箱庭の中
カフェを出て駅前ロータリーに出ると、聞き覚えのある声に引き留められた。
菅さんだった。
帰りはタクシーで送るとのことだった。
これからバスを待っていると完全に日が暮れてしまう。
待つのも辛かったし、ありがたく同乗させてもらって、寮まで送ってもらった。
「じゃあね! リリちゃん! またね!」
「うん、またね……」
私がタクシーから降りると、アキちゃんは窓から乗り出して大きく手を振ってくれる。小さく手を振り返して見送り、ますます冷え込む外気から逃げるように寮の中へ戻った。
暖房の利いたラウンジに入ったところで、例の丁寧な受付さんがクリーニングした昼間の服を手渡してくれる。アキちゃんの血は見事に洗い落とされて、全体も新品のような白さを取り戻していた。
「今日はおつかれさまでした。夕食は部屋にお届けしますので、ゆっくりお休みください」
「え? どうして……いいんですか?」
「はい、菅より仰せつかっております。明日の朝食までお世話するようにと」
「菅……さん? GOTの?」
「ええ、先程までご一緒でしたでしょう? 秋穂のことで迷惑をかけたから、お詫びだそうです」
まさか……菅さんってGOTの偉い人?
それにしてもいつの間にクリーニングなんて……
「ありがとうございます。えっと、ご馳走になります」
「寮の食堂は4月からの稼働となりますので、明日の朝食以降はご自身でのご用意をお願いします。必要であれば共用キッチンもご使用いただけますので、その際はお声かけください」
私が「分かりました」と答えると、女性はまた機械的なまでのお辞儀で見送ってくれる。
疲れて訊くのを忘れてしまったけど、あの人、名前はなんていうんだろう?
まぁ、次の機会でいいか。
とにかく今日は色々あり過ぎて疲れた……午前中は滋賀県に居たのがウソみたいだ。部屋に戻るとコートや上着をハンガーにかけ、他の服も脱いで畳んで、Tシャツ一枚で下段のベッドに倒れ込んだ。
(GOT……全身SRR義体……AI……)
大量に飛び込んで来た情報が、頭の中でグルグルと回る。
アキちゃんはどういう存在なんだろう?
GOTの実験体?
脳以外がSRR義体の大富豪が居るって話は聞いたことがある。
でも、脳まで含めてまるごと作り物なんて話は聞いたことがない。
難しすぎて思考停止していたけど、アキちゃんは人間じゃない。
それが事実なら一体……人間以外の何に定義される何なのだろう?
思考は緩やかに減速を始め、重く暗く、心地よい疲労感の中に落ちて行く。
私は今日、何と出会ったのだろうか?
◇
アキちゃんはその後も数日おきに遊びに来た。
また外にお出掛けに行ったり、寮の中を探検したり、二人で料理したり、部屋で何にもせずにおしゃべりを続けたり、そのまま泊って行った日もあった。
アキちゃんと過ごす時間が増えるにつれ、アキちゃんが何者なのかという疑問と、アキちゃんと一緒に居て楽しいと思う気持ちが同時に膨らんで、何だかよく分からないことばかりが増え続けた。
アキちゃんのことがちょっとずつ分かって行くのも、そのペースと同じ。
とりあえず、アキちゃんは可愛い。
顔はアイドル級……と言えるかどうかは分からないけど、笑ったらそれ以上に可愛い。子犬みたいに飛んだり跳ねたりするから、もっと可愛い。性格も明るくて、私と違って誰からも好かれるタイプだろう。
それからとっても頭がいい。
一度教えたことは絶対に忘れないし、覚えるのも一瞬だ。AIだからそうなのだろうか、よく分からない。とにかく記憶力は人間以上だと思う。
その反面、運動は苦手みたいで、私とジョギングすると5分そこそこで体力が尽きる。ボール遊びも苦手みたいで、日曜日に公園に行って、たまたまいた子供たちとキャッチボールすることになった時、アキちゃんのボールは必ず明後日に飛んで行ったり、どこかに消えたと思ったら上から落ちて来て、頭の上にポテンと落ちたりした。
あと、料理も苦手。
私が「皮むき手伝って」と言っても、酷いことになるからと言って、包丁を握ろうとしてくれない。
あとは何だろ?
寂しがり屋で、ちょっとセクハラ魔?
私もカワイイ下着をつけるようしつこく言って来たり(根負けして1セットだけ買った)。お泊りの時、「お風呂に緒に入ろ!」なんて誘って来たり、流石に部屋のお風呂は狭いからと言って断ると「じゃ、一緒に寝よ!」だって。
また狭いからという理由で断ろうとしたけど、ほっぺをぷっくり膨らせてイヤイヤと首を振る。可愛らしすぎて、また根負けしてしまった。
「もう分かったよ……ほら、おいで?」
「わーい」
「ついでに明かりも消して?」
「はいはーい!」
パチパチと部屋の電気を消して、ついでに電源接続中のランプが光るノートパソコンのコンセントまで引っこ抜いて、アキちゃんは私の寝るベッドに飛び込んで来た。
それで一緒に寝て、朝起きたらガッツリ胸を枕にされていた。
(妹がいたらこんな感じなのかな……)
甘えん坊で世話の焼ける妹みたいな子。
一緒に過ごす内に、私の中でアキちゃんはそんなポジションに落ち着いてしまった。
でも学校が始まれば同級生だ。
それまでには、今みたいにベタベタしないよう言ってあげないと。
アキちゃんと過ごしていると、時間が過ぎるのが早い。
寮に入って半月が過ぎた。
荷物もすっかり片付いて、共用キッチンでの料理にも慣れて来たある日の午後。部屋で小説を読んでいると、突然インターホンが鳴った。
今日は検査があるから来ないって言っていたのに、終わったのかな?
慣れた調子で返事をして、何も疑わずにドアを開いた。
「はーい、アキちゃん今日は検査……」
「どうも」
そこに居たのはアキちゃんじゃなかった。
誰だろう? 綺麗な人だ。
背が高くて、長くて綺麗な黒髪で、フチなし眼鏡が良く似合う知的な顔立ちの女の人。私が首を傾げると、眼鏡の女の人は柔らかく微笑んだ。
「あの、どちらさまでしょう?」
「始めまして、宮古島蘭と言います。来月からの同級生ですよ」
「同級生……あ」
半月間も当たり前のように寮に一人だったから、すっかり頭から抜けていた。
もう3月だ。
2月中に寮入りした超せっかちが居るくらいだから、そろそろ他の生徒が寮に入って来てもおかしくない。
「あ、ごめんなさい。初めまして、江原璃々です……同級生?」
ペコリとして、顔を上げ、再び首を傾げる。
なんというか……宮古島さんは同い年と思えないほど大人っぽい。身長と服のせいかな?
Yシャツとスラックスをキッチリと着て、ベージュ色のロングコートを腕にかけている。背筋をピンと伸ばして立っている姿は、19歳と言われても違和感がない。
まじまじと見てしまっている内に、宮古島さんが苦笑を浮かべた。
「4月生まれで、成長期も早かったので、よく驚かれます」
「ああ! ご、ごめんなさい!」
「いえ、それより、今、お暇ですか?」
「はい、ヒマと言えばヒマですけど……」
「では……」
すっとその場に膝を付き、私の手を下からそっと取って、宮古島さんは悪戯気な笑みを浮かべた。
「よければ、私とデートしていただけませんか?」




