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9. 婚約解消同盟

「!」


 望んでいた通りの答えが、辺境伯から返ってくる。


「あなたが悪いというわけではない。俺の個人的な事情だ。――あなたも俺と同じらしいな」


 辺境伯がアデリナの心情を見透かしたような人の悪い笑みを浮かべるので、アデリナはぎくりとしてしまった。


「わ、わかりますか?」

「表情に出ている」


 出さないように努力したつもりだったのに。思わずぺたぺたとアデリナは自分の顔を触ってしまう。そんなアデリナを見て、辺境伯がくすりと笑う。


「事情は追及しないでおこう。お互い様だから」

「それは助かります」


 もちろん、アデリナも辺境伯の事情に首を突っ込むつもりはない。


「お互いの思惑が一致してたようで助かったよ」

「助かったのはこちらも一緒です。――やっぱり破談には一年かかるんでしょうか」


 辺境伯ならもっと詳しい情報を知っているかもしれないと思い尋ねてみる。


「――かかるだろうな。本当は一年以内ならいつでも解消出来るという条件にしたかったんだがせめて一年は努力をするべきだろうと難色を示された。だから、王家を納得させるには最初の条件を守る必要はあると思う。俺はあまり王都にでることがないから、多少不興を買ってもかまわないが、ブラムバーグ公爵家はそうもいかないだろう」

「そうですね」


 兄が身代わりなんて無茶を肯定したのは、王家の不興を買いたくないのが理由だ。


「もしかして、早く王都に戻りたい理由が?」

「そういうわけではありません。この屋敷は居心地もいいですし、最初から一年はこちらで過ごすつもりでいました。――辺境伯様は、どうしてこの婚約に乗り気ではないことを打ち明けてくださったのですか?」

「あなたと向き合えという声が大きくなってきて、無視できなくなったのもある。あなたの思惑も知りたかった。それに、俺はこの縁談を受けるわけにはいかない。だから、早いうちに正直なところを話しておくべきだと思ったんだ。結果、正解だったな」


(誠実な人なのね)


 アデリナを放置しておいたって、望む結果が得られたはずなのに。

 使用人の言うことなんて無視すればいいのだから。


「一応確認するが、あなたもこの婚約は最終的に解消したいということでいいんだよな」

「はい。その通りです」


 アデリナは真剣な顔でうなずいた。


「一年後に婚約は破談にするとして、それまではどうしますか? 私としては放置していただいてもかまわないんですが、それはそれで辺境伯様が大変ですよね」


 キーカも辺境伯にアデリナの良いところを売り込むと言っていたし。

 辺境伯は顎に手をあてて考えるそぶりを見せた。


「難しいところだな。俺が泥をかぶるのはかまわないんだが、周囲にいろいろ言われるこの状況が煩わしいのも確かだ。少しくらいは、あなたと歩み寄る姿勢を見せた方がいいのかもしれない」

「そうですね……。食事で顔を合わせる、くらいはやってみますか?」

「そうだな。できる限り顔を出してみよう。ディオも一緒だったら、会話は彼に主導してもらえばいい。あいつなら喜んでやるだろう」

「はい。それくらいがちょうどいいかもしれないです」

「決まりだな」


 辺境伯がにやりと笑った。たぶん、アデリナも同じような表情をしているはずだ。


「決まりですね」


 定期的に顔を合わせれば、お互い努力はした、という形跡も見せられる。


「じゃあ、一年……もう十一ヶ月もないか。よろしく頼む」

「こちらこそよろしくお願いします。って、なんだか秘密の同盟みたいですね」

「いや、みたいじゃなくて、そのものだろう。婚約解消同盟だ」


 屋敷に来るまでは、どうしたら破談に出来るのか必死になって考えていたけれど、こんなにことがスムーズに運ぶとは思っていなかった。


「じゃあ、私たちは同志ですね」

「ああ。あなたは本当に俺たちの持っていた偏見とは違うひとだな」

「たぶん、私の方が変わってるんです。王都の貴族令嬢は高慢で田舎を馬鹿にする。そういうイメージを持たれるのは理解できますし、否定できないところもあります」


 例えば、姉だったらたぶん辺境伯が思った通りの行動をしていた気がする。


「いや、本当にすまなかった。――前辺境伯夫人とあなたは違う人間だとわかっていたのに」

「え?」


 どうやら、偏見の元となるような人間がいたらしい。それが、前辺境伯夫人。

 前辺境伯夫人といえば、辺境伯の母親にあたる。他人行儀な呼び方だが、どこか嫌悪感がにじんだ声に、アデリナは察した。あまり親子関係が良くないのだろう。


「あのひとは、元は王都出身の『器』の子爵令嬢だった。子どもを産むとさっさと王都に一人戻って、あとはこちらを金づるとしか認識していなかった。もっとも十二年前に離婚が成立したんだが……代替わりした途端、金の無心に来るような人間だ。もちろん、金は銅貨一枚渡さなかったが」


 短い説明だったが、嫌悪するのも当然だ、とアデリナは思った。

 代替わりした途端、息子に金をたかりにくるあたり特に許せない。


「それは……もう仕方ないですね。私も話を聞くだけで腹が立ってきます。偏見を持って当然です」

「ありがとう。だが、あなたの存在で皆も王都の令嬢への印象を変えるだろう」

「そう、ですかね」

「ああ。俺も反省した」


 辺境伯が少しだけしょげているように見えて、アデリナは笑ってしまった。


「認識を改めていただくだけで大丈夫ですよ」

 辺境伯がアデリナを見て、まぶしそうに目を細める。


「――あなたはいつも図書室で過ごしているのか?」

「そうですね。ここの蔵書はとても素晴らしいので! あ。でも、私、意外と引きこもりは向いていなかったので、たまに外出しています。明日もキーカと一緒にカーロ刺繍の工房へ行くんです」

「カーロ刺繍の工房? あなたが?」


 辺境伯は驚いたようだ。辺境伯には外出許可は取っているはずだけれど、行き先までは知らなかったのだろう。


「そうです。その、前にカーロの街で見かけたカーロ刺繍がとてもかわいくて。ほら、これがそのとき店で買ったバッグなんですけど。私がカーロ刺繍を気に入ったことを知ったキーカが誘ってくれたんです。知り合いの工房で刺繍の一日教室があるって」


 アデリナはちょうどソファーの隣に置いてあったバッグを見せた。本の持ち運びに使っている。

 刺繍は得意ではないのだが、せっかくだし、と参加することにしたのだ。初心者向けの簡単な図案だという。それを信じたい。


「そうか。カーロ刺繍はヨーステン地方の伝統刺繍だ。あなたがこのあたりの文化に興味を持ってくれるのはとても嬉しいな」


 辺境伯がふわりと微笑んだ。

 先ほどから何回か笑顔は見ていたけれど、そのどれとも違う柔らかい笑みだった。

 どくん、とアデリナの心臓の鼓動が高鳴る。

 美形はほんの少し微笑むだけでも破壊力がすごい。


「いえ、本当に可愛いと思っただけなので」


 辺境伯の顔を直視できなかったアデリナは早口で言うと前を向いた。

 顔が赤くなっていないといいけれど。

 必死になって自分を落ち着かせていると、辺境伯がゆっくりと立ち上がったのがわかった。


「思わぬ長居をしてしまったようだ。これから、なるべく食事に顔を出すことにするから、そのときはよろしく頼む」

「はい」


 アデリナは、ようやく平静に戻ったはずの顔を辺境伯に向けた。


「じゃあ、俺はこれで。今日はあなたと話せて良かった」

「私もです」


 アデリナも大きくうなずいた。


「このソファー、あなたが気に入る理由もわかるな」


 いたずらっぽく言い残して、辺境伯は図書室を去って行く。


(なんだか第一印象とは全然違う人だった……)


 アデリナはソファーの背もたれに思い切り背中を預ける。

 てっきり表情に乏しい人かと思っていたのだけれど、それはおそらくアデリナのことを警戒していたからなのだろう。実際は気さくなひとだった。ディオが言っていたデレるとはこのことなのだろうか。


(あとは、一年間つつがなく過ごすだけ)


 辺境伯もこの婚約を解消するつもりだという言質も取った。あとは怪しまれない程度に交流をしつつ、一年間過ごせば任務完了だ。

 あと、十ヶ月と少し。きっとあっという間に過ぎるだろう。

 ふいに見せた辺境伯の柔らかい笑顔が脳裏に浮かんで胸がきゅっとしたのは、きっと気のせいだ。


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