第15話 - 観察
三人は転移魔法で再びクラックドヤードの地を踏むと、ラスター・ホークに挨拶もせずにそそくさと西の瘴気の森へと入って行った。
彼らに声をかけなかったのは単に会う機会がなかったというだけの理由だが、リィエン・スタッシュホールドは可能なら彼らに会わずに森に入りたいとも考えており、結果的に状況は彼女に味方する形となっていた。
リィエンがロードクラブの死骸についた木の葉を取り上げながら言う。
「クロウ君は瘴気って何だと思う?」
その落ち葉はクラックドヤードの昼空の色によく似た紫色をしていた。
クラックドヤードは三方が瘴気の森に囲まれて残りの一方が魔王城へと続く海であり、事実上全ての面が瘴気で満たされている。
瘴気とは穢されたマナのことである。魔王の手から高濃度の瘴気が放たれたことからその可能性が示唆されているが、魔王出現以前から瘴気の存在は確認されており、実際の所具体的な発生メカニズムやマナの四元素でどこに分類されているかは判明してない。
穢されたマナの性質として最も大きなものが加護の減衰である。魔の物に対抗するために神が人類にもたらしたものが加護だとすれば、瘴気とは人類に対抗するために魔王に託された神への対抗手段とも言えよう。
加えて瘴気による穢れの影響は生物にも伝播する。長時間暴露することでめまいや頭痛が発生するほか、魔王の放つ高濃度の瘴気を直接浴びて即座に気絶したという報告もある。クラックヤードに棲息する動植物も瘴気の影響を受け歪み、その身体の一部が異常に発達していた。
クロウはリィエンにこれらのことを伝えると、彼女は満足げにうなずいた。ヘブラスカは二人の話を頷きながら聞きつつも、その意識は周囲の警戒に当てられていた。
「うんうん。よく勉強しているね。一般的な理解としては十分だ」
「一般的な理解、ですか?」
「そう。ヘブラスカ嬢はどう思う?」
「わ、私ですか!?」
「私も同じ認識です。瘴気とは穢されたマナで、神への祈りがそれを浄化出来る……そのぐらいです」
クロウもそれに同調するように頷いた。しかしリィエンはふふんと鼻を鳴らすと、パンと一度柏手を叩いた。
「うむ。では改めて二人に聞こう、【マナが穢された】とはどういうことかな?」
「「へ?」」
全く予想だにしていない質問に二人は素っ頓狂な声を上げた。クロウはヘブラスカの方を見るも、彼女も質問の意図が分からないようで首を傾げた。
「穢されたって事は、そのー、え?魔王の力で変質したとか、そういうことじゃないんですか?」
「んふふー、クロウ君もラスター・ホークの皆に染まって来たねぇ。私の言葉を思い出してよ」
「えーと、真実とは批判的検証の先にある出涸らしのようなもの、ですよね?」
「んむ、よいよい。じゃあ批判的検証を瘴気に対してしてみようか。瘴気によってマナは本当に穢されているだろうか?」
リィエンの言葉でクロウははっと目を開いた。
――そうだ。穢されているとはどういうことだ?マナが変質しているとはつまり状態変化が起きているということだ。裏を返せばそこに何かしらの相互作用が働いているということに他ならない。
「もしかして、穢れを定義しようぜって事ですか?」
リィエンが指を鳴らす。
「ご明察ぅ!瘴気が生命に影響を及ぼすとなれば、そこに化学反応が起きていると考えるべきじゃない?」
「そんなこと出来るんですか?」
「んー、分かんない!」
あまりにもリィエンが自慢げに言うのでクロウは最早突っ込む気も失せていた。それはリィエンなりの真実への誠実さから来るものなのだったが、周囲にはあまりにも投げやりな態度とも受け止められがちになる。クロウはそのことをわかってはいたのだが、ヘブラスカに説明する大変さを考えると頭痛がした。
クロウの案の定、ヘブラスカは「えぇー」と呆れた声を出した。
「まぁこう見えて師匠はある程度アテをつけてるはずだから、心配しないで」
「あはは、ですよねぇ……」
彼の言葉を微塵も信じていなさそうなヘブラスカをよそに、リィエンはクロウを指さしながら話を続ける。
「さぁクロウ君!君ならどうする?」
クロウは思考する。これはあまりに荒唐無稽な話だ。薬品や毒物ならまだしも、大気中の瘴気のマナの反応を見るだななんて聞いたことがない。大気の組成分析自体は錬金術師ギルド内で進んでいた筈だが、それもクロウのような見習いにとっては遥かに高度な話だ。
――いや、あえて師匠が僕に言うということはそこまで高度なことは求められていないはずだ。それにそのレベルの実験をするならもっと遥かに高度な実験器具が必要なはずだ。
つまり要求されている内容は極めて初歩的、それでいて欠かせない内容だ。
意を決してクロウは口を開いた。
「観察……ですかね?」
「正解。私の顔色を伺っていなければ満点を挙げられたんだけどー、まあ99点は上げようかな」
「ほぼ満点じゃないですか」
「私は美人だからクロウくんの目が釘付けになるのも仕方ないからネ☆」
「はいはい……」
安堵と落胆の混ざった返事をして、クロウは周囲に生えている植物たちを観察した。彼らはみな多肉植物のように葉を膨らませており、葉脈に沿って小さな孔が空いている。加えて葉は紫色に染まっており、それはクロウに瘴気で紫に染まったクラックドヤードの空を連想させた。
加えてどの植物もがみな一様に食虫植物としての側面も併せ持っており、花弁の下や葉の裏に様々な方法で虫を捉える仕組みを持っていることに気がついた。それはクラックドヤードの厳しい植生を自分の身をもって体現しているかのようだった。
「どれも、そのー、特定の部位が異常に発達しているようで少し不気味ですね……」
クロウは真っ先に自分の印象を吐露した。しかしリィエンはそれをあまり良く思っていないようで、彼を窘めるように言った。
「彼らなりの生きようとした努力なんだから、そういう言い方は少しかわいそうだよ」
「た、確かに……すみません」
「分かってくれれば大丈夫。それに結局は私が注目してほしいところもそこだったから」
「え?」
「たとえばこれをみてみなよ」
リィエンはしゃがんで道端に生えている草花の葉を触り二人に見せた。先ほどクロウがみたものと同種で、その葉はぷっくりと膨らみながら紫色に染まっている。
「ここの空や周囲にわずかに漂う紫色の霧、他の植物も同様に染まっていることからみてこれは瘴気の色だと見ていいよね」
「ええ。でもそれがどうしたんですか?」
「葉っぱで作られた栄養は葉脈を通って茎へ至り、植物全体を循環するはずだ。しかしこれはどういうことだろう?」
リィエンの人差し指がその葉の緑の葉脈をなぞり、その茎へと続く。それらは鮮やかな緑色をしており、葉の紫も相まって不気味なコントラストを作っていた。
クロウも少しした後に違和感に気づく。
「瘴気が葉脈を通っていない……!?」
リィエンが再び指を鳴らした。
「その通り!瘴気は一般的には穢れたマナで信仰によって防ぐことができると解釈されてるけども、実態としては森の中の小さな植物ですら拒絶する術を持っているんだ」
「この植物は化学的な相互作用を利用して瘴気をせき止めているってことですよね、つまり……」
「【穢れとはマナに混ざり込んだ細かい物質のこと】というわけさ。にしても自然とは凄いね、文明を持った人類よりはるかに鮮やかに瘴気の対策を行えているだなんて」
「地味にこれって実はすごい発見なんじゃ……」
ヘブラスカも小さく詠嘆の声を漏らす。
リィエンは「すまないね」と言いながらその葉を一枚ちぎった。それをヘブラスカの前でひらひらとさせた。
「ヘブラスカ嬢。すまないがこの植物に【聖女の祈り】を使用してくれないか?」
「え?ま、まぁ良いですが……」
ぽそぽそと小さく祈りの言葉を呟くと、リィエンの持つ葉が光を帯びる。少しの間の後に光が収まると葉からは紫色は消え、綺麗な緑色の葉に変わっていた。
「うん、やはりこの葉の中の瘴気にも有効だね。この葉を使えば瘴気の成分を分析できそうだ」
リィエンはそう話すと落ちている葉やまだ緑の新芽の葉に他の種類の葉を次々と採取してはビンに詰めていった。クロウも彼女の指示に従い葉を選んでは集め出す。
ヘブラスカは内心ではいけないと思いつつも二人の可能性の広がりにワクワクしていた。クレリックとそれを礎とした冒険者という仕組みにおいて、瘴気と祈りの関係は神の領域とされ半ば禁忌のような扱いになっていた。しかし二人のアプローチでもし瘴気を克服できた場合、それは人類が魔王に勝つ最大の好機だからだ。――もちろん、瘴気対策で重宝されてきたクレリックの立ち位置は地に落ちるかもしれないが。
リィエンは彼女にアイコンタクトを送った後、唇に人差し指を当てる仕草をした。己の考えを見透かされていたことに気づいたヘブラスカはそれに小さな握りこぶしを作って頷き返す。
「それはそれとして、これでレオ君の死因が分かったね」
リィエンがお尻についた土を落としながら二人に話す。ヘブラスカがクロウに先んじて答えた。
「瘴気で死んだ……ってことですよね?」
「ふふー。ちょっと解像度が粗いネ。クロウくん、答えてあげて」
「分かりました……といっても合ってるか自身はありませんが」
二人の視線がクロウに集まる。一度咳ばらいをしてから、クロウはまっすぐリィエンの方を見て口を開いた。
「えっと……【レオさんの死因は瘴気が原因の窒息死です】」




