救出作戦
中学3年の夏の大会。
会場に到着し、着替えて柔軟体操をしていると、瑠衣が吐きそうな顔で話しかけて来た。
「璃々先輩、緊張してないんですか?」
「そういう瑠衣はなんでそんなに緊張してるの?」
「イヤだって! ウチリレーにも選ばれてるんスよ!? ここでウチがしくじったら璃々先輩たち引退じゃないッスか!」
「そりゃ、受験勉強しなきゃだからね。いつまでも続けてられないよ」
「そうじゃなくて! 前から思ってたけどなんなんスか璃々先輩! 機械かなんかスか!?」
「緊張して実力が出せるなら緊張すればいい。私は別にそうじゃないから」
「ごめんなさい、一発ぶんなぐっていいッスか?」
「どうして?」
あの時は、緊張する意味が分からなかった。
だって、地区予選で負けたとしても陸上をやっていたという評価は残る。
陸上を続けたい子は高校でも続けるだろう。
勝っても負けても失敗しても何も終わらない。
人生はその後もしぶとく続く。
今日が特別な日であるはずはなく、きっと90年は続く平凡な人生のたった一日に過ぎない。
「朝起きて食パンをかじる時の気持ちを思い出しなよ。リラックスできるから」
「それ先輩だけっスよ」
「そうかな?」
次に瑠衣に会ったら、謝ろうと思う。
大一番に挑む緊張は、どうしようもないものだ。
『璃々、状況はどうですか?』
「順調」
『流石です』
夕日を頼りに指を操り、スニーカーの紐を固く結ぶ。
立ち上がり、前屈から初めて爪先を掴み、そのまま手の平を地面に押し当てる。
髪が流れて頬を撫でた。結び忘れていたことを思い出し、ポケットからヘアゴムを取り出して、ポニーテールにまとめた。
宮古島さんと桜ちゃんの取引成立から6時間後、私はトランシーバーを手に一人で闇の中に居た。
作戦はごくごくシンプルだ。
①72台のシープを回収。クラッキング(ってなんだろう?)の準備を始める。
②①の後、生徒全員で校門前に集合。「友達を奪うな」とデモを始める。
③教師、職員、教務に関わらないGOT職員の注目が集まったタイミングで、桜ちゃんが火災報知器を作動させる。
④混乱に乗じて救出担当者と囮が侵入。
桜ちゃんによれば、研究施設の構造的に大人数での侵入は逆効果。
5人が適切らしい。
プランは2つ。
5人全員を囮かつ本命として利用……つまり状況に応じて誰か1人でもアキの所に辿り着くというAプラン。
そしてもう一つは、4人を囮、1人を本命として、何が何でも本命をアキの元に届けるというBプラン。
「確率が高いのは?」
「何とも言えないな」
「Bプランでお願いします」
宮古島さんと桜ちゃんの会議に、私は自分の意志で割り入った。
「アキの所には、私が行きます」
「それでいいと思わせる自己PRをしたまえ」
「中学では陸上部主将。800メートル2分18秒、1500メートル4分53秒、100メートルは12秒9。引退後も毎朝のジョギングは続けていたので、ブランクはありません」
「十分だ。記録だけなら男子に劣るが、君と秋穂なら話が早いだろう」
「囮の4人には男子を起用しましょう。盲点になってくれるかもしれません」
私は今、私の意思でここにいる。
しくじればアキを永遠に失うことになる。
今日が特別じゃないなんて、有り得ない。
瑠衣……あの時はごめんね、緊張するよね、寒いくらいなのに、手の平が汗でじっとりしてる。
でも意外と悪くない感覚だと思う。
心も体も研ぎ澄まされて、自分のコンディションがベストに近付いてく感じがする。
『10秒後に火災報知器が鳴ります。それを合図にスタートしてください。インカムが外れないよう、くれぐれも注意を』
「わかった」
トランシーバーをバトンのように握り締め、イアホンを耳の穴にキツく押し込む。
曇りのない暗闇の中で、10カウントを始めた。
初めてだ、走る前から心臓がドキドキしている。
指先や爪先が震えてしまいそう。
でも……うん、悪くないかな。15年生きて来たけど、今までで一番、気持ちいい感覚だ。
(3……2……1……ゼロ!)
けたたましい警報音が夕暮れに鳴り響く。
それと同時に、私は体育館裏から飛び出した。
誰も居ない渡り廊下を抜けて校舎の扉に手をかける。
電子ロックは桜ちゃんが解除してくれるはずだけど、開かない。失敗したのか物理的な鍵を掛けられているのか、どちらにせよ問題ない。開かなかった場合の指示も受けている。
「ごめんなさいっ!」
回り込んで石を拾い、窓に向かって全力投球。
見事にガラスを粉砕し、腕が入るだけの穴が開いた。
そこから鍵を開けて窓を開き、校舎の中に飛び込む。
目標は中央エレベーターだ。
でも真っすぐには向かわない。
私が今窓を割った場所、他の四人が侵入した場所、GOTは全てを認識している。
だからまずはこの場を離れて階段下の物陰に隠れる。
45秒後、囮役の男子が職員を攪乱するまでは身を隠す。
「1番です。扉が開かなかったので窓を割って入りました。予定の場所に到着、待機に入ります」
『了解』
雑音交じりに宮古島さんの声。
このトランシーバーは男子が持ち込んでいたらしい。
音質も悪いし電波が届く距離も短い。
スマホに比べれば玩具みたいな性能だけど、だからこそGOTの監視に引っ掛からない。らしい。
息を整えながら高鳴る鼓動に手を当て、頭の中で数を数えた。
校舎内には火災報知器の警報が鳴り響き、先生やGOT職員の声が飛び交っている。途中、階段を下りてくる足音が響いてきたけど、無視してカウントに集中する。
40秒、周囲に2人の気配。
私の隠れている階段下のすぐ側で状況確認を始める。
41……42……43……
「待て!」と大きな声が上がり、囮役の男子生徒が目の前の廊下を走り抜けた。
45秒。
「1番行きます!」
誰も居なくなった廊下に飛び出し、まっすぐ中央エレベーターへ。
システム的には大火災が発生している状況らしい。エレベーターは自動的に停止しているけど、今この瞬間だけは桜ちゃんが動かしてくれる。
今度は予定通りエレベーターの扉が開いた。桜ちゃんから預かった鍵を操作パネルに差し込むと、消灯していた地下へのボタンが起動する。
最短最速、アキんが居るらしい地下3階のボタンを押す。
この45秒間で桜ちゃんと囮役の生徒で攪乱と陽動が行われ、中央エレベーター付近はがら空きになっているはずだ。それでも、到着した瞬間に職員が居る可能性は頭に入れておく。
可能な限り扉から離れ、身を低く、低く、クラウチングスタートの姿勢を取った。
13秒でエレベーターは停止し、扉が開く。
誰も居ない。
「よし!」
飛び出し、右へ駆ける。
初めて来る場所だけど、ルートは事前に教えられていた。エレベーターを出て右に真っすぐ。左手に休憩スペースを見て走り抜けると、職員のための仮眠室が幾つかある。
その3つ目の部屋。
エレベーターに入ってから30秒後。
私が時間通りに到達すると、独りでにその扉が開いた。
「アキ!」
「リリ!?」
「来て!」
アキは制服姿のまま部屋の中にいた。
急いで手を引き、廊下に引っ張り出す。
作戦ではこの辺りを無人に出来るのはあと30秒。
それまでにアキと一緒にエレベーターに乗り込まなきゃいけない。
私一人なら簡単だけど、アキを連れてならギリギリだ。
右手に休憩スペースを流し見て、もう少しのところまで辿り着いた時、エレベーターの前に男性の職員が2人現われた。
なんだっけ、警棒とスタンガンが一緒になった武器……それを持ってて怖かったけど、構わずアキと一緒に突っ込む。交差のタイミングで横から男子生徒が2人現われ、職員にタックルした。
「行け!」
「ありがとう!」
お礼を言ってエレベーターに飛び込み、急いで扉を閉める。向かう先は、屋上だ。
「リリ、どうして……何が起こってるの?」
「説明は後! GOTの手の届かないとこまで逃げるの!」
「どうやって!」
「だから説明は後! こちら1番! まもなく屋上に到着します!」
話す間もなく屋上に到着する。扉が開くと同時にまたアキの手を取って駆け出し、左へ真っすぐ走る。
「ごめんアキ! 飛んで!」
「飛ぶ!?」
「私を信じて!」
普段から立ち入り禁止の屋上、落下防止用のフェンスは無い。
私も宮古島さんや桜ちゃん、他の皆を信じて、3階建ての屋上から飛んだ。
ほんの一瞬の浮遊感の後、体は直下に向けて加速し、ボフっと巨大なクッションに受け止められる。アキと一緒にもがいて地面に辿り着くと、宮古島さんと数人の生徒が立っていた。
「二人とも! 怪我はありませんか!?」
「なにこれ!? こんなのどこから持って来たの!?」
声を上げるアキに、宮古島さんが微笑んで答える。
「災害時用の救助マットです。寮にも校舎にも用意されている代物ですよ。確かに、非常時に必要なのは正しい情報と適切な行動ですね」
「すごすぎ……」
「璃々さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫……」
混乱するアキの隣、軽いショック状態の私を宮古島さんが引き起こしてくれる。
「時間がありません。ここからは走っての移動になります。桜さんは既に移動を開始しているので、追いつきましょう」
「アキ、走れる?」
「うん……」
私が手を差し伸べると、アキは手を伸ばしてぎゅっと掴んで来た。
「……大丈夫、行ける」




