記憶は消える いつもの事だ
「あら、友人様。お目覚めでございますか?」
「…………珍しいな、朝、居るなんて」
何か記憶を消されたような気もするが、それはいつもの事だ。ただ消されたような気がする時点で普段とは違う気がする。いつもは生徒手帳を確認しない事には些細な違和感にも気づけないのだから。
いや、違うか。殆どの場合、起きる頃には台所で家事をしている。それがまるで病気の介護でもしていたかのようにベッドの上で正座をし、首に手を当てていたのだ。この光景を見て俺は違和感を抱いたのだろう。
「家事は別の私にさせていますわ。朝食の心配は要りませんわよ?」
「……何かあったのか?」
「理由が必要でして? 友人様の傍に居たいだけですのにっ」
「…………お、驚かす気か?」
カゴメの脅かし方はハッキリ言って幼稚だが、ここまで真正面から突っ込んでくる事はなかったので存外怯んでしまう。それ自体がある種別の驚かしになっていたようで彼女は慎ましく微笑んだ。
「ククク、私は何も準備しておりませんのにもう驚いてくださいますのねっ。友人様、身構え過ぎですわ。私が友人様を驚かしながら起こすとでも?」
「いや、するだろ。寝起きとか一番驚きやすいし」
「まあ酷い!」
何も変わらない。違和感とやらは寝起き特有のボケだったのだろう。景色に変化はないし、カゴメもカゴメのままだ。台所に立たないなら着物は相変わらず開けているし、俺にI字の谷間を凝視されても気にも留めていない(どころか喜んでいる節もある)。
全く、直感の鋭い奴を気取るなんて馬鹿らしい。今日という日は何の起伏もない素晴らしい一日なのに。
「ところで友人様?」
「ん?」
「……何か、忘れておりませんか?」
「…………何言ってんだ? いつも消してるのはお前なのに。消しちゃいけない記憶を消したってか?」
言いつつ自分の記憶を掘り起こしてみる。新聞部部長については覚えているし、祓女の事も勿論覚えている。後はクラスメイトでお調子者のカノウケイタとか、流行りもの大好きなヒメカワシイコとか、カゴメのメイクをやたら真似しようとするシシバアイとか、カゴメの適当発言を真に受けて毎日違うタイプの男になろうとするカシワエイジとか―――
別に何の記憶も消えていない。
「……俺は記憶を消す手順なんて知らないけど、何も消えてないぞ。昨日の晩御飯とか、そういうどうでもいい記憶を消したんじゃないか?」
「そうでしたか。でしたら良いのです、こう見ても私、友人様のプライベートには配慮していますのよ? 無関係な記憶を消してしまったらどうしようかと思っておりましたわ♪」
「お前でもミスに怯えるんだな」
「友人様の記憶でございますからねっ」
自称お化けの人間らしい所を見たような気もする。寝起きにこれが見られたならお得かもしれない。しかし自分の失敗を気にして直接俺に聞くなんて、中々心配性なところがある。
手を引かれ台所に向かうと、JCカゴメが既に朝食の準備を済ませていた。自分を分裂させた時は何事かと思ったが、こういう時は実に便利だな、と。
「友人、おはよ」
「自分には挨拶しないのか?」
「カゴメ、おはよ」
「自分自身に挨拶なんておかしな気分ですわねっ。こんな奇妙な光景、驚かない方が無理ですわよね?」
「驚く方が無理だよ! 今初めて分裂したならまだしも……な」
「友人はもっと直接驚かせた方が反応いいもんね。あ、時計見たら分かるけどちょっと遅かったから早く食べないと遅刻するよ」
「そっちの方が驚きだわ! カゴメ、お前起こす時間を……」
「申し訳ございません。色々……ありまして」
「…………まあいいや! たまには焦ってもいいだろ!」
朝食を慌てて済ませると、二人がかりで用意してもらった制服に着替え、風の様に家を飛び出した。優雅な朝とは無縁になってしまったが急いで向かえば遅刻の心配はない。更に言えばカゴメを置いてきてしまったがまあ大丈夫だろう。置き去りにした理由についても、着物から制服に着替えるのをのんびり眺めている余裕がないと思っただけだ。
そう、何も変わらない。
遅刻しても、単なるトラブルだ。
「んだよお前が遅刻したらジュース貰う約束だってのにさー! くんなよ!」
「甘い甘い。遅刻なんてしたら怒られるからな、せっかくテストの点数が良いのに平常点で成績下げるとシャバいの何の。逆に賭けるべきだったな」
「ねえなぎしろ~今日のカゴメ様ってどんなメイクしてた? ねえねえ!」
「知らないよ! 俺メイクとか詳しくないし。本人に聞け!」
クラスメイトとの他愛もない会話、授業の直前或いは休み時間……いたって円満ではないか。今までもそうだったしこれからもその筈だ、多少関係性が変化する事はあるだろうが、それが理由ではないだろう―――この頭のチクチクとした感触は。
「カゴメちゃーん。あれ見た? テレビで特集されてたプチ整形。マジエグくね? あれ!」
「うーん、人間様は整形なさらずともお綺麗ですわよ」
「嫌味言われた~ふえーん! カゴメちゃんはこの一重が好きだっての!?」
「人間様! 性愛の要は顔ではございませんわよ!」
「全部嫌味! 嫌味すぎんですけど~!」
カゴメの方もいつも通りだ。昨日も一昨日も似たような景色を見た、女友達とカゴメが話す光景は特段珍しくもないし、向こうも自称お化けという”ネタ”を受け入れた上で普通に友達としてじゃれている。
「なあカノウ。その……なんか違和感とかないか?」
「は? カゴメちゃんはいつも変だろ。でも可愛いからオッケー!」
「いや、そういうんじゃなくて……なんか、うーん」
「俺がカゴメちゃんの彼氏じゃない事はおかしいよな! 普通に毎日キスするまであんのに! つーかヤ」
「ああもういいや。お前に聞かねえ。それ以上喋るな、可能性とかないから」
「ねえねえ。それってアレじゃない? カゴメ様のメイクが違うからおかしいっていう」
「お前には最初から聞いてないよ。メイクなんて毎日違うだろ」
「メイクニワカ?」
「うっせー、本当に詳しくねえんだから仕方ないだろ」
現実のあらゆる情報と記憶が正しいと言っている。おかしな点は何もないからこれ以上疑うなと告げている。勿論その通りで、多少難癖つけたところでこの完璧は揺るがない。
なのに何かが、まるで思考を一色に塗り潰している。
違うという。違うという。違うという。違うという。違うという。違うという。違うという。違うという。違うという。違う。違う。違う。違う。違う。
何も忘れていない? 別に間違ってはいないだろう。思い出せば幾らでも記憶が出てくる。これで何か忘れていてもそれはきっとどうでもいい記憶だ。ふとその時、重要な記憶は生徒手帳に記載している事を思い出した。そうだ、大切な人物について記憶を消されてもいいように名前を書いているのだ。経験は伴わないが名前だけでも覚えていたら日常生活で支障は来さないと。
そう思って手帳を開く。
名前が、ない。
祓女と、部長以外は何処にも。覚えている筈のない名前を憶えていて、生徒手帳にはない。何故?
じゃあ、俺が覚えている理由は?
何を、記憶した?




