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11. デートの約束

 アデリナと辺境伯が婚約解消同盟を組んでから一月。


 同盟以降、辺境伯は宣言通り食事に顔を出すようになった。ディオが一緒で三人のときもあれば、二人きりのときもある。

 当初、お互い義務的に食事だけは共にするという予定だったのだが、それがなかなか難しかったのだ。二人とも変に考えすぎてしまったのか、かえって相手を意識してしまったようで、ディオに辺境伯がアデリナに気があると誤解されてしまったのだ。


『きみ、思春期の少年みたいなことになってるよ』


 主に辺境伯がディオにさんざんからかわれてしまったので、その後図書室で反省会をすることになった。――アデリナは午後は大抵図書室にいるので、辺境伯が図書室を訪ねてくればすぐ会える。出た結論は、お互い自然体で行こう。

 以降、普通に食卓で顔を合わせれば他愛もない話題を話すようになった。


 辺境伯とはある意味同志みたいな関係だ、とアデリナは思う。彼ほど話しやすい男性はいない。このような形で出会ったのでなければ、よい友人関係を築けたのではないかとすら思う。

 それは辺境伯も同じようで、たまにアデリナのいる時間を狙って、図書室を訪ねてきてくれるようになった。

 それらが功を奏したのか、周囲には二人がかなり歩み寄っているように見えるらしい。


 キーカ曰く、辺境伯は使用人に対して「婚約者に対して今までの非礼を謝罪したこと」「これからは少しずつ歩み寄ることにしたこと」を述べたそうだ。

 そのおかげか、使用人たちは二人を見守ることにしたようだ。






 木製の刺繍枠にぴんと張った白い布。慎重に最後の一針を刺す。糸がねじれないように刺すのはなかなか難しいが、なんとかうまくいった。

 刺繍枠をひっくり返し、裏に渡った糸に針を何度かくぐらせて糸がほどけないように始末をする。ちょきん、とはさみで糸を切った。


「出来た!」


 アデリナは思わず歓声を上げた。

 カーロ刺繍の一日教室に通ってから、アデリナはキーカを師として毎日のように自室で刺繍をしていた。最初のカーロ刺繍の出来が少し悔しかったのだ。

 通常よりも太い糸で、図案も単純というのは本当だった。使うステッチも基礎的な三つだけ。太い糸を使うから図案を埋めるのも早い。自分ではそれなりにうまく出来たつもりだったのだが、一緒に刺繍をしたキーカのものと見比べると、天と地の差だった。


 午前中はキーカに刺繍を教わる、午後は図書室にこもる。最近のアデリナの生活だ。

 カーロ刺繍の伝統的図案である花が可愛らしく白いハンカチに咲いている。


「キーカ。どう? 自分でもいい出来だと思うの」

「はい。すごく上達されたと私も思います」


 キーカに褒めてもらったことが嬉しくて、アデリナはにまにまと自分で刺繍したハンカチを眺める。


「次はもう少し難しい図案を目指すわ」

「かしこまりました。明日、見本を持ってきますね。――やっぱり旦那様に差し上げたりはしないんですか?」


 カーロ刺繍を初めて以降、キーカは何度かアデリナに辺境伯に刺繍入りのハンカチを贈らないかと勧めてくる。練習中とのらりくらり躱しているのが今の状況だ。

 いや、たとえ相手が誰だったとしても、今の刺繍を人様に差し上げる勇気はない。


「無理よ。無理。まだ全然下手くそだもの」


 今アデリナの手元にあるハンカチだって、あくまで前回比でうまく出来ただけ。


「そうですか? 喜ばれると思いますよ。旦那様。アディ様が刺したものならなおさら」

「そう?」

「はい。旦那様も口には出さないかもしれませんが、アディ様のことを気に入っていらっしゃるようですし」

「気に入っている?」


 辺境伯とは、一緒に食事を取ってたまに図書室でおしゃべりをするだけだ。

 話題は他愛もないことばかりで、そこに甘さは一切ない。


「はい。旦那様がアディ様の前では笑っているとディオさんから聞きました。旦那様は親しい人以外の前では無表情ですので」


 確かに彼はアデリナの前で笑うようになった。

 ただそれはアデリナが恋愛的な意味で特別なわけではない。どちらかというと同志的な意味合いだろう。同盟相手だし。

 二人の最終地点は婚約解消だ。周囲に悟られるわけにはいかないので、これくらいうまくいっていると思ってもらえる方がちょうどいいのかもしれない。


「婚約期間は一年なんですよね。アディ様が奥様になられるといいなと、使用人のみんなも言っています」

「ありがとう」


 一応、アデリナは辺境伯の婚約者としてここに来ている。キーカの目にそう映っているのは、きっと悪いことではない。

 鈍く胸が痛むのは、キーカや使用人のみんなをだますことになるからだろう。

 アデリナは曖昧に笑った。


「辺境伯様にはもう少し上達したら考えるわ」


 ――おそらく、彼に刺繍を贈る日はこないだろう。




 これといった予定がない限り、午後はいつも図書室で過ごすことにしている。

 ふかふかのソファーに身体を預けて、初めて読む本のページをめくる。幸福な時間。


「ブラムバーグ公爵令嬢。やはりここにいたか」


 名前を呼ばれてアデリナは本を閉じて顔を上げた。

 目の前に辺境伯が立っている。


「辺境伯様。お仕事は大丈夫なんですか?」


 辺境伯は多忙で、毎日どこかへ出かけている。ゆっくり食事をする時間がないから部屋で取っていた、というのも嘘ではなかったのかもしれない。


「今日の問題はあらかた片付けた。だから大丈夫だ」


 そう言うと、辺境伯はアデリナの隣に遠慮なく座った。背もたれに寄りかかると、目を閉じる。どこか疲れたように見える横顔も、色気がまして見えるから不思議だ。

 辺境伯もこのソファーの座り心地を気に入ったらしい。


「辺境伯様。今日は一体どんな用事ですか? わざわざいらしたってことは、私に話したいことがあるんですよね」


 アデリナと話すには図書室に来るのが手っ取り早いと辺境伯は思っているようだ。何か話があるときは、こうやってアデリナのいる時間を見計らってやってくる。たまに話がないときも、このソファー目当てにやってくる。

 最近アデリナがいるのは、午後、そして場合によっては夕食後。


「よくわかったな」


 辺境伯が身体を起こした。


「辺境伯様の行動パターンが読めてきたので」

「それは喜んでいいものか?」

「どうでしょうね。――それで話とは?」

「ディオが余計なことを企んでいる」

「余計なこと?」


 辺境伯が少しの間ののちに言った。


「大分打ち解けてきたのだから、そろそろあなたをデートに誘う頃合いだと」

「デート」

「デートだ」


 誰と誰の、と聞きそうになって、自分と辺境伯しかいないと気づく。

 黒い髪をかき上げると、辺境伯がアデリナの方を見た。


「俺たちは一応婚約者だからな。だが、とりあえず食事だけの約束だっただろう? どうするか相談に来た」

 ――二人で出かける。

 婚約解消同盟としては、少し踏み込みすぎな気もする。でも、表面上それなりの仲に見えたのに、食事の時間しか顔を合わせない、というのも少しわざとらしい。


「――流れに身を任せてもいいんじゃないかと思います。ディオさん、口がうまいから、なんだかんだ乗せられちゃいそうな気がするんですよね」

「それは俺もわかる」


 辺境伯が憮然とした様子で言った。お互いディオには勝てない。そんな共通認識がおかしくて、顔を見合わせて少し笑ってしまった。


「一応『いつか』とかそういった含みを持たせる感じにして、あとはディオさんがどう出るかじゃないですか。その結果一緒に出かけることになったら、そのときはそのときで」

「あなたは俺と出かけるのはかまわない、と」

「はい」


 何でわざわざそんなことを聞くのだろう。

 アデリナが婚約解消に動いているのは、目の前の男性に嫌悪感を抱いているからではない。アデリナが姉の身代わりだからだ。

 いつも服の下にして目立たないようにしているブレスレットに触れる。


「そうか。よかった」


 辺境伯は本当に安堵したように息を吐いた。けれど、辺境伯がすぐに話題を変えてしまったので、理由まで追及することはできなかった。


「今日は、何の本を読んでいたんだ?」

「今日はカーロ刺繍の本を読んでました。歴史と絡めてあって面白かったです」


 辺境伯はアデリナの読んでいた本について聞きたがる。アデリナはアデリナで読んだ本の感想を語るのは好きだ。ついつい必要以上に話しすぎてしまう。それを辺境伯は穏やかに聞いてくれるのだ。


 そして夕食。

 辺境伯の言葉通りディオは、辺境伯とアデリナが二人きりで出かけることを勧めてきた。

 二人とも「いつか」と含みを持たせた返答をする。

 半ば予想していたのだけれど、ディオはそれでは退かなかった。


 アデリナに辺境伯領を案内してあげるべきではないか、ともっともらしい顔で言い出して、気づけば辺境伯とアデリナは二人で出かけることになっていた。日程や行き先まで決まっていた。ティオ、恐るべし。

 そんな風にして決まった辺境伯との初めてのお出かけ。

 内心、ちょっと楽しみな自分がいることを、アデリナは否定できなかった。

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