血が混じっている。彼の父親は東洋の海賊だった。そして母親はシルヴィアと同じ、セイレーンだった。そのせいでひとより幾分か頑丈な身体を持っている。今はその影響はほとんどない。だが、そのせいでありもしない噂を立てられたのも事実だ。命を狙われたこともある。
「なら、ウィル。一つ聞いてもいいか」
久しぶりにローランド卿をこの名で呼んだ。相手は眉をひそめた。
「あんたは大切なものを前に、ただ指をくわえて見ているだけで満足なのか」
ローランド卿の目が見開かれる。しかし、すぐに舌打ちが聞こえた。
「質問にだけ答えろ、シアーズ。お前は公賊になるのか。それともあの女を見殺しにして再び自由になるか。選べ」
シアーズは彼を睨んだ。そして吐き捨てるように言う。
「公賊になってやるよ。あんたは全て分かっていてこんな卑劣なやり方をするんだな」
ローランド卿が微笑む。
「元部下だから、情けでもかけると思ったか」
いいや、とシアーズが答える。
「なら、構やしないだろう。これでお前も、晴れて女王の犬というわけだ。明朝、早速ご報告せねば。女王陛下もさぞかしお喜びになることだろう」
今度はシアーズが舌打ちした。
「あんたもそういうところは昔っから変わらないんだな、アルバ。上の者には床を舐めるくらいに這いつくばるってか。あんたはいつから、あんな奴らの腐った靴まで舐めるようになったんだ」
ローランド卿はシアーズを軽蔑の眼差しで睨んだ。
「その名を呼ぶな!お前には分からない。貴族でもない者が……ましてや姿の異なるものが身分を隠してこの世界で生きていくには、どんな汚い手を使っても、それこそ犬のようにふるまわなければ生きていけなかった。必要があればなんだってする。靴の裏まで舐めてやるさ。奴らがどんなに汚れていようと構わないんだ。貴族に生まれたお前には分からないだろう!だが俺がどんなに自分の血を恨んだところで、そうしなければもう平民にも戻れない!」
早口で喋った後、ローランド卿は戸口に向かって兵士を呼んだ。二人の兵が怯えながら入ってきた。
「こいつを地下牢へ放り込め!もちろん、こいつの部下と牢は別々にしろ」
兵がその場でシアーズに手錠をかけている間、ローランド卿は少し冷静になったようだった。額の、髪の生え際にある古い傷跡を右手でなぞりながら、独り言のように呟いた。
「言い忘れたが……叙位式は十日後だ。その時にセイレーンを釈放してやる。それまでは身柄を拘束させてもらう。お前は何をするか分からないからな」
シアーズも冷静さを取り戻したようで、ローランド卿に向かって言った。
「船はファントム・レディを使えるんだろうな。俺はあんたと違って一途なんだ」
不機嫌な問いに、ローランド卿は心底面白そうに笑った。
「案ずるな。船くらいは自由にさせてやるさ」
シアーズは衛兵二人に両脇から腕を掴まれ、地下へ連れて行かれた。相変わらず廊下は薄暗い。
ローランド卿は一人になった部屋で、壁の方へ歩いて行った。男性の描かれた一枚の肖像画がある。その前まで来ると、手にしていたグラスを掲げた。琥珀色の酒が入っている。窓から差し込む月の光がグラスを通る。琥珀色に染まった光は不思議な形になって、床の上で怪しげにゆらめいた。グラスを胸の前に持ってきた。ローランド卿は口を一文字に結んだまま揺れる酒を下目に見た。そして肖像画の人物と目を合わせた。表情を崩さずに、重々しく口を開く。
「義父上……もうすぐです」
一気に酒を飲み干す。やはり酒の良し悪しは分からない。
差別と偏見に満ちたこの世界で、人ならざるものの血が混じった己をひた隠しにして生きてきた。何を恨めば良かっただろう。父か、母か、それとも養父か。自分の存在を呪っても、死ぬ勇気までは持ち合わせていなかった。そうしておめおめと生きてきた。なぜ自分だけがこんな生き方をしなければならないのか。恨んで憎んで生きてきて、結局何もできなかった。
その頃は、ローランド卿は港の西の酒場に足繁く通っていた。メアリーがいる酒場だ。庶民の格好をしてはいたが、メアリーともよく話をしている姿が見られた。もちろん、メアリー以外に彼が海軍司令官だと気付いた者はいなかった。少なくとも、二人はそう思っていた。




