12 幻想
「構わないさ。最近はここで情報を集めることはないんだ。それに、君がそんなひどいことをするとは思えない」
酒を飲みながら、ローランド卿が言う。若干声が弾んでいる。彼は自分では気づいていない。
「じゃあ、何でここに来るの?」
メアリーが尋ねた。
「なんでだろうね。君に会いに……かな?」
それを聞くと、メアリーは可笑しそうに吹き出した。
「冗談ばっかり。いくらお世辞言ったって、酒代は負けないわ。酔ってるでしょ」
「酔ってるのは当たり前だよ、酒を飲んでるんだから。もし、冗談じゃないとしたらどうする?」
極めて真面目な口調で答えられる。彼女は少し戸惑ったような素振りをみせた。
「身分違いよ」
「身分違いなんかじゃない。さっきも言っただろう、俺は平民だと。いや、平民以下かもしれない……知ってるだろう、俺の両親は海賊なんだ。処刑される時、俺は義父のローランド卿に助けられて、養子として後を継いだんだ。嘘みたいな話だけど、これが真実だ」
メアリーは瞳に焦りの色を浮かべた。彼にここまで言わせるつもりはなかったのだろう。
「ごめんなさい、変なことを聞いてしまって」
急にしおらしく謝った。
「気にしなくていい、何とも思ってない」
そう言ってローランド卿は一口飲んだ。蝋燭を仕舞っているかのように胸が温かくなった。心臓の音が聞こえた気がした。酒のせいだけではない。
先ほど訊かれたことを何とも思っていないのは事実だ。だが、必要以上にしゃべりすぎた。そんなつもりはなかったのに。一体どうしてだろう。
「ところで俺は自分のことは喋ってきたが、君のことは名前以外知らないんだ。あとここで働いてるってこと以外ね。きっとラツィエルだって、自分のことは名前以外にも教えてくれると思うんだけど」
メアリーはくすっと笑った。
「メアリー・フロストよ。姉妹で両親に捨てられて、ここの主人に拾われてからずっとここで働いているの。妹は、別の場所で仕事をしているわ。二人でここの裏の家に住んでいるの。いい所よ。こんな所にくるのなんて、世間じゃろくでなしっていうかもしれないけど、食べ物もあるし大事な家族だっているわ」
暫しの沈黙が流れた。酒を飲みながら、ローランド卿は彼女が続きを喋るのを待った。だが、一口飲んだところで何も聞こえない。メアリーは言うつもりもないようだ。じっと彼の顔を見て微笑んでいる。
「それだけ?」
びっくりしたようにローランド卿が問う。
「それだけよ。私には他に何もないもの」
ちょうどその時、酒場の主人がメアリーを呼んだ。はあい、と返事をして彼女は席を立った。
「またね。あなた、気に入ったわ」
「ああ、俺もだよ」
そして彼の顔を見て微笑んだ。
「今日は気をつけて早めに帰ることね。私、これでももてるのよ。私と話してるところを見て嫉妬した誰かがあなたを懲らしめるかもしれないわ」
ローランド卿は思わず笑った。
「それは光栄だ、こんな美人と話ができたなんてね。夢じゃないことを祈るよ。ご忠告感謝するよ」
じゃあねと言い残すと、メアリーは足早に厨房へ去った。
ローランド卿は、暫く一人でぼうっとしていた。頭にふと、恋の一文字が浮かんだ。しかし自嘲気味に笑うと、頭の中の文字をラム酒と共に流し込んだ。
馬鹿馬鹿しい、恋だなんて。
今までに権力目当てに近づいて来る女はいくらでもいた。数えれば本当にきりがない。
エドモンド・ローランド卿は養父だったとはいえ、愛情をもって育てたとはお世辞にも言えなかった。親戚からも疎まれるばかりだった。差別と偏見なら、数日は語れるくらいに受けてきた。憎しみも軽蔑も、慣れてしまった。汚物を見るように自分を見る目にも慣れた。どんな嫌がらせだって耐えられる自信がある。そのせいだろうか。誰かに優しくされると、ついほだされてしまった。言い寄ってくる女にも同じことだった。権力や財産目当てだと分かっていてもだ。自分が飢えていることが分かる。仕事はできるのに恋愛に関してはからきしだとよく言われる。男性からすれば、彼の何がいけないのかよく分からないらしい。実績もあり、身分もある。しかし女性にはいつも遊び程度にしか見られていないようだった。いくらほだされても、彼女達のお気に召さなければ結局は手酷い形で裏切られてきた。世の中そんなものだと、色恋事は諦めていた。
もう誰にもこんな感情は抱かないと決めたはずだ。全くもって馬鹿な奴だ。自分を罵った。
ローランド卿は最後の一口を一気に流し込み、瓶を荒々しくテーブルに置いた。まだ底に残っていた数滴の酒がテーブルに飛び散る。その音さえかき消してしまうほど、辺りは騒々しかった。彼はメアリーではない女中に金を渡し、人の間を縫って酒場を出て行った。




