転生前
彼女はどこまでも続く草原の中にひとつだけある黒い岩に座って、足をぶらぶらと揺らしていた。
ほっそりとしたふくらはぎ、妙な色気を醸し出している足首のラインから目をそらし、私は彼女のお腹あたりに視線を移した。白い、真っ白な真珠のような服が黄金色の雲に照り、夕焼けの空がそこにあるような美しさだった。
黒い髪の毛が、胸元辺りまで伸びている。
「ここ、綺麗でしょ」
彼女の揺れていた足が静止して、笑いを含んだ声で話しかけられる。
「はい、どこなんです?」
「ここ? そっか。ここは、私の玩具箱だよ。綺麗な一番綺麗な。昔はもっと綺麗だった」
懐かしさを含む声で言われる。この子の声はどことなく不思議な質感を持っている。
「そうですか。それで貴方は誰なんです?」
彼女の身体が揺れた。私は慎重に彼女の顔を見ないように気をつけて視線を上げた。
指が空を指差している。ピンク色の爪が妙に違和感を醸し出している。
「空?」
「じゃあ本題に入ろっか。時間の関係もあるから」
私の疑問を無視して、彼女は唐突に話し出した。
私は少しだけため息を吐きたい気分に襲われた。なんだかさっきから質問ばかりしていることに気づいた。質問するのは結構疲れる。
「君の地獄行きはなしになったよ」
「本当ですか?」
信じられなくて、私は質問する。
「ほんとほんと」
やけに軽い口調で返事が返ってくる。
ほんとうなんだろうか? 私の疑問に満ちた顔に向こうが沈黙する。
「ほんとなのに」
「じゃあ何でですか?」
「地獄行きがなしになったのは複雑な『こちら』側の事情でね。さっきの人との会話は忘れてほしいな。ほんと、余計なことだったから」
「その前にもうひとつ、質問良いですか?」
「どうぞ」
「さっきの人の話が本当だとして、私を許して、地獄に行かせなくてもいいんですか? それになぜ私は許して貰えたんですか?」
「ほんとに余計なことを言ってくれたね」
苛立たしげな口調でそう言った彼女。私じゃなく閻魔様? に言ったらしかった。
「うん、許すっていうのとは少し違うかな。元々君は悪くないから。君を罰しようと考えているのが間違ってる。まあ責任は取ってもらわなくちゃいけないんだけど」
苦笑交じりの言葉。責任? 私の苦手な言葉が出てきた。私はなぜか責任という言葉の響きが苦手だ。
私の変な顔を見て、彼女は笑う。
「それぐらいはしてもらわないと。君が許された理由っていうのはね、少しだけ君がえこ贔屓されてたっていうのが、あったからかな。君に説明した人が言ったように、この地球では多くの場合分岐点での重要人物は決まっているんだ。違う世界では人間の行動に制限がかかったりしているんだけど、この世界はかなり緩くて、重要人物に手を出されないように周りの人間が選別されているぐらいで。
君が生まれた段階では君は桜の踏み台になるはずだったんだよ。君の両親は君だけを可愛がる予定だったし。あの事件だって桜のために用意されたものだった。透のことだって、君が当て馬になってくれるはずだったんだけど、透君の本命が君になっちゃったからね。なぜか全部上手くかなかった。
困りに困った『世界』は君を殺そうとした。でも途中から突然規則を入れることは出来ないんだ。最低生まれる前ぐらいにシナリオを挿入していないと駄目でね。だからね無茶をした。絶対にやっちゃいけないこと、君の感情を一時的に操作したんだ。そんなことどんな『世界』でもタブーなのに。君は自分のせいでもないことを責められた挙句、勝手な都合で殺された」
「ヒドイ話ですね」
「ははっ! そうだね。ひどい話だ。でも普通なら、君は放置されるはずだった。あのまま地獄に行く予定だったんだ。ただ、ある『世界』がそれを見咎めたんだ。
こういうのは見つけられなくちゃスルーされるのが基本なんだけど、見つけられたらそれ相応の罰を受けなくちゃいけない。しかもその『世界』が大分君を贔屓にしていたらしくて、怒りに怒って、僕が君を救いに使わされたってわけなんだ」
「分かりました。もう終わったことですからいいです」
正直なところ呆れた。見つからなかったら、不正を犯しても咎められない。贔屓。何だそれって思う。まるで子供じゃないかと。ただこの人たちはそういう生き物なんだなって言うのは見ただけで分かる。
結局どうでもいいのだ。人間のことも世界のことも。私が怒ってもこの子は『ごめんごめん』と笑いながら言うだろう。勝手な都合で殺された私のことなんか一ミリたりとも可哀相だとは思っていないだろう。命が軽すぎる。
「それで、これからどうする? 選択肢はほとんどないんだけど」
「何があるんですか?」
「う~んまずは生まれ変わり。これは君がこの世界から放逐されたから、無理かな。それ以前にね、君がまだ寿命を生きていないのが問題なんだ。このままだったら君の魂は死ねない。だからその魂のまま、どこに行くのかが問題。
だから提案なんだけど別の世界にその魂のまま、これは記憶があるってことなんだけど、転生するっていうのはどうかな?」
沈黙する私に、彼女は笑う。
「言ってしまえば、これしか選択肢はない」
眉を寄せる。転生? 嫌に決まってる。別の世界なんて、誰もいない一人きりの、価値観も会わないだろう世界になんて行きたくない。記憶があるのが余計辛いだろうというのは予測できる。
「それは……」
「大丈夫。その世界ではかなり良い条件をつけてあげる。それにその世界も大分緩いはずだし、そんなあわないって事もないよ。地球とも微妙に似てるし。まあ姉妹世界だから。
異種族もいるけど、そんな生理的な嫌悪感を持つのはいないよ。ねっ? けってーい。もう時間ないしね。
あと責任のことなんだけど、この世界で君は重要人物を支えなくちゃいけない。
3人だけだからね。そんな難しいことでもないし、まあ支えなくてもお咎めはこないよ。
名目だけみたいなところあるから。
一人目はリヘルト・ドール。この子は、本当は桜と透の間に生まれるはずだった人でね。こっちの世界に生まれことになったんだ。黒髪に赤い目をしてる。
二人目はシーラ。緑色の髪に深緑の目。エルフだから。エルフって言うのは耳が尖っていて、ちょっと顔が獣に似ている。
三人目が、これが重要なんだけど紀伊 夏目と紀伊 春香。この二人は地球の人間なんだけど、この世界に召還されるんだ。この二人が役目を終えたと思ったとき、君が地球に帰るのを手伝ってあげてほしいんだ。二人が壊れてしまう前に。
僕からもお願いするこの二人のことは絶対に返してあげて」
何を言っているんだ。長い言葉を捲し立てる彼女に私は思った。私は混乱していた。明らかに外国人風な名前が出て混乱し、エルフ? なんて馬鹿げたものも出てきた。私が行く世界がまるで分からない。あまりにも怖い。
日本人が召還される? 召還の意味が分からない。やめてあげろと怒鳴りそうになった。いきなり召還されたら普通なら壊れるだろうと。
「どうやって帰すのを手伝えばいいんですか」
掠れた声が出た。私にはこういうしかない。唇をかみ締めたかった。しかしおそらく私の顔は無表情だろう。辛いのは顔に出さないようになぜかなってしまった。
「召還した王国から、逃がしてあげるだけで良いよ。その王国に君も生まれるはずだから」
ふと顔を上げると、深緑の草原が端から暗闇に侵食されていた。
「もうそろそろだね」
少しだけ残念そうな声が聞こえた。まるで私と話すのが楽しかったような。
「幸運を祈る。幸せになってね」
意外と優しい声が私の耳に入り込んだ。まるで労るような。
顔を上げて、彼女の顔を見てやろうかと思った。しかしその瞬間には彼女の姿は掻き消えていた。
ため息をついて、顔を上げる。燦燦とした雲が輝いている。
転生先には何があるのだろうか。月も太陽もあるのだろうか。
私の胸にひどい痛みが走った。
父にも母にも、私の友達たちにも、もう会えないだろう。
そして桜にも。今なら言える。私は桜のことが好きだった。ちょっと憧れてもいただろう。
そして、御堂 透。苦笑してみる。今彼のことを考えたのは意外だった。あまり話した記憶もない。だけど、さっきからなぜか彼の顔がちらつく。
私は彼のことが好きだった。いつ好きになったかはよく分からない。初恋に死んでから気づく。
ずいぶん詩的だ。
私は自分の現状がつらい。だけど、桜と彼がくっつかなかったと聞いて、少しだけ笑みがこぼれた。