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イヴの隣人  作者: 坂本りょう
【二章】好きな人、嫌いな人
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アリス・アルハザード(1)

 アキちゃんが誰かに連絡をして、30分くらいでお迎えの車が来た。運転席に座っていたのは菅さんだった。突然の呼び出しに少し不機嫌そうだ。


 私とアキちゃんが後部座席に乗り込むと、無言で車を発進させてどこかに向かう。


「帰り、少し遅くなっても大丈夫?」

「大丈夫だ。寮の管理人にはもう話を通している」


 アキちゃんの言葉に返事をしたのは菅さん。

 やっぱり少し苛立っているように見える。


「あの……けっこう遠くなんですか?」

「いや? 近くだ。彼女は今、空気のいいところで療養している。日本の島根県は自然が豊かだといってお気に入りのようだよ。今日は体調もいいらしい。タイミングが良かったな」


「そうなん……ですか。ご病気なんですか?」

「病気ではないがな、御年102歳。最新技術を駆使して老死に抗う日々だ」

「102歳……」


 アキちゃんがギュっと手を握ってくる。


 振り返ると、不安そうな、少し怖がっているような横顔が見えた。

 心の奥底までは分からなかったけど、ギュっと強く握り返す。


 2020年。

 SRR技術が普及したこの世界では、人間は滅多に死なない。


 死ぬとすれば事故で即死か老衰だ。仮に四肢を失ったとしても、私の右脚のように取り戻すことが出来る。


 庶民の私がそうなのだから、アキちゃんのお母さんともなれば、それこそ全身をSRR義体に変えて生き延びることも可能ではないのだろうか?


 桜ちゃんの姿が頭を過った。


「10年くらい前かな……私が小さい頃はまだ元気だったの」


 不意にアキちゃんが口を開いた。


「その頃はまだ私に体はなかったけど、色んなことを話してた。でも、どんどん弱って行って、今は寝たきり。私も体ができてからは忙しくなって、話すことも少なくなっちゃって……半年くらい会ってなかったかな……」

「そうなんだ……どんな人なの?」


 私の質問にアキちゃんは無言を返す。言葉の代わりに指を搦めてきた。


「まぁ、緊張することは無い。穏やかな人だ。秋穂が友達を連れて行くと伝えたら、微笑みを浮かべたそうだよ」

「そうなん、ですか……」


 私の呟きを最後に、車の中は重い沈黙に包まれた。

 エンジン音とタイヤが地面を蹴る音がBGMのようにただただ流れていく。


 こういう時、瑠衣だったら「息がつまりそう」とか思うんだろうか。やっぱり私の心臓は鋼鉄製なのかもしれない。


 自分自身に緊張も不安もなく、ただ無口になったアキちゃんが心配で、寄りかかるように肩を寄せた。そうすると、アキちゃんも私に体重を預けてくる。


 繋いだ手の平は熱くなって、じんわりと汗が滲んでいた。


 そうして、1時間近く、街を抜けて山道を抜け、私たちは高台にあるコテージに到着した。風がちょうど心地よい程度に冷たい。振り返れば山の緑と街を一望できる。素敵な場所だ。


「こっちだ」


 菅さんを先頭にコテージに入る。

 アキちゃんは私の手を握ったまま、無言のままだった。


 木の匂いがする廊下を抜け、奥の扉を開くと、大きなベッドにお婆さんが寝ていた。その隣には病院の中のような大きな機械があり、何本もの管がお婆さんの体に巻き付いている。


 生きているというより、機械によって生かされている命だと、一目でわかった。


「我々、Gate(ゲート) of(オブ) One(ワンス) Technologies創設者にしてCEO、Self Regenerative Reconstruction、俗に言うSRR技術の発明者であり、Ethical(エニカル) Virtual(バーチャル) Emulation(エミュレーション) System(システム)……EVES(イヴス)の生みの親、アリス・アルハザード博士だ」


 今にも溶けて消えてしまいそうな、春の陽射しの下の雪のようだった。


 白い肌、白い髪、白いシーツ、白いカーテン、体に繋がる何本もの白いコード、青や緑の光を放つ計器は銀色。


 今にも折れそうな細い首が傾ぎ、宝石のような蒼い瞳が私たちを捉え、かつては美女だっただろうと思わせる綺麗な、でもしわくちゃの顔が、ほのかに笑みを浮かべた。


「いらっしゃい……アナタが江原璃々さん?」


 声は柔らかく、透き通っていた。ほんの少し、桜ちゃんの面影がある。


「はい。初めまして」

「イヴも久しぶりね……こっちに、顔を良く見せて?」

「はい」


 ようやく聞こえたアキちゃんの声は、緊張に包まれていた。

 二人で手をつないだまま、ベッドの隣にまで近付く。


 世界最高の頭脳と資産を持つお婆さんの体は、子供のように小さかった。ほとんど生気を感じない。ほんの少し手を触れるだけで命が消えてしまいそう。


 もっと言ってしまえば幽霊と話しているような、不思議な感覚がした。


「そう……」


 私とアキちゃんをそっと眺めると、蒼い瞳は再び天井を向いた。


「イヴ、茜……二人とも、席を外してくれる?」


 アリス博士が呟くように言うと、菅さんは無言で部屋を出て行った。アキちゃんもするりと手を解いて菅さんの後に続いて出ていく。


 広い部屋に私だけが残ると、アリス博士は命を燃やすようにして、言葉を続けた。


「ありがとう……」

「いえ、あの……」


 どういう話をしていいのか、分からなかった。


 話すのも辛そうだし、何も言わない方が良いのかな? でも、わざわざ訪ねて来てそれも変だし……とりあえず、ありきたりな世間話をしてみることにした。


「お加減は、いかがですか?」

「今日はとても調子がいいわ。日本の空気はキレイね……春の風も気持ちいい」


「日本がお好きなんですか?」

「ええ、とても……この国は本当にキレイ。特に日本語は素晴らしいわ。英語だけでは、イヴがここまで進化することは無かったでしょう」


 私が宮古島さんなら、色んなことを訊いただろう。

 でも、私の口から出た質問は、一つだけだった。


「あの、貴女が、アキちゃんのお母さんなんですか?」

「ええ、あの子がそう呼ぶから……残念だけど、そうなることにしたわ」


「残念?」

「イヴにはね、私の娘になって欲しかったんじゃないの……」

「じゃあ、何に?」


 蒼い瞳が再び私を向く。

 それの光は綺麗で澄んでいたけど、冬の水のように冷たく、失意や諦めに満ちていた。


「友達が、欲しかったの……」

「友達?」

「そう……でも、もう叶わない夢。私は老い過ぎてしまった……残された時間も少ない」


 そっと静かに、アリス博士は骨と皮張りの白い腕を持ち上げる。


「イヴを託していい? 貴女に」


 優しい人なら老人を労わって……

 科学に関わる人なら偉大な天才の意志を喜んで継ぐために……


 あるいはその他にもたくさん。

 なんらかの理由をつけて、理由なんかなくたってもその手を握っただろう。


 そんな気すら起きないのは……どうしてだろうか。


「イヴなんて子は知りません。私が知っているのは、アキちゃんです」

「そう……」


 きっとこの先ずっと教科書に乗り続けるであろうお婆さんが、くつくつと力なく笑う。


「本当に面白いわね……人間は」


 静かに手を下ろし、アリス博士は目を閉じて大きく深呼吸をして静かになった。


 1分か2分か、そのまま棒立ちして待っていると、安らかな寝息が零れ始めたのに気付く。優しく、今にも消えそうな命が壊れないように最大限優しく、シーツを取り、そっとかけ直して、ペコリと頭を下げて、私も踵を返した。

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