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10. 辺境伯側の事情

(たしかに、ディオたちの言う通りだったな)


 辺境伯の執務室。机に向かった黒髪の青年――ライナート・グラーツは、先ほどまで図書室で話をしていた令嬢の姿を思い浮かべる。

 アドリーヌ・ブラムバーグ公爵令嬢。

 落ち着いた金色のまっすぐな髪をハーフアップにして、深緑のドレスを着ていた。大きな瞳は紺色に星をちりばめたような不思議な虹彩をしている。派手な印象はないが、清楚で可愛らしい令嬢。何より目を引いたのは――。


 そこまで考えて、ライナートは首を振る。

 それ以上、あまり深く考えてはいけない気がした。


(とりあえず円満に縁談は解消できそうだ。ただ――予定通りに職場に戻るのは無理になったな。連絡しないと)


 ブラムバーグ公爵令嬢との縁談は、辺境伯家にとって寝耳に水だった。

 本来ならば『器』の令嬢との縁談は歓迎すべきものなのだろう。

 けれど、辺境伯家には喜べない理由があった。

 本物の辺境伯であるオーティスは、一年前に駆け落ちをして行方をくらましているから。


 ヨーステン辺境伯領が治めるヨーステン地方は、ラシーヌ王国とアビオン王国という二つの国境に接している。友好国であるラシーヌ王国はともかく、アビオン王国は昔からヨーステン地方を狙っていて、歴史上、何度か戦を仕掛けられたことがある。それをはねのけてきたのは、ヨーステン辺境伯あってのことだ。そして今、アビオン王国が不穏だ。

 ヨーステン辺境伯の不在は許されない。

 さらに、国防に関わる特家の性質上、当主の不在がばれると、即、お家断絶につながりかねない。

 特家の当主には家ごとに決まった異能を持つ者しかなれない決まりになっているのだ。第三者が異能を確認して国に後継登録されていないと、いくら血のつながった子どもであろうと爵位が継げない。


 なので、オーティスの不在をライナートが必死になってごまかしている。

 それが今の辺境伯の現状だ。


 いわばライナートが辺境伯の身代わりをしているような状態といっていい。


 そのことを知るのは、ライナートの他には、ディオを始めとする一部の関係者のみ。

 幸いなことに、辺境伯が外に出る必要があるのは、砦で結界を張る任務だけだ。ライナートならそれも代行できる。社交の場にでないのも、隣国との緊迫状態を考えれば不自然ではない。

 ヨーステン辺境伯の存在は、辺境伯領の守りの要。不在は許されない。

 砦に協力者を作り辺境伯として結界をはる。それ以外の仕事はライナートが名代という形で表に出ればそれでよかった。


 が、結婚はそうもいかない。

 しかも、ブラムバーグ公爵令嬢は、その血統にもかかわらず性格が原因で王太子妃に選ばれなかった、という噂もある。王都出身の高慢な令嬢は、前辺境伯夫人のゲルデだけで十分だった。辺境伯家が一年間の婚約期間を希望したのは、ゲルデの存在が大きい。いくら『器』でも、ヨーステン地方を愛さない花嫁はいらないという意思表示だ。


 放置すればきっと腹を立てて王都に戻るだろう。そうなれば破談は固い。

 オーティスの不在を知られるよりはマシだ。そう考えて、思い切ってオーティスの名前を名乗ってみたのだが、アドリーヌの行動は予想外のものだった。


 放置するこちらに腹を立てるそぶりも見せず、マイペースに屋敷で過ごす。

 ゲルデと違い、使用人に怒鳴り散らすこともしない。

 ヨーステン地方を田舎だと王都と比べるようなこともしない。

 しかも、使用人たちによく礼を言ってくれるという。

 ゲルデの侍女だった母親に彼女のことを吹き込まれ、警戒しろと言われていたキーカですら、気づいたらアドリーヌのことを受け入れている。


 ライナートはその事実に焦った。ゲルデのような女性だと思い込んで、向こうからきっと願い下げだろうと相手にしてこなかったが、それは間違っていたのかもしれない。


 キーカやディオの言う通りの優しい令嬢だったならば。

 ――結婚出来ないなら出来ないとそれを正直に言うべきだろう。


 もちろん、ライナートが本物の辺境伯でないことは言えないが。

 幸い、彼女は『器』だ。縁談など掃いて捨てるほど来るはず。次の縁談が必要なら早めに動いた方がいい。

 今日、たまたま図書室で邂逅したのを僥倖と、それを実行したのだが――。


(まさか、向こうもこの縁談に乗り気ではなかったとは)


 理由が気になったが、それを追及したら自分も白状しなければならないので耐えた。

 一番考えられるのは、他に恋人がいる、とかだろうか。


「どうしたの? ライナート。難しい顔をしてるけど」


 ノックも無しにディオが部屋に入ってくる。長い付き合いということもあり、本当に遠慮がない。


「堂々と俺の名前を呼ぶな」

「まあいいじゃない。ここには僕ときみしかいないわけだし。――それでライナート。今日もブラムバーグ公爵令嬢のことを放置するの?」


 最近、ディオは口を開けば彼女のことばかりだ。第一印象がよかったらしい。ディオはアドリーヌが来た日から彼女を推している。

 ヨーステン辺境伯の嫁にふさわしい女性だ、と。


「ディオ。俺が彼女と結婚できないのは、お前もよく知っているだろう。俺は辺境伯じゃない。少なくともブラムバーグ公爵令嬢との婚約期間が終わったら、ここを出る」


 もともと辺境伯のフリをするのは一年間の期間限定の約束だった。いつまでもだまし通せるわけがない。婚約話で少し話がずれてしまったけれど。


「僕はきみこそが辺境伯にふさわしいと思っているよ。たとえ、オーティスが見つかったとしてもね」


 表情を固くするライナートに、ディオがため息をついた。


「無理は言わないよ。でも、そろそろ食事の場くらい、顔を出したら?」

「ああ。わかった」

「そうそう――え?」


 ディオが琥珀色の目を大きく見開いている。


「どうしたの? もしかして槍でも降る?」

「失礼だな。ブラムバーグ公爵令嬢との食事をさかんに勧めてきたのはお前だろう」

「そうなんだけどさ。どういう風の吹き回し?」

「根負けだ」


 もちろんディオに、アドリーヌと「一年後に婚約解消をする」という同盟を組んだと言うつもりはない。これはライナートの胸にしまっておくべき事柄だ。


「なるほど。言ってみるものだね。ブラムバーグ公爵令嬢、いい子だよ」


 知っている。ライナートは心の中で小さく呟いた。




 その日の夜、ライナートはディオとともにアドリーヌと食事を取った。

 ついにアドリーヌに歩み寄る姿勢を見せたライナートに、執事が嬉しそうな顔をする。

 誰かと食べる食事がおいしいことを、ライナートは久しぶりに思い出した。


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