告白
予定通り桜ちゃんを空港に降ろした後も、車は走り続けた。
確か、宮古島さんの地元は静岡県だったはずだ。このまま関東まで行くのだろうか?
「そうだね。関東には関東だけど、実家じゃなくて別荘まで行く予定。詳細な場所は知らない方が良いんじゃない。その方が桜ちゃんのプランに合っているはずだし……ああでも、もし不安なら教えておこうか?」
「いいえ、宮古島さんを信頼します……知らない方が良いなら、私も寝てしまっていいでしょうか?」
「もちろん……だけど、その前にちょっと話していいかな?」
「はい……」
アキは空港を離れた後に眠ってしまった。
今は私の膝枕で安らかな寝息を立てている。
宮古島さんのお姉さんは、話を続けた。
話を聞きながら何度か受け答えして、アキの温もりを感じながら、私も深くシートに身を沈めて目を閉じた。お姉さんの運転は安全第一で緩やかだ。車に揺れに身を任せていると、いつしか眠気が襲ってきて、意識が途絶えてしまう。
次に目覚めた時刻は深夜、現地に到着していた。暗くて何も見えないけど、どこか山の中にあるコテージなのは分かった。お姉さんは私たちを起こし、玄関のカギを開けてくれる。とても疲れている様子で、足元がふら付いていた。
「電気、ガス、水道は使える状態。食料は明日また運んでくる。それまでにお腹が空いたら長期保存食があるはずだから、申し訳ないけど、それで我慢して?」
「十分です。運転ありがとうございます……大丈夫ですか?」
「流石に疲れたわ~~朝まではここで寝るつもり。寝室は2つあるから片方使うわね。二人こそしっかり休んで?」
そのまま私とアキは寝室に案内されて、車の中の眠気を引きずるままぐっすりと眠った。
次に目覚めたのは朝で、お姉さんはもう出発していて、1階のリビングにスマホが1台とメモが置いてあった。
お姉さんと宮古島さんの番号だけが入ったものらしい。GOT製ではないから使っても問題なく、電波は届きにくいから、本当の非常時は固定電話を使った方が良い……ということが書かれていた。
私に続いてアキが起きて来て、くぅっとお腹を鳴らす。
「昨日から何も食べてないもんね。宮古島さんに甘えちゃって、何か食べようか」
「うん……」
アキの朝はスロースターターだ。
しばらく半目のままふわふわしていた。
キッチンの戸棚にカンパンと水があったので、それをリビングに運んで朝ご飯にする。とても静かな場所で、木々が風に揺れる音と、川の流れる音だけがその場を包み込んでいた。
「テレビあるね……つけてみる?」
「うん……」
リビングには大型のテレビが置いてある。
リモコンを取って点けてみると、地上波のチャンネルは応答なし、BS放送だけが映るようだった。
テレビショッピングや古い時代劇しか映らないと切り替えていたら、ひとつだけニュースを映しているチャンネルがあった。
『アリス・アルハザード博士の急死から間もなく、GOTが経営するGOTフロンティア学園で事件です。アリス・アルハザード博士の生命維持装置を停止したと思われるヒューマノイド、秋穂・アルハザードを巡って生徒たちが抗議活動を起こしています』
画面は切り替わり、閉ざされた正門前に集まったみんなが映される。「私達の友達を奪うな」のスローガンを大弾幕に掲げ、アキの保護と事件の真相の究明を訴えかけている。
インタビュー画面に切り替わり、宮古島さんの顔が大きく写った。目の下に少しクマが見える。
『私たちの要求は学園の存続と秋穂さんの無罪放免です。アリス博士の死は痛ましいものですが、私たちは私たちの未来のために声を上げなければならないと思いました。学園側が先程の要求を受け入れてくれるまで、私たちはこの活動を続けます』
画面はまた切り替わり、『GOT本社は取材に対し、生徒たちの不安を解消するため、早急に対応に当たっていると回答しました』という一言で締めくくられる。
ニュース番組は次の話題に移り、SRR義足のサッカー選手の特集が始まる。
「みんな、がんばってくれてるんだ……」
アキがポツリと呟く。
見ていても仕方ないニュースだけど、他の情報が流れてくるかもしれないから、テレビはそのままにした。
「うん……みんな、アキを守るために必死になってくれてる」
「そうなのかな……」
含みのある言い方をして、アキは食事の手を止める。
指先から零れ落ちそうなカンパンを拾って、彼女の口に押し当てた。
「ちゃんと食べなきゃ。元気なのがアキの取柄でしょ?」
「人を犬みたいに言わないで」
「けっこー似てると思うよ」
「リリのバカ」
むっと膨れた顔をして、アキは私の指の中のカンパンに齧りついた。
お昼にはお姉さんが戻ってきて、食料の入ったダンボールをたくさん持って来てくれた。
「料理ができるって聞いてたから、食材多めに持って来た。インスタント食品を含めれば2週間分。あと、こっちは着替えや小物。足りないものがあったらまた連絡して?」
「宮古島さんのお家って、ホントに気配り屋さんなんですね」
「遺伝だね。長所であり悪癖。細かいことばっかり気にしちゃうから」
「あの……」
お姉さんと手分けして食材を運んでいると、アキがダンボールを持ち上げてしっかりお姉さんに向き合った。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
お姉さんの真意はどうあれ、本当に爽やかな人だ。
「本来なら秋穂ちゃんとじっくりお話したいところだけど、私も前々からGOTに睨まれてるから、これ以降は必要のない限りここに近寄らないようにする。二人で大丈夫そ?」
「平気です。何から何まで、本当にありがとうございます」
「自己満足が半分。妹のためが四分の一、残りはまぁ、色々? 気にしないで」
言葉通り、お姉さんは食材を運び込むとそのまま去って行った。
あとに残されたのは私とアキだけ。見渡す限り、周りには自然しかない。
「お昼、どうする?」
「食べる」
「食べるのはそうだけど、どうしよっか? カップ麺とかはいざって時に取っておきたいし、何かさっと作る?」
「うん、私も手伝う。野菜とか洗えるし」
それから二人きりの生活が始まった。
2人で料理をしたり、川で遊んだり、夜には時代劇を見たり、よく見たらブルーレイを詰め込んだ箱があったから、映画を見て過ごしたり。夜遅くまでトランプやボードゲームをしたり、物置にあった釣り竿を持ち出して、釣りをしてみたり。
初日は物静かだったアキも、その日の内に元気を取り戻して、翌日にはいつも通り振舞うようになった。
でも、初めて会った時のような心の底からの溌溂とした元気さじゃなくて、何かを隠したり、誤魔化したりするような、演技じみた元気さのように見えた。
宮古島さん(妹の方)からは一度だけ連絡があった。
私たちが無事かどうかの確認で、「大丈夫、なんにもないよ」と答えると、通話はそれだけで終わった。その他のことは、少ないチャンネルに映るニュース画面を通してしか分からない。
私たちが離れてから3日後、学園側から何らかの回答があったみたいで、表立っての抗議活動は無くなったようだ。GOTは運営方針での内輪揉めが続いているらしい。
そうして静かに……けれど僅かな緊張感や違和感を抱えたまま一週間が過ぎる。
私とアキが誘拐されたというニュースは、一度も報じられなかった。
「アキ……もう眠い?」
「眠くないけど……寝よっか」
「そだね」
ニュースが終わると白黒の古い映画が始まる。私とアキはソファーを立って寝室へ向かった。
なんてことない、アキの方がスイッチに近かったから。ただそれだけの理由で不意に思いついて、唇から言葉を滑らせてしまう。
「アキ、明かりを消して?」
「……うん」
リビングの光が消える。
山の夜は真っ暗で、照明を消すと外からの灯りは無かった。薄闇を頼りに寝室までの廊下を進む。
背後からは、映画のBGMが聞こえて来ていた。
「おやすみ」
「おやすみ……」
パジャマに着替えてそれぞれベッドに入り、部屋の灯りを消すと、真っ暗闇の中に音だけが満ちる。
山の木々が揺れ、葉の擦れる音、川のせせらぎ、遠くから聞こえるテレビの音。アキがもう一つのベッドで身じろぐ衣擦れの音。
不意にポツリと、アキが言った。
「何も訊かないの?」
「何を訊いて欲しいの?」
短い沈黙の後、アキは静かに話し始めた。
「最初は大好きだった」
「……うん」
「最初、私は0と1しか分からなくて、次に簡単な英語の指示が分かるようになって、英語の文法が分かるようになると、次は急に日本語が分かるようになった。
それで、毎日話すようになって、色んなことを覚えるようになった。大体は人間のこと。お父さんとお母さんがいて、生殖して赤ちゃんが生まれて、そんなことから始まって、理科や算数や社会のこと、道徳や倫理のことを教えてもらった。
そのくらいの頃から、私はあの人のことをお母さんだと思うようになった」
アキの声は不安で満たされていた。
ベッドを移って、抱きしめてあげた方が良いだろうか、少し迷う。身を起こしてアキの方を見ると、暗闇の中、こちらに背中を向けていることだけ、なんとか見て取れた。
「いつだったかな……私がずいぶん賢くなった頃、訊いてみたの。あなたは私のお母さんですか? って。
そしたら、違うって言われた。その頃はまだ体も無かったけどさ、ショックだった。私はお母さんだと思ってたから。じゃあ、私のお母さんはどこ? って聞いたら、いないって。私はこの世に一人の存在なんだって言われた。
ものすごく寂しかった。寂しいって言っても、あの人は何もしてくれなかった。
私はどんどん賢くなって、この体を持つ計画にも進んだけど、進めば進むほど、あの人は私に構ってくれなくなった。自分が必要な時にだけ呼び出して、必要なことだけ受け答えして。それだけ。
この体を持って、ああ、お母さんじゃないんだって確信した時、大好きが、大嫌いに変わったの。クルンって、コインみたいに。それでも私を作ってくれた人だから、好きでいなきゃってがんばった。
がんばったけどやっぱりダメで、苦しくて……そんな時に、リリが言ってくれたんだ。『嫌いな人は嫌いでいい』って」
「そんなこともあったね」
「気持ちが楽になった。その日から『嫌いだ』って自分に正直に思えるようになった。『嫌い』で『嫌い』で、気持ち悪くなって、早く死んじゃえばいいんだって思うようになった」
息を飲んだ。
続く言葉を防ごうと、両手は耳を塞ごうと動き、同時にアキの口を塞ごうとした。
一瞬の混乱が硬直を生み、全てを手遅れにした。
「だから、殺したの」
闇の向こうから、テレビの声が聞こえてくる。
大型のディスプレイが放つ光は、部屋の前まで届いていた。
「そう……なんだ……」
ぎゅっとシーツを握って、渾身の力で言葉を絞り出す。
ただ、それしか出来なかった。
「知ってる? 私って人間を殴ろうとしたら全身がピタって止まっちゃうんだよ? ロックが掛けられてるの。人を傷つける言葉も使えないようにされてるし、刃物を持つことも出来ない……
でも、機械のスイッチを落とすことはできる。それしかできなかった。それだけが、私にできる唯一の、『嫌い』を表現する方法だった。だから、世界で一番嫌いなあの人に、した」
段々と涙や嗚咽が混じり始めるアキの声を聞きながら、ゆっくりと、コップになみなみ注がれた激情が零れ落ちないようにゆっくりと手足を動かし、アキのベッドへ移る。
隣に寝転んで後ろから抱き締めると、アキはクルリと振り返って、私の胸に顔を埋めた。
「死んじゃうって分かってた……でもそれ以上に、リリと同じに……人間になりたかった。嫌いな人に嫌いだって伝えられるようになりたかった」
「そっか……」
柔らかい髪をゆっくりと撫でる。
心臓が壊れそうなほど暴れ回っているのは、アキにも伝わっているだろう。
「それ他には誰かに言った?」
「ううん、リリだけ……」
私は今、きっと世界初の殺人事件の自白を聞いている。
私だけが聞いている。
聞いてどうしたらいいのか、何ができるのか、分からなかった。
ただ、泣きじゃくる殺人犯を優しく抱きしめて、頭を撫で続けた。
彼女が泣き疲れて眠るまで、そうしていた。眠った後もずっと続けた。
翌朝になってスマホが鳴った。宮古島さんだ。
私はようやくアキから離れ、一睡もしないままの冴えた頭で通話を繋いだ。何かあったわけではないらしい。定期的な無事の確認だ。
前と同じように、宮古島さんに問われる。
「何か、変わったことはありましたか?」
考えるより先に、私は答えていた。
「ううん、大丈夫……なんにもないよ?」




