視界全滅
ハシキに何をしても構わない。殺されそうになっても自分が守るから。
あまりにも幽霊側とは思えない発言だがカゴメは悪戯以外で俺を蔑ろにするような真似はしない。守ると言ったらきっちり守ってくれるし、何をしてもいいというのも本人はともかくカゴメは心からそう思っている筈だ。
問題は本来彼を呼ぶ用事とはカゴメの影響を受けた人間の悪戯で学生生活に支障を来した時で、現状俺の周囲にそんな人間はいないという事。ならば誰かに悪戯をさせればいいのだが……あまり信用出来ないのが本音だ。
『ハシキはああ言いましたから殺されるような事にはなりませんわよ。どうしても気になるなら試してみるしかありませんわね』
なんてカゴメは言ってくれたが、しゃっくりが止まらなくなった時じゃあるまいし俺に悪戯をしてくれなんて頼める仲の人間がまず居ない。記憶を毎夜消されているとどうしても生活する上で重要な人物を除けば名前すら碌に覚えられない始末だ。クラスメイトがそれを知らなくとも心理的に距離感が生まれてしまうのはある意味仕方ない。
―――やっぱカゴメが居るからなのか?
SNSを少し調べるだけでカゴメの影響を受けた人間は大勢見つかる。海東の一件をきっかけにぐんと増えたのは間違いないし、クラスの奴等も周りにそういう人間は居ると言う。だがまるで守られているようにその手の人間はやってこない。この過保護な状況は何だろう。
カゴメは別に何もしていないように思えるから、自然の原理的なモノだとは思うのだがこれでは呼び出す口実がない……かといって以下略。人間関係の希薄さに最近俺も困ってきた。
「…………」
ふとした好奇心から授業中、机の角に指の隙間を合わせて三秒後に閉じる。まずはこの呼び方で本当に彼がやってくるのかを確かめた方がいいか。そういえば一度も呼んでいないし。
「…………あれ」
「凪白ーどうしたー? 忘れ物かー?」
「ああいや、先生に言う程の事じゃ。あ、シャーペン落としただけですはい」
来ない? 角を指の隙間から覗き込んで閉じれば来るのではなかったか、それとも話を聞き間違えた? あまりにも呼ぶ気が起きなかったから手順を間違えて記憶した可能性は否めない。
まあそれならそれで改めて聞けばいい。今は動揺して声を出してしまったせいで教科担任に目をつけられてしまったのをやり過ごす方が先決だ。適当にノートを取るフリをしつつ頃合いを見て黒板に目を遣る。
一番前の席に座る女子の後ろ髪から、巨大な眼球が開いていた。
「………ッ!」
今度こそ声は抑えたが、問題はその眼球が俺以外にも見えている事だろう。ノートを取るのをやめて教室を見ていた男子の一人は恐らく俺と同じ光景を見ている。目が合って、互いに『見えてはいけない物』を見たと確信する。
「うわあああ!?」
また別の男子が、今度は天井を見て声を上げた。誰もが彼の指先に視線を誘導されて天井を見上げると、後ろ髪に現れた眼球と同じ眼球が監視カメラのようにぶら下がってぎょろぎょろ動いている。
「なんだ!?」
「やだあああ!」
「皆さん静かに! 落ち着いて!」
「うわああああ! 俺の、俺の腕が! あああああああああ!」
目は無数に増えて行く。机に、窓に、チョークに、黒板に。錯乱している声の主の右腕に、或いは床一面に。足の踏み場もなければ背中の置き所もない空間にクラスメイト達は一斉に錯乱。教科担任も事態の収拾を止め、半狂乱になって教室から飛び出した。
残ったのは俺と、カゴメと。
「ほう? カゴメの些細な脅かしにも驚くくらいだ、移動しないとは意外だったな」
目玉が頭部のハシキのみ。彼はいつの間にか、ひっくり返った教壇の上に座っていた。
「答えろ、何故吾輩を呼んだ。何処かに貴様の生活を害する要素があったのか?」
「まだ一度も呼んだことなかったから……た、確かめたくて。それに、お前は勘違いしてるぞ」
「ほう」
「驚いてないんじゃない。俺が驚くよりも何倍も周りが驚いただけだ」
だから驚く暇がなかったと言った方が正しい。条件反射の驚きが周囲の狂乱にかき消されてかえって冷静……いや、どんなリアクションをすればいいか分からなくなったのだ。そしたら今度、この場を立ち去る選択肢もなくなってしまった。
「ハシキはセンスが悪いですわね。 友人様はただ興味本位で貴方を呼んだだけですのに、学友の皆様を発狂させる意味はありましたの?」
「吾輩はもっと人気のない場所で呼ばれるのを想定していた。衆人環視の中で呼んだのはそちらだ、よって人気のない状態を作るべきだと判断したまで。落ち度はないぞ」
「ああ、これだから気の使えない幽霊は下品でございますわね。自分の身体に見知らぬ目玉が生えてまともでいられる人間様など存在しませんことよ。あの人間様はもう二度と正気ではいられないでしょうね」
「殺してはいない。もう引っ込めた」
「怖がらせるまでは素晴らしい手際でしたのに、残念ですわよ。貴方のお陰で友人様の日常が壊れてしまいますわね」
「な、なあおい。ちょっと俺を置き去りにしないでくれ」
何やら剣呑な雰囲気になってしまったのが意外だった。俺が責められる状況までは分かっていたがカゴメはなにやら面白くなさそうだ。人の恐怖こそ餌ではなかったのか。
「悪いのは呼んだ俺なんだ。ハシキは飽くまで仕事を果たしただけで、そこに落ち度はないんじゃないか?」
「吾輩の肩を持つとは……」
「友人様、それは確かにそうなのですが、友人様が同じように逃げ出さなかったせいでここに戻ってきた人間様の目線はどのように変わられるとお思いですか?」
「―――あっ」
立ち上がって逃げようとした時には手遅れだった。パトカーのサイレンの音、騒ぎを聞きつけてやってきた他クラスの人間と教師達。彼の言ったように眼球は全て引っ込められたが空の教室にはまるで事態を知らないか全ての黒幕だったように俺とカゴメがぽつんと座っている。
「困りましたわね。変数が入り込んでしまいましたわ」
午後の授業での事件だったのは幸いだったが、不幸中の幸いとするなら幸いの中にも不幸はあった。授業内容をそのままこっそり録画しようとしていた奴の映像にハシキの起こした怪奇現象が映りこんでしまったせいで学校中がその存在に震撼。学校は即日の対応を約束し、今日はそのまま強制下校となった。
そこまではまだいいが、映像という物的証拠のせいで俺は一部で怪物を操っているのではというあらぬ噂を流されたのだ。カゴメと俺だけが逃げ出していなかった事は大勢に目撃されているし、逃げ出した内の一人は俺が眼球を認識していたと証言してしまった。そう、あの男子だ。
「………………」
「てめえ、舐めてんじゃねえぞこの野郎。ふざけやがって……」
「きめえと思ってたんだよ! 死ね!」
「おい手伝え。早くやって帰ろうぜ」
ハシキの悪戯が少なくともうちの学年の正気度を著しく下げたのは間違いない。海東の心が破綻してしまった様に、人々は安心を得る為なら倫理や道徳を捨ててでも極端な行動に走る。それが最善策に違いないと思い込んだのなら猶更。
「………………」
体が重い。冷たい。その感覚はどんどん積み重なっていく。何故自分にまだ意識があるのかも分からない。そもそも、何故カゴメには誰も敵意を向けないのかも分からなかった。あの場には俺以外に彼女が居たのに。誰も……普段はあんなにも気にかけているのに。
「先生も見逃してくれるって言ってたしな。とっとと終わらせて帰ろう。警察に関わんのとか嫌だし」
「人を埋めるのってこんな気持ちなんだな…………」
まあ、もう俺には関係のない話か。
金属バットで全身を殴打されてあちこち折れた人体に生存の余地はない。これから俺は死んで、埋められて……それで終わり?
凄く、嫌だ。
今まで流されるように生きてきて、記憶を消されるのも承知で文字通り快楽漬けの生活をしてきて―――最近ようやく、自分の意思でそれをやめられるかもしれない機械を得たのに。終わり?
仕方ないなんて俺は思わない。しかもこんな不意打ちで、一方的に。釈明の余地もなく殺される?
嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
死にたくない!




