ル……モラル違反?
「さて、友人様? 私の言いたいことは分かりますわね?」
「…………結構、掃除は頑張ったんだけどな」
「誰が友人様の制服を洗濯しているか分かっていなかったようですわね? 外では逃げられる可能性もありましたが、この家では……逃がしませんわよ?」
さて、これを命の危険と言えばいいのだろうか。緊張感は感じているがそれは隠し事がバレた子供程度の気まずさであり、これから自分が死ぬとは到底思えない。俺も祓女みたいに苦しんでいるなら話は別だが、ただ正座をさせられて足が痺れているだけだ。
と言っても原因はその祓女にある。彼女を保健室に運ぶにあたって背中に嘔吐された。それ自体は俺も気にしていないが、カゴメに目をつけられたらきっと碌な目に遭わないと思って立ち去る前に出来るだけ掃除をした。少なくとも特有の饐えた臭いがなくなればワンチャンスバレないと思っていたが考えが甘かった。
「このニオイは……嘔吐ですわね。それも友人様自身のニオイではございません」
「人間がどうやって自分の背中に吐くんだよ」
「私でもございません、幽霊は吐きませんから」
導き出される結論は一つ…………一つ?
別にそこまで絞り込まれていない様に思うが、カゴメが指先を一つ立てて俺を見つめているからそんな風に解釈した。これで本当に絞り込まれていたらちょっと怖い……カゴメの脅かしで久しぶりに怖気が奔る可能性も───
「友人様、まさか私を差し置いて悪戯を受けていらっしゃったのですね!?」
「…………」
まあ、絞り込めていないのならそういう発想にもなるかもしれないが、俺がいまいち命の危険を感じられなかった理由は判明した。カゴメは最強らしいが、その最強がこんな鈍い考察しか出せないんだったらそりゃあ俺も呑気で間抜けな奴になる。
「あー……まあ、当たらずとも遠からずだけど」
「駄目ですわよ! 友人様は私の悪戯だけ受ければいいのです! それをこんな……体に残るような悪戯をしたらもう私には驚かなくなってしまったのでは?」
「それはビビりを過大評価しすぎだな。慣れるとかないから」
「本当でございますかぁ?」
「流石に予告されたら驚けないぞ」
「それも……本当でございますかぁ? 本当の、本当に?」
「…………」
そう言われると全く自信がない。実は既に悪戯を仕込んでいるのかと思い直し周囲を確認してみるも……分からない。誰にも分からないような仕込みはしない主義だ、ぱっと見でないならカゴメは何もしていないと考える方が自然。遂に発言の意図が分からず正面に向き直ると、いつの間にか彼女の顔が文字通り目と鼻の先まで迫っていた。
「うわああああああああああああ!?」
正座から後方に倒れる事も出来ない(俺はそこまで体が柔らかくない)、限界まで体を逸らして逃げようとする顔を見、自称お化けは満足そうに奇怪な笑い声をあげた。
「ウェヒャヒャヒャヒャヒャ! 驚いてしまわれましたね! 友人様ったら、ご自身を高く見積もりすぎでございますわよぉ♪ 今にも私が驚かそうと構えている時に自分は何をされても大丈夫だと言わんばかりの態度を見せられたらついつい手が出てしまうではありませんかぁ!」
「お、お前……くそ、こんな古典的な手に引っかかるなんて!」
向こうにUFOがあるとかとりあえず振り向かせて指を置くとかその手の脅かしと同じタイプだ。今時あんなものに引っかかる奴なんて居ないし引っかかっても『だから何?』という感想しか抱けない筈だったが本気で驚いてしまった。
普段から演技をしているお陰で幼稚な脅かしが有効だと本気で信じてくれているのは知っているし、今回も来るとすればその類だと思っていた。思っていても、驚いた……演技ではない。
「あー……やはり恐怖は質に限りますわね。友人様はいつも素晴らしい恐怖を私に与えて下さいますから、言う事などございません。ククククク…………クヒ」
「お前……なんか、今日は機嫌がいいのか? いや、悪いのか? そんな大笑いなんてするような性格だったっけ。どうした?」
「人間様に悪意がないのは理解いたしますが、私を友人様と切り離すなんて責め苦を味わえばこうもなりましょう。それに……この悪戯をされた人間様は女性でいらっしゃいますわね? 匂いで分かりますわぁ」
「吐瀉物で性別を判断出来るのか? 女性にしか食べられない食べ物があると思えないけど」
「友人様も人間様には変わりありませんから、どのような交友関係を持とうと私は口を挟みませんわぁ。しかしこの女性は……気を付けた方がよろしくてよ?」
気をつけろ。
カゴメが俺に警告なんて珍しい。現人神介に対してそんな事は一言も言わなかったのに。
「……具体的に、何に気を付ける?」
「そうですわねぇ。あまり関わり合いにならない方が良いですわ。あまりよろしくない気配を感じております、神明な……お化けとは相容れない聖なる気配を。勿論、友人様に何かあれば私が守ってあげられますが、危ない気配にはもとより近づくべきではございませんわ。楽しく健全な悪戯を行えないばかりか―――私達の戯れにも決着をつけられませんからぁ♪」
「それこそハシキに解決してもらうって手段はないのか?」
「あれは友人様にそこまで肩入れしておりませんわよ? 楽しくもならない殺し合いに乗ってくれるとは思えませんわ」
◇
「おい、祓女。てめえ大丈夫か?」
「はい、先生。病院への事情説明をありがとうございました」
祓女が騒ぎを収められたのはひとえにこの国一番の霊能力者であるわが師のお陰だ。見計らったようなタイミングで戻ってきて手を貸してくれた。お陰で事態はニュースに取り扱われる事なく、ちょっとした校内のトラブルとして片づけられたのである。
「礼を言うなら儂じゃねえだろ。あのガキ……凪白悠だったか? あの野郎どういうつもりだ? 儂の忠告は聞かねえ癖にてめえは助けんのかよ」
「対処法を……知っているみたいでしたね。半信半疑のようではありましたが」
「そりゃあのカゴメマコトっつうバケモンに聞いてたんだろ。悪霊の類が人間に首ったけなんて話ぁ聞いた事ねえがな……っと、もう分かんだろ。儂も色々資料を当たったが”カゴメマコト”なんて奴ぁ該当しなかった。ついでに、霊感の有無にかかわらず目視出来る幽霊なんてのも居ねえ」
「先生、学校に通ってるんですから霊感とかじゃなくて市役所や警察を当たった方が」
「無理だ。”カゴメマコト”の正体に関連するような情報は何でか秘匿されやがる。そいつが”カゴメ”を誰か知らなくてもな」
現人神介はもう今年で還暦を迎えるような老人ではあるが、これまでその膨大な霊力によりどんな仕事もささっと片付け健康的な生活を続けてきた人間だ。一時は住み込みの弟子として扱われていた祓女にはそれが良く分かっている。分かっているからこそ、目にクマを浮かべる師の現状を憂うしかなかった。
「霊っつうのは死人だ。死人は生者に干渉出来ねえ。生きてるってだけですげえパワーが人間にはあんだよ。それをまるで、オート操作で手軽に情報を隠すなんざいい度胸してやがる。ますます正体を暴かなきゃいけなくなったな」
「その事ですけど先生。”カゴメマコト”に手を付ける前に私に邪視を当てた存在に対処した方が良いのでは? 私が心を読もうにも、ハシキが居る限り妨害されてしまいます」
「ああ、そいつな。凪白悠が存在を教えてくれて助かるぜ、てめえの魂を霊視した時に覚えたオーラがありゃ……こっちで位置を割り出せる。引き続きそっちはあの命知らずの馬鹿を見守ってやれ。そんで…………出来ればもっと仲良くなりやがれ」
「……はい?」
「儂は第一印象が良くなかった、警戒されてる。それに”カゴメマコト”も儂の存在には気づいてんじゃねえか? 次に時間を止めて接触しようにも無理やり時間を動かされたらどうしようもねえからな、学校で生徒として仲良くしてやれ」
仲良くなんて口で言うのは簡単だが、祓女には分かっていた。凪白悠という男性は記憶を毎夜消されているせいで”カゴメマコト”以外に愛着を持てないでいる。心を閉ざしている訳でもないが、絆や愛や友情といった感情は累積だ。一日でリセットがかかっていたら何をしたってキリがない。
「……方法はあります。けど、私に出来るでしょうか」
「祓女千代子。てめえは俺の一番弟子だ。それくらいやってもらわなきゃ、国一番は譲れねえな」




