異常怪異:不浄化不
「うぅ…………あ…………くぅ」
「横になるか? それとも座った方が?」
「……ソファに、すわら…………床に、何でもいいので楕円を……大きな眼を描いて…………ぐ」
「分かった、これ以上喋るな。とりあえず今の指示を終わらせる」
「ちょ、何なの?」
保健室の先生が居合わせたのは運が悪いというべきか本来居て当然だからこれを不運と嘆くのは都合が良すぎるというべきか。事情を説明している暇もないので先生からの糾弾を務めて無視しながら床に大きな眼を描いていく。筆記具は壁にある小さな黒板に使われるチョークがあった。これなら消すのも楽だし、床の材質に対して描きやすい。
今の俺に”眼”と言われるとハシキの頭部が想起されるが、画力はないのでそこまで立体的には描けない。それっぽく平面の眼っぽい物体を描くのが精一杯で、描き終わると祓女はその中心に倒れるように転がり込んだ。
「祓女さん!?」
「…………視線を……逸らす……モノを、下さい」
「は?」
「私から、視線を逸らす……強烈な、何か…………」
「具体的に頼む」
「私を見つめるこの視線を逸らす物体を下さい! このままだと、身動きが…… 何でもいいので!」
視線を逸らす?
俺達が逸らしたところで何の意味もないのだろうが、しかしこの空間に存在しない視線を逸らす方法なんて人間の俺には到底思いつけない。考え方を変えよう、これはオカルトの話だ。俺はその手のジャンルに全く詳しくないがカゴメと生活してきてそのルールを順守してきて思った事が一つある。
科学は再現性を重視するがオカルトは手順を重視する。例えば”こっくりさん”に類似した存在を呼び出すのに地方或いは国単位で手順は違うが、結局呼び出すのは聞いた事を答えてくれる存在だ。何故かと言われたら大事なのは”こっくりさん”の存在ではなく降霊術というジャンルの方であり、求められているのは”聞いた事を答えてくれる幽霊”だ。
最終的な結果が似通うだけで手順はそれっぽければいい。あまり厳密でないのはカゴメとの間で守られるルールからも分かる。よく俺は、カゴメ本人が居ない上で抵触しなさそうだと勝手に判断した範囲で破っているだろう。
今も破っているのは―――”カゴメマコトを好きになるな”。言うまでもなく大好きだが、表立って発言をせず、どんな形でも好きを表す状態を否定する事でルールを守っている。驚かないといけないルールも実際驚いてない時はフリで貫き通している。つまり中身は重要じゃない。科学は水を入れろと言われたら分量やどういう状態の水を使用したか明確にしないといけない場合が多いが、オカルトは水さえ入れればいい、大事なのは水を入れる場所の方だ。お風呂に水を張・洗面器に水・コップに水。
さて、祓女を蝕む視線を逸らす方法はどうする?
祓女本人には聞けない。俺が描いた適当な眼の中に入ったら少しはマシになったようだがそれでも身動きは取れずまともな会話も難しい状態だ。よくよく見るとソックスの下から体の上部に向かって血管が少しずつ浮いてきている。保健室の先生が身動きを取れずに居るのはその奇怪な現象に気を取られているからだった。科学的にはあり得ない変化なのだろう。
素人の俺に思いつく方法が有効になるかは分からないが、やるだけやってみるしかない。
「先生、手伝ってください。この保健室に存在する角を全部塞ぐので」
「は、はい?」
「角! 天井、壁、床、ベッド、窓、鉛筆、とにかく全部! 祓女の命が危ないかもしれないから!」
「こ、こういう時は病院か親御さんに連絡でしょ!? 何言ってるの貴方! そもそもこれは何!? 落書きなんかして!」
「ああ、じゃあもうそれでいいから保健室から出て行ってもらえますか! 俺がやるので!」
当てにしたのは間違いだったようだ。でも仕方ない、ここは幽霊が通う専門学校でも何でもないし、夜に墓場で運動会もしない。先生を放って素早くその辺の物を使って角をせきとめる。鉛筆のような角はひとまとめにして祓女への視線を切るように収納、動かせない角はテープや包帯で覆って丸くする。
「も、もう大丈夫……です。もう……後は、自分で」
角という角を半分程塞いだところで喋るのもやっとだった少女がスッと立ち上がった。目の円陣を消そうとした先生を止めるくらいには元気が戻っているようだ。足を見ると、浮き上がっていた血管が引っ込んでいる。あってもソックスの下に隠れているから俺には見えない。
祓女は胸元からミミズののたくった字が書かれた札を一枚取り出すと自分の額に貼り付け、ぶつぶつと呪文を唱えた。唱えつつポケットからインクの瓶を取り出すと指を筆に俺の描いた適当な眼の円陣に模様をつけ足していく。全て、言語っぽくは見えた。
「―――不浄を見て 心に見ず 不浄を聞きて 心に聞かず 不浄を嗅ぎて 心に嗅がず 不浄を味ひて 心に味はず 不浄を触れて 心に触れず 不浄を思ひて 心に思はず―――」
「……角の閉鎖はもう大丈夫か? なら戻すぞ」
角からハシキが見ているという想定から物理的に封鎖してみたが一時しのぎとしては及第点だったらしい。あの後、大事になる一歩手前で祓女が後処理に入ってくれたお陰で学校は騒がしくない。
「友人様ぁ? 今日はあまり一緒に居られなくて寂しい思いをしましたわ。いつも通り帰宅しませんこと?」
「悪戯を抑えきれない筈が今日は一回もされた記憶がない。今日は俺以外に悪戯したのか?」
「人間様と仲良くするのも私の役目でございますわよ。友人様が居れば私は他の全てを捨てられますがそれではこの素敵な学生という立場も失ってしまいますから」
「悪戯してないのか?」
「女性様はノリが良うございますから、友人様の次くらいには楽しめましたわ♪ つまるところ、物足りないのでございますが……」
「成程な、驚かせるのは好きにしたらいいけど、出来れば寝る前とかやめてくれよな」
「そのような事はいたしませんわ。友人様の生活に支障が出てしまいますから! うーん、しかしそのような牽制をされると脅かし辛いですわね。今しがたやろうと思っていましたのに!」
「牽制のつもりもなかったんだが? ……あれか、事前にハードルが上がったみたいな」
それはあまり良い報告ではない。海東は簡単な脅かしにも反応しなかったせいでどんどん手段が過激になっていったのだ。俺も精々そうならないように注意しないといけない。低次元なところで彼女のセンスを押し留めなければ命にかかわる。
「―――ちょっと気になったんだけどさ、ハシキに脅かしを仕掛けたりはしないのか?」
「あれは恐怖を知りませんわよ? だから私にとって餌にはなりえません。ばあ!」
「うわあああああ! 何だよ!」
「ククカカ、友人様は臆病でいらっしゃいますからこの程度でも驚いてくださいますが、ハシキには何をしても動じて下さりません。そう例えば……殺したとしても」
「……殺しはしないんじゃなかったのか?」
「殺したらそれでお終いなのがつまらないだけで、お化けは元々死んでいますのよ? ですから殺したところで問題ないのでございますわ。理解しまして?」
生者には理解の難しい話だ。殺害と死は直線の因果で繋がっている。当たり前の話だが殺したから死ぬのだ。殺して死なないなら”殺す”とはなんだ? カゴメは何処からか持ってきた骨の扇子を広げると、顔を半分隠し左目だけをこちらに覗かせた。
「うわ、キモいなそれ! いつそんなの作ったんだよ!」
「これはハシキからの餞別です♪ 不気味で素晴らしいですわねっ」
「いよいよ自称お化けも認められる頃合いかもな……ところでその……ちょっとした疑問なんだがお化け同士で殺し合いするならお前はどれくらい強いんだ?」
「…………それは私の正体をお聞きしているのですか?」
「違うよ! お前がお化けの中で凄く弱かったら、例えばハシキがお前を脅かす為に俺をどうにかするかもしれないだろ。別に……お前と友達なだけで俺は普通の人間だからさ。殺されるとなったら抵抗も出来ない」
「ああ! そのような心配をなさるなんて友人様はとんだチキンでございますわね! それは所謂杞憂と呼ばれる類の心配でございますわよ?」
扇子で顔の大部分は隠したまま、その左目だけがこちらを見つめて離れない。
「私、最強でございますので」




