取り戻せない過去
新聞部に入ったのは殆どノリであり、決して部長の活動に惚れ込んだと言ったような要素はない。カゴメと過ごす時間の方を優先してばかりで幽霊部員になってしまった現状からもそれは分かるだろう。
そんな俺が、あらゆる用事を二の次に会いに来たのだ。自分でもどうかと思うくらい真剣な用事で。
「よお、そんな真剣な顔してどうした? 昼休みにも部活動をっつう殊勝なタイプじゃねえだろ?」
「…………祓女は居ますか」
「お? 我が愛しの新入部員の事か? 残念だがアレは心が読めるせいで人気者だ、こんな物置の臭いがする旧校舎に用事はあるまい。確認していないぞ」
「本当ですか? あんなに気に入ってるんだったらつけ回してそうなのに」
「俺をストーカー扱いだと? 新聞部は公正公平、時には面白さの為に記事を捏造する誠実な部活だぞ! 他の部員に命じてつけ回してる事はあっても、俺は手を汚さん!」
「すげえ最低な事言ってる。でも俺は流されませんよ、絶対にアンタは祓女の動向を見てる。常識人ぶるのはやめて居場所を教えてください」
「全く何を見てそう思ったんだ? 長い付き合いならいざ知らずお前は幽霊部員だろうに」
確かにそうだ、幽霊部員―――入部しているだけの俺に人柄や性格を見抜ける要素はない。勢いで問い詰めたはいいが部長は存外冷静だった。仮にしらばっくれているとしてもそれを証明する証拠がなければ彼はずっと否定し続ければいい。
証拠、証拠、証拠。
仮にあっても、覚えていないのでは?
「………………」
これまでの俺はカゴメに記憶を抹消されるのを許容していた。それで日常生活が変化する訳じゃないし、実際それで生活は上手くやっていけていたからだ。どうしても忘れるべきと思えない名前は生徒手帳に記載しておけばカゴメもそこには手を出さなかった。そっちはそっちで顔と名前が一致しなくなる別の問題はあるが、そうじゃない。
彼女が記憶を消すのは自分以外と親しくなってほしくないからだ。部長に対して必要なのは関係値に基づく記憶で……その相性は最悪だ。
「おい? おーい」
今日、俺の中で芽生えた疑問は逆の方向だ。カゴメは俺に”忘れさせたのではなく覚えさせた”。そして普段は”忘れさせている”。分かるだろうか、これの恐ろしい効果が。では言い換えた方が良いかもしれない。
凪白悠は何を覚えさせられたかも把握出来ないし、何を忘れさせられたかも把握していない。
これまで良しとしてきた行動が……やや過剰なヤキモチだと見逃してきた所業が積もり重なってこうなった。記憶なんて信用できないと良く言われるがこれは物忘れの範疇じゃない。カゴメが勝手に記憶を植え付けてそれを俺が認識出来ないのだったら区別なんてつけられるものか。
「おい! 幽霊部員!」
駄目だ、どうしても俺一人で見分けられない。自分の記憶なのに、カゴメが加えた記憶も消した記憶も触っていない記憶も分からない。俺は、どうしてこんな事になった? 何故この現状を放置した?
「凪白悠! しっかりしろ!」
「…………ッ!」
部長の声が耳に届いた瞬間、俺の意識は思考から離れ現実を認識した。いつの間にこの膝は崩れ、頭を抱えていたのだろう。泣いている事にも今気づいた、全く意識出来ていなかった事実に脳が理解を拒んでいる。部長が俺の肩を掴んでいるなんてちっとも分からず。
「……俺が悪かった。意地悪をするつもりなどなかったんだ。ただその……理由があってな。教えてやってもいいが質問に答えてくれ。いいな? いいか? 取り乱してくれるなよ?」
「……はい」
「お前は昨日何が起きたか覚えているか?」
「……昨日? いや、別に何も……起きてないような。いや、待ってください。思い出します。よく思い出せばきっと何かあるかも……」
思い出せるモノなど何もない。記憶は綺麗に整頓された棚のように鮮やかで、手に取ろうとすればどの本もすんなり開ける。ただ、そこには決められた情報しか書かれていない。埃一つない本棚、俺の代わりに手入れをする誰かのせいで、たとえ床に頬をつけようとも発見などない。
「……ごめんなさい。覚えてないです」
「そうか……そうなるのか…………分かった。祓女の居場所を教えよう、もしお前が昨日の事を覚えているなら絶対に会わせないでくれとしか言われていないからな。旧校舎の屋上だ。今回も一人で来たんだろ? それならそのまま行けばいい」
「…………」
「大丈夫だ、あの新入部員が教えてくれるだろうさ。俺も初めて聞いた時は耳を疑ったが…………どうやらカゴメちゃんは本当に幽霊らしいな。それも俺達が気軽に手を出していい存在ではない。手を引くつもりはないがな!」
旧校舎の屋上は通常封鎖されている。特にお化けの曰くはないのだが単にフェンスが老朽化しているしそこら中が欠けているしで危険だからだ。だが全く出入りされないのも考えもので、旧校舎は部長が居る限り封鎖解除され続けている。要するに帰るときだけ封鎖を直せばそれでお咎めなしになる訳だ。
新聞部の評価が悪いとは言わないが、所属してもないのに新聞部と思われるのは嫌だという生徒は多い。だから事実上ここは部長が支配している。
「凪白様」
「…………祓女、だよな。祓女千代子」
「はい。ここに来たという事は二色先輩を拷問でもしたか記憶がないかのどちらかですね」
「記憶がない。いや、記憶はあるんだけど、それが自分の記憶と思えない」
祓女は給水塔の上から振り返ると、こちらを見下ろすように頬杖を突いた。
「詳しくお願いします」
「…………大して仲良しでもない……いや、仲良しだったのかな。クラスメイトの名前、憶えてる……覚えてる筈、ないんだ。今までカゴメは毎日記憶を消してきた。顔と名前のどちらかが一致しなくても、名前を憶えて顔を忘れても……ああ、違うな。なんか、もう良く分からないんだ。俺が信じられるのは……」
生徒手帳を飛び級少女に向かって投げつける。多分恐らくきっと、本当に関係値などない少女にここまで打ち明けても大丈夫かは悩んだ。しかしもう関係ない。”記憶”の価値は毀損し、プライバシーは汚染された。人のルールは変わったのだ。
「この手帳にある名前だけだ。忘れたらまずい名前だけ書いてきた。顔も名前も忘れても日常はどうにかなるが、そこに書かれてる人は多分忘れたらまずいと思って俺が記録してきたんだ」
「私の名前は私が書きましたが……そういえば言っていましたね。両親の名前も覚えていないと」
「……この対策を思いついたのは両親が死んでからなんだ。それをカゴメに咎められた事はないから、続けてきた。単なる保険……生存戦略のつもりだったんだ。寝る度に全員の名前を忘れたらどう考えても生きづらいから」
「…………凪白様。今度は選択の余地などありません。カゴメマコトの無力化に協力してください」
「な、何?」
「たった一日。それも数時間。それで世界の趨勢は変わってしまいました。かつて世界大戦が一発の銃弾から端を発したように、貴方にとってはただ忘れただけの記憶が全てを変えてしまったのです。ですからどうかお願いします。無力化をしなければ」
「以前はそんな言い方をしてなかった、よな? 無力化……無力化? 俺はそっちの方面に詳しくない、お前の師匠はどうした? まだカゴメについて調べてるから手を出さないのか?」
「……」
祓女は給水塔から飛び下りると、音を立てずコンクリートに着地し、つかつかと近寄ってくる。その早歩きにやや怯んだ様子で後ずさると彼女はすかさず手を伸ばし、俺に写真を見せつけた。
そこにあったのは、皮と肉と骨が丁寧に分解された死体。生涯一度も見る筈のない、あまりにも脳が理解を拒んだ”人間”というパーツの解体写真。
「我が師は。現人神介は殺されました。全国の幽霊・怪異を抑えていた当世の救世主はもう居ません。私は復讐をしたいのです凪白様。どうか決断を。カゴメマコトの無力化に協力してください。あれは貴方にとって危険ではないかもしれませんが、貴方以外の全てにとって有害なのです………………ここまで言われて尚もカゴメマコトに肩入れするならそれも構いません。どちらにせよ、ここで。私に! 心の中ではなく! 自分の言葉で! 宣言してください!」




