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5. わりと幸先のよいスタート

「僕は、辺境伯の補佐官のディオ・ローヴァイン。よろしく」


 部屋にやってきたのは、茶髪に琥珀色の瞳の青年だった。先ほどの辺境伯と足して二で割ったらぴったりじゃないかと思うくらい愛想がいい。甘い顔立ちに洗練された格好をしており、とても女性にもてそうだ。ローヴァインという名の伯爵家があるから、その家の人間か縁者だろう。振る舞いからも貴族の血を引くのは確かに思えた。


「オーティスとは寄宿学校の同級生で、その縁でこちらで働かせてもらってるんだ。この屋敷に居候させてもらってるから、会うことも多いと思うよ。あいつに直接言いがたいことがあったら、僕に言ってもらえれば伝えるからね」

「アドリーヌ・ブラムバーグと申します。お気遣いありがとうございます」


 今回も噛まずに言えた、とほっとする。やっぱり舌に馴染まない名前だ。あと何回この名乗りをしなければならないのだろう。

 ディオはにこっと人好きのする笑みを浮かべた。


「きみが、陛下の選んだ辺境伯の婚約者、か」


 琥珀色の瞳が、何かを見透かすよう向けられる。アデリナは背中に嫌な汗を感じた。思わず服の下の腕輪に触れてしまう。

 が、それも一瞬。すぐにディオが笑顔で尋ねてくる。


「一つ聞いても? 立ったままなのは、何か意図でもある?」

「いえ。座る機会を逸してただけです」


 先ほどの鋭さは気のせいかと戸惑いつつ、アデリナは正直なところを述べた。


「なるほど。あいつのことだから、話したいことだけ話して、去っちゃったんでしょう?」

「その通りです」


 即座に肯定してしまった。ディオが大げさに肩をすくめる。


「まったく。せっかく陛下が用意してくれた婚約者だっていうのに仕方のない奴だね。多忙なのは本当なんだけど、言い方ってものがあるだろう。まあ、悪いやつじゃないんだ。少し人見知りっていうのかな。そういったタイプなだけで。そこのハードルさえ越えればデレてくれるから安心して」


 デレるとは、親しくなったら笑顔を見せてくれるとかそういうことだろうか。身代わり花嫁としては破談にしてもらった方がありがたいので、ハードルは越えなくていい。

 本音はさすがに言葉にできないので、アデリナは曖昧に微笑んだ。


 ディオは早速屋敷の中を案内してくれるという。

 要塞のような印象の建物だったが、本当に万一のときは要塞として使えるように設計されているらしい。貴族の屋敷のような内装なのは普段使っている部分だけなのだという。それ以外の場所は完全に別区画になっており、手入れをするときくらいしか立ち入れないようになっている。


「面白い作りですね」

「そう言ってもらえてよかったよ。用途を聞いただけで怖がる令嬢も多いから。今はとりあえず平和だし、ちょっとやそっとじゃ辺境伯領の守りは破られないから、もう長い間ずっと使われていないんだけどね」


「辺境伯領の守り……」

「辺境伯の異能『結界』だよ。きみも聞いたことがあるでしょう? ある程度の物理攻撃と異能攻撃をはじいてくれる。国境近くに王国軍が詰めている砦があるんだけれど、辺境伯はそこから領地に定期的に結界をはっているんだ。辺境伯が守りを担うから、王国軍は攻撃系の異能を持った者が多く配属される形だね」


(だから辺境伯が守りの要、なのね)


 ブラムバーグ公爵家の『防壁』と少し似ているが、『防壁』は『結界』より多くの異能を防御できる代わりに、『結界』のように広範囲にはることはできない。一人、二人を守るのが限界だと兄が言っていた。


 ディオは話し慣れているようで、アデリナを退屈させないようにいろいろな話をしてくれる。何度か声を上げて笑ってしまった。

 少なくとも、ディオは婚約者の存在を歓迎しているように思えた。


「それで、ここが図書室」


 ディオがある扉の前で立ち止まったとき、アデリナは思わず前のめりになってしまった。


「図書室?」


 アデリナは本を読むのが大好きだ。物語も実用書も歴史書も何でも読む。旅の荷物にも、本当はできる限り詰め込みたかったのだがスペースが許さず、泣く泣く厳選した数冊で我慢したのだ。


「見せてもらってもいいですか?」

 アデリナの食いつきっぷりが意外だったらしいディオが、戸惑いながらもうなずいてくれる。


「あ。うん」


 扉を開けると、ふんわりと紙の匂いがする。落ち着く香りだ。

 応接室程度の広さかと思っていたが、その倍以上の広さがあり、さらにがっしりとした本棚にはみっちりと本が詰まっている。分類もきちんとされているようだ。

 少し古い本が中心のようだが、ジャンルも幅広く揃っている。想像以上に本格的だ。


(すごい。ここにいるだけで一年間は軽く過ごせそう)


 アデリナは目をキラキラさせながら図書室の中を回る。

 初めて姉の身代わりでこの屋敷に来て良かった、と思った。


「あいつに言って、図書室の出入り許可をもらおうか?」

「是非、お願いします!」


 アデリナはディオの手を握らんばかりの勢いでディオに詰め寄った。ディオが苦笑する。


「きみは本当に本が好きなんだね」

「はい!」


 と満面の笑顔で答えてからアデリナは気づいた。


 ――この答えは正しかったのだろうか。


 姉が本好きだなんて話は聞いたことがない。

 まあ、答えてしまったものは仕方ないし、この図書室の存在を知ってしまった以上、無視出来るとも思わない。ここは開き直ろう。ここで一年間過ごすのはアデリナなのだ。


「じゃあ、次の部屋を案内するよ」


 アデリナは後ろ髪引かれる思いで図書室を出た。

 小一時間ほどディオは屋敷の案内をしてくれる。少し建物の作りが変わっているけれど、内部は他の屋敷と大きく変わる部分はなさそうだ。

 そして、最後にたどり着いたのが、アデリナが一年間過ごすという部屋だった。


「僕の案内はここまで。既に荷物は運ばれているはずだよ」

「はい。ありがとうございました」


 ディオと別れて部屋に入る。白を貴重にまとめられた部屋は、ごくごく普通の客室だった。小花柄の壁を見回したが、隣の部屋に通じるドア、なんてものもなかった、

 当たり前だろう。婚約者とはいえ、結婚が確定したわけではない。

 そしてここにいる花嫁候補(※身代わり)は、婚約解消が使命だ。


 一人で眠るには十分な大きさのベッド。クローゼットにはアデリナが持ち込んだドレスが掛けられていた。小さな書き物用の机にドレッサー。クローゼットの大きさといい、長期滞在を視野に入れた調度品がそろえられている。


 部屋を見回していると、こんこん、とノックの音がする。

 そういえばディオが別れ際に、アデリナに専用の侍女をつけたと言っていた。その侍女が訪ねてきたのだろう。

 侍女がつくなんて、公爵邸に引き取られたとき以来だ。もっとも、初めてアデリナについた侍女は、悪夢しか運んでこなかった。彼女以下の侍女はそうそう現れないだろう。


 どうぞ、と声を上げると、一人の少女が中に入ってきた。

 おそらく年齢は十七歳のアデリナと同じくらい。黒い髪に茶色の瞳。若干つり目がちで可愛いというよりはきれいというタイプ。

 彼女は無表情のまま、深々とお辞儀をした。


「今日からお嬢様につくことになりました、キーカ・ベルザーと申します」


 ほんの一瞬、キーカから見定めるような視線を感じた。

 それでもアデリナは笑顔で挨拶を返す。侍女となればこの屋敷で一番関わることになるだろう。印象はよくしておいて損はない。


「ありがとう。私はアドリーヌ・ブラムバーグよ。よろしくね」


 一年間の短い間だけれども。

 キーカは小さく会釈をすると、淡々とこの屋敷でのことを説明してくれる。

 婚約者と言っても、特にやることはないらしい。日中は好きに過ごしてかまわないという。まずは本を読もう、とアデリナは先ほどの充実した図書室を思い浮かべた。早くディオが許可を取ってきてくれることを祈る。


 食事は食堂で取る。ただ、辺境伯は多忙で、滅多に食堂で食べることはないらしい。これは一緒に食事はできない、という言い訳の布石だな、とアデリナは思った。

 実際予想通り、その日の夕食の食卓に辺境伯の姿はなかった。

 同じく夕食の席に着いたディオが、辺境伯は急に砦に行くことになったのだと自分のことのように詫びてくれる。事実かどうかはわからない。


(これはもしかして、破談確定? 辺境伯もそのつもりだと思っていいの?)


 もちろん、内心の期待をディオに悟られるわけにはいかないので、ゆっくりと首を振って気にしていないというそぶりを見せるだけにとどめた。

 料理人が腕をふるった食事はとてもおいしかった。一つ一つの料理がとても丁寧に作られていることがわかる。グリーンサラダに、丁寧に漉されたなめらかな枝豆のポタージュスープ。メインは柔らかい鴨肉のロースト。白いパンはふわふわだ。

 食事を進める中、ふとディオが思い出したように言った。


「そういえば、あいつが出かける前にきみの図書館の出入り許可を取ってきたよ。好きにしてかまわないって」

「本当ですか! ありがとうございます」


 やった! とアデリナの心の中は喜びに満ちる。

 食事はおいしいし、充実した図書室もある。

 辺境伯もこの縁談には消極的なようだし、わりと幸先のいいスタートではないだろうか。


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