恐怖とは生きていなければ
「ありがとうございました……」
元気なくタクシーを降りる乗客を見て運転手は何を思っただろう。学校を経由して(荷物を置いてきたままだった)家に無事帰ってきたはいいが、海東のせいで厄介に巻き込まれた。何をしたのかは不明だが、要求が上がるのは非常にまずい。単に驚いてそれに満足してくれたらそれで十分なのに今度は悪戯への協力。もうカゴメを誰かと接触させるのはやめるべきだろうか。いや、それは無理だ。俺が学校に行く限り彼女も来る。そうして気まぐれに悪戯をし驚いてくれたら満足して―――世話焼きの美少女に戻るのだ。
「ただいま」
「友人様! お帰りなさいませ、先程は姿をお見かけしませんでしたが如何しまして?」
「うわぁぁ! 迎えくらい普通にしてくれよ!」
部屋に入った途端、開けた着物が俺の身体を包み込んだ。違う、待っていたカゴメがハグをしに出迎えてくれたのだ。出会った当初から毎日このような歓迎を受けてはいるが、驚かせてくる時と別で悪戯するつもりだから普通に出迎えてくれる時があって、どうしても慣れない。
「ていうか着物……着替えを途中でやめてまで出迎えなくてもいいってのに。また俺が着付けを手伝わなきゃダメなのか?」
「もう一人で出来ますから、安心してくださいませ。ささ、こちらへおいでくださいまし、話したい事が沢山ございましてよ」
「ひ、引っ張るなって!」
リビングには制服と下着が散乱しており、俺が来るまで正に着替えの真っ最中だった事が窺える。開けた着物から見える深い谷間に反して散らばる下着がどれも細いのは決して気のせいではない。中学の頃くらいだろうか、胸を抑え込める下着をつけておいて、俺との会話中に壊れるよう細工をしていた事があった。その時の俺と来たら本当に驚いてしまったせいでカゴメは痛くこれを気に入り、以来着物以外の服装ではこれを仕込んでいる。細やかな膨らみだったモノが突然膨れ上がって顔に迫って来た時は色んな意味でびっくりしてしまった。
「「まずは着替えを終わらせてくれないか?」
「あらあら、友人様さえよろしければ下着を差し上げますのに」
「要らないよ! と、とにかく……着替えてから出直してくれ。待つから」
「手伝ってくださってもよろしいのに♪」
誘惑には絶対に乗ってはいけない。乗ったが最後、ルールを破ったとみなされる筈だ。何をされるかは分からないが、ルールを破った海東の様子がおかしくなっただけでもうサンプルとしては十分すぎた。俺は破ったりしない。
鼻唄を歌いながらご機嫌そうに制服を片付けるカゴメの後ろ髪を見ていると、俺の人生はいつまでこのルールに縛られるのだろう、などと考えてしまう。
好きな女子に良い寄られて、それを拒否しないといけない。
自分から気持ちを伝える事も許されない。
思春期に縛られ続けて、歪まない道理もあるまい。驚くフリと合わせて、凪白悠という人間はカゴメが関わらない話にあまり興味が持てなくなってしまった。家の中もそう、身の周りの世話を彼女に依存して、それを良しとする自分が居る。それだけでカゴメの笑顔が見られるならと。
「友人様、それでは改めてお話を。まずは考査の高得点、おめでとうございます! 最終的な点数については後日となりますが、友人様の頭脳にかかれば五四〇点以上は容易いですわね。少し気は早いのですが、叶える欲望は決まっておりますか?」
「…………一つだけ、じゃないんだよな?」
「これまではそうでございましたね♪ しかし人の欲望とは決して満たされぬモノ……満たして満たして尚、渇くのでございます。友人様、昔、私と約束してくださいましたよね? その欲望の一切を生者に向けてはなりませぬと。友人様は私の餌なのでございますから、女子との関わりなど許しませんよ?」
「お前が何をしたって……俺は決してお前を好きにならないからな。絶対! 何があっても!」
「ククク♪ ええ、ええ。そのようにお努め下さいませ。きっと振り向かせてみせますわ」
カゴメは指で俺の本能を愛撫するような素振りを虚空で行うと、満足したように会話を止め、人差し指を自分の口元に当てた。『この話はこれでおしまい』らしい。
「人間様の話をいたしましょう。友人様にも協力してもらいたいのでございます。勿論、してくださいますよね」
「一つだけ聞かせてくれ。あの男に何をしたんだ? そこまでする程、アイツの驚き方は魅力的だったか?」
「人間様は友人様が死ぬような思いで驚かれる行為に動じないのでございます。でしたら私は人間様が動じる程の恐怖を与えなくてはなりませんわ、お化けなんですもの! しかしそれ以前にルール違反をしてしまわれましたので、然るべき罰を下さなくてはならないのです」
「具体性がないな。何のルールをそもそも破ったんだ?」
「私を好きになってしまわれたのですわ! 友人様は私の身体を幾ら弄んでも決して言って下さらないのに軽々と……好きという言葉には重みがなくてはいけません、そんな私の純情な心を人間様は穢したのでございます」
どんな事をされたとしても、それが即座に好きという感情を示している訳ではない。逆に関係値が薄かろうと好きと言えてしまうならそこには確かに好きという感情が乗っている……カゴメの論理はそのように展開しているようだが、だからって何をしてもいいとは限らない。弄んでるなんて大層な言い方だが俺はまだ最後の一線を越えていない。もし何かの間違いで越えてしまったら……その時カゴメは、どういう判定を下すのやら。
「ですから友人様には人間様に言葉の重みを理解してもらう悪戯を手伝ってほしいのでございますわ♪ 後、もう一押しを共にしていただきたいのです!」
「―――分かった。手伝おう。殺さないんだったら協力する」
「では、報酬を。友人様は報酬がなければ頑張れませんからね!」
ずき、と左薬指に痛みが走り、殆ど条件反射で視線を落とした。そこにあったのは指輪のような黒い痣だった筈だが、今は黒くも金属光沢のある指輪がそこに嵌まっていた。彼女の指にも、気づけば同じ指輪がされている。
「誓いの指輪でございますわ♪ 友人様は私の餌なのでございますから、煩わしい生者が居ればこれをお見せ下さい。何処に居ても私が助けてさしあげますわ~!」
「あ、ありがとう……でも好きにはならないぞ」
「ククク…………♪」
季節が冬だったら良かったのに、手袋なんて今の季節していられない。クラスにどう説明するか今のうちに考えておかないと。
「それで、友人様。協力ですが、寝室に行きませんこと? 大丈夫、悪戯はいたしませんわ。こればかりは協力者でございますから」
普段は俺を安堵させてくれる言葉であり、恐怖とは安堵との振れ幅が重要だと語るカゴメの美学を示す言葉でもある。悪戯はしないと言ってそれが出鱈目だった事は過去一度もない。
一度もないが、今度ばかりは悪戯であってほしかった。
寝室につくなり俺はベッドに押し倒され、暴れる手を抑え込まれて―――カゴメの餌食になったのだ。
「私に、身を委ねるのでございます。二人で一つ、溶け合って……」
「ひ、ひいいいやああああああああああああああ! 待って! ちょ、! せめてこころのじゅん―――!」
再び開けて布団のように覆いかぶさる着物と、一つ一つのボタンを丁寧に外されていくワイシャツ。女体の味を知れば好きと言わずにはいられなくなるという作戦だろうか。いや、でも俺はまだ対象者では!
「ああ~……温かさが…………生命が……私を、満たして…………お慕い申しております……ですからもっと…………鼓動を…………友人様ぁ♪」




